6_HASCHEVET

 私は悪夢にうなされ、憂鬱な気分で朝を迎えた。モルグに安置された彼女が溢れ出た海に沈み込んで消えてしまう夢だった。

 部屋を見渡すと、写真立てが倒れていることに気が付いた。埃を払い綺麗に直す。最近は、海と家の往復で掃除が滞っている。

 私の住んでいる家は街の外れにある古い一軒家だ。コロッセオのプレイヤーになってから、それなりの報酬を受け取ってはいる。けれど、この古い家を離れることは出来なかった。今でも、狭いキッチンから包丁の音が聞こえるようで。今でも、隣の部屋から絵の具の匂いがするようで。今でも、あの人の体温が伝わってくるようで。

 私は未だに過去に囚われたままだ。


 直動迂回との戦いから数日が経った。今日は次の対戦。

 プレイヤー名は法帖仮書ほうじょうかがき。キャラクター名は「ハシェベト」。存在しえないとされていた超常現象である『魔法』を行使するキャラクターだ。


 魔法とは何だろうか。高度な科学技術の産物か、現実の法則から外れたものなのか。コロッセオのテクノロジーは底が見えない。

 いずれ私達人間も自由に魔法が使えるようになるのだろうか。そうなったら、あの頃を取り戻せるのだろうか。


 そして、私は絵を描けるようになるのだろうか。


 玄関のドアを開けると、軋む音と共に朝の空気が入り込む。外へ出るのに、少し躊躇した。それでも、私は一歩踏み出す。私は望まれているんだ。コロッセオでのゲームを皆が待っている。それだけが、今の私の心の支えだ。

 私はいつもの道を使って海へと向かう。誰も必要としない海へと向かう。


 ――そして、今日も私は棺桶の前に立った。



 コロッセオに入ると、既に対戦相手が待機していた。どこか遠くを見つめるような滅紫けしむらさきの目に、私の姿など無いようだった。

 彼はゲームが始まる前に胸に手を当てる。いつも行うルーティンは懺悔する罪人のように、清廉な空気を纏っていた。アーカイブでは分からなかったが、彼はこの動作と共に言葉を紡ぐ。


「このゲームを親愛なるお嬢様に捧げます」

「……外部の人間に声は届かないはずだけど」


 私の言葉を、彼は鼻で笑う。


「貴様には分からんだろうな」


 嘲笑の混じった返しに少し怒りを覚えた。だけど、その通りだ。私は法帖の事情なんて分からない。

 彼にだって間違いなく戦う理由が有って、この行動にも意味がある。


〈ゲーム開始〉


 私は合図とともに先制攻撃を仕掛ける。

 魔法使い相手に有利な距離は無い。それに、こちらの奥の手は前回のゲームで割れている。奇襲は出来ず、真っ向勝負だ。となれば、一撃でも早く相手に攻撃を当てた方が勝利を得るだろう。

 私は胴体に狙いを定めて全弾撃ち尽くすつもりで砲弾を放った。

 だが、初撃を横に躱された。私は射撃を続けながら強引に砲身を旋回させ、これを追いかける。

 ハシェベトは砲弾の雨を背に走りながらも、攻撃を仕掛けてきた。


「左手第五指を代償。【朽禍きゅうか】」


 ハシェベトと私の間に巨大な白熱した火の玉が出現。私の砲弾は火の玉の盾に触れた瞬間に分解され、蒸発する。


「右手第五指爪を代償。【漂涸ひょうこ】」


 法帖は流れるように、火球の盾の陰から新たな攻撃を放ってきた。人の腕程の太さをもった氷柱がハシェベトの手の平から伸び、私の脚の端に当たる。

 当たった途端に氷柱は崩れ去り、触れた箇所から冷気と氷の膜がゆっくりと這い上がってきた。対象を氷漬けにし、動きを止める魔法だ。


「対策済みっ!」


 私は凍り付き始めた脚を自切して体から分離した。射撃による反動の制御が乱れ、多少バランスを崩したが倒れる程ではない。

 それから、すぐに復元を行うことで脚を再生。自切した脚は吸い付くように元の位置に戻り、同時に漂涸の効果も消えた。

 上手くいった。これを繰り返せば、漂涸を脚で受け止める限り無効化できる。

 問題は朽禍だ。朽禍はあらゆる物質をバラバラにする魔法の火炎だ。ハシェベトと私の間に朽禍があるせいで、現状射撃は意味を成していない。私はガトリングを停止させ、回り込むために移動を開始した。


 射撃が止むとハシェベトは最初の火球を消失させて姿を現した。ハシェベトの左手の小指は焼失し、右手の爪は強引に剥がれたように無くなっていて血が滲んでいる。

 魔法の代償だ。魔法はMPと呼ばれるリソースを消費して発動するものだ。しかし、キャラクターにMPなど存在しない。だから、代わりにHPを消費する必要がある。魔法は痛みと引き換えに発動される。


「やはりそうきたか……、私のHP切れを狙っているな」

「ご明察。魔法使う度に激痛でHPが削れるんだから、そっちは攻撃するたびに不利になる」


 彼はこの2パターンの魔法で、全ての試合を終わらせている。停止魔法の『漂涸ひょうこ』で動きを止めてから、攻撃魔法の『朽禍きゅうか』で体を削るようにダメージを与える。

 そして、なによりもハシェベトのゲームで特徴的なのが、朽禍で頭部と胴体以外を全てそぎ落とし、キャラクターの胸像を作り上げる点だ。

 その手法は凌遅刑という過去の処刑に似ているが、このゲームのHPは痛みによって減少する。キャラクターが死ななくても、HPが無くなってはゲームが終わってしまう。普通にやれば両腕を削いだくらいでHPが全て無くなるから、少しずつ体を削って胸像を作るなんて悠長な時間など無い。

 だから一瞬で作品を仕上げる必要がある。だから、漂涸でこちらの動きを止めてからでないと朽禍での攻撃を始めない。

 彼は作品を作ることに執着している。だから、むやみやたらと朽禍で攻撃してこないはずだ。


 私は再び朽禍を使わせる為に、ガトリングを構える。それから砲弾の雨を叩きこもうとする前に、ハシェベトが動いた。


「右手第四指爪を代償。【漂涸ひょうこ】」


 ハシェベトが素早く呟くと右手の薬指の爪が凍り付き砕ける。

 そして、再び漂涸を放つ。射撃体勢に入った私はすぐさま動ける状態じゃなかった。でも、脚を動かして漂涸を受け止めるくらいなら、どんな体勢であっても6本も脚があるバージェストにとっては容易だ。

 ハシェベトの手から伸び、私の生身の体へ迫る氷柱。その線上に脚を動かして受け止め、すぐさま自切。

 それから、復元の完了を待たずに射撃が開始された。だけど、射撃を補正している脚を無理矢理動かしたからだろう。射線がブレて、砲弾はハシェベトの周りの地面に着弾。砂を巻き上げるだけに終わった。

 そして、その失敗をハシェベトはすぐさまに分析した。


「攻撃の精度はその脚で上げているのか……。右手第三指爪と右手第二指爪を代償。【【漂涸】】」


 ハシェベトが放った氷柱が砂煙から飛び出し、的外れな位置に向かって伸びていった。

 外したか?

 しかし、そう考えたの束の間。今度の氷柱は途中で枝分かれし、広範囲に伸び始めた。初めて見るパターンの魔法だ。

 私はガトリングの砲口を、反射的に砂煙の中のハシェベトから氷の柱へ変えた。

 砲弾の何発かが細い氷柱に運よく当たった。

 だが、砲弾は接触した途端、勢いと熱を失って動きが止まる。氷柱は停止した砲弾を飲み込み、何事も無かったように枝を伸ばしながら、私の方へ伸びる。

 私は近づいた枝先を脚で掃うようにまとめて受けようとするが、一本でも触れると脚が空中で固定されたように動かなくなってしまう。

 動かなくなった端から脚を次々と自切し、復元を繰り返し、後ろに後退しながらもギリギリのところで受けきった。

 砂煙が晴れ、先程よりも傷が増えた法帖が姿を現す。彼は私を見据えながら再び魔法を放つ。


「あれをやり過ごしたか。しかし、貴様の足は貧弱な二本を除いて六本。これは受けきれるか? 右足全趾爪及び左足全趾爪を代償[【漂涸】]」


 ハシェベトの言葉に、砂の向こう側が冷たく光った。

 次の瞬間、氷柱が私を囲むように地面から生えてきて檻を作り上げる。それから、檻の内側に向かって無数の氷柱が伸びてきた。


「っ!?」


 氷柱は容赦なく襲い掛かり、バージェストを凍り付かせていく。そして、瞬く間に檻に囚われた巨大な氷の彫像が出来上がった。

 観客は新しい技を目の当たりにし、興奮したような声を上げた。

 檻は暫くすると崩壊し、中の私を露わにする。


「余計な代償を支払わせてくれたな……。だが、これでようやくショーが開始できる」


 ハシェベトはどこか狂気に染まったような滅紫めっしの瞳を私に向けながら近づいてくる。


「邪魔な鉄屑は消えろ。左手第四指から第一指を代償。【【朽禍】】」


 ハシェベトが手を動かすと、それに沿って火炎が生じる。朽禍は凍り付いたバージェストを即座に塵へと変える。

 そうして、ハッピートリガーは姿を現す。

 そのはずだった。


「……なぜだ?」


 しかし、剥き出しになったバージェストの接続部分に私は居なかった。そこには凍り付いた血痕しか残されていない。ハシェベトは氷の彫像へ駆け寄り、姿をくらました私を探すために、覗き込むように接続部分を確認する。

 しかし、私は逃げてなどいない。

 それどころか、ハシェベトが近づいてくるのを待ち構えていた。氷漬けになったバージェストの陰から飛び出すと、顔に目掛けて砂を投げる。


「うあぁぁぁっ!!」


 狙い通り、相手の眼球へまともに直撃したらしい。ハシェベトは顔を抑えながら叫ぶ。

 これで相手の視界は封じた。でも、私のHPは残り僅か。脊椎深くまで接続されているバージェストを無理矢理外したからだ。

 だけど、私には復元能力がある。すぐさまに発動して傷を塞ぎ、出血を止めた。

 これで私の勝ちだ! 私は顔が綻ぶのを感じながら、視界を失い動けなくなったハシェベトに向けて止めの砲身を向けた。


「糞がぁぁぁぁあ! 【巳回しかい】!」


 ハシェベトがそう叫ぶと、ギリギリだったHPが急激に回復した。まさか、まだ奥の手を隠していたのか!?

 彼を見ると、その代償なのだろう。左腕が虚空に食われるように消え、朽禍の代償と同じように傷口が焼かれたように変質した。

 失われた爪や指が元に戻らないところを見るに、HPだけを回復する魔法のようだ。食われた腕の傷には激痛が走り続けているのだろう。

 せっかく回復したHPは減少を始めている。


 しかし、一時的でもHPさえ回復すればまた魔法が使える。


「右手第一指から第五指まで代償。[【異花朽禍いかきゅうか】]!!」


 法帖の叫びと共に、手足の無い頭部だけの火竜が出現した。一口で私をバージェストごと噛み砕きそうなほど大きな火竜は出現と同時に、コロッセオ内部を滅茶苦茶に飛び回り暴れまわる。

 ハシェベトの視界は依然として奪われたままだ。しかし、当たればこちらのHPは全て吹き飛んでしまうだろう。

 私は視界を失ったハシェベトに気取られないように、音をたてないように息を殺した。私は息を止めている間、火竜に食べられる恐怖に震えながらも、自分が食べられることをどこか望んでいるような好奇が湧き上がってくるのを感じた。

 火竜はハシェベトの激昂に呼応するように激しく暴れ、幾度となく火竜の顎が至近を掠めたが幸運にも当たらなかった。不幸にも私は食べられることは無かった。


 そして、魔法の効力が切れ、火竜は跡形もなく消え去った。

 あれほどの代償を払ったのだ。法帖にはもう魔法を使うほどHPが残されていないはず。後は傷口の痛みでHPが無くなるのを待つだけだろう。

 負けを悟ったのか、地面に座り込んだハシェベトに私は近づく。その音に気付いたのか、ハシェベトは目を閉じたまま顔を上げた。


「……敗者の俺に何の用だ」

「聞きたいことがあるの」

「答える義理は無い」


 私は彼の言葉を無視して質問を続ける。


「お嬢様って誰のこと?」

「貴様……。お嬢様の事が気になるのか?」


 法帖は表情を一切変化させず、仏頂面だったが声のトーンが僅かに上がった。


「……そうか、聞きたいのか。貴様のような奴とは会話をするのも嫌なのだが、お嬢様のことを知りたいとはなかなか良い心掛けだ。仕方ない、特別に教えてやろう」


 法帖には未だに激痛が走っているはずなのに、法帖は砂で痛む目を閉じながらも嬉々として語りだした。


「エルチャポお嬢様は著名なドラッグコンテンツの至高なるクリエイターだ。私はお嬢様の思想に賛同し仕えている」

給仕職サーバントか……」


 クリエイターに仕えるサーバントは忌み嫌われる立場だ。クリエイターのファンからは嫉妬の対象として、クリエイターからはコンテンツを生み出せない、お荷物の消費者コンシューマーとして。

 私の声音からなにかを感じ取ったのだろう。法帖は肩をすくめる。


「そうだ。しかし、お嬢様は違う。我々サーバントを大切にして下さる。だから少しでも恩を返したいのだ。このゲームで私は幸運にも表現する力を得た。新たなコンテンツを見出したのだ」

「その答えがキャラクターの胸像を作ること……」

「そうだ、我々人類は傷つかない。だからこそ人体の欠損という例外に惹かれる。誰も彼もが、我々を模したキャラクターが壊れるさまを観察したいのだ。私はそこに胸像としての美を加えることで、更なる高みへと昇華した。しかし、これはあくまでお嬢様への捧げるもの。胸像を作り上げるたびに喜ばれるお嬢様の笑顔を見るためだ」

「他の誰でもなく、一人の為なんだ……」


〈プレイヤーのHPが喪失されました。敗者は『対岸のハシェベト』です〉


「くそっ。まだまだ語り足りないが、時間が来てしまったようだ。例え貴様のような愚鈍な奴であっても、お嬢様のことについて知りたければまた尋ねると良い。また戦うことがあればだがな」


 法帖は最期にそう言い残すと、ハシェベトの体から消え去った。


「遠慮しとく。あなた悪趣味だから」


 キャラクターの破壊はそのままの方が美しいと思う。もっとむき出しでありのままの方が。





 ――気が付くと私の意識は本来の位置に戻っていた。生身の体。人間の体に。

 棺桶の中からは四角く切り取られた天井が見えた。オペレーターが私の顔を覗き込む。


「お疲れ様です」


 コロッセオのオペレーターもサーバントだ。だからといって、私は彼女に対して良くも悪くも特別な感情を抱くことは無かった。でも、今は考えてしまう。

 私よりも背が低くない彼女は、誰かに認められたいと思うのだろうか。


「いつもありがとうね」

「……何を考えているのか分かりませんが、私はあなた達プレイヤーが嫌いですから」


 オペレーターは少しも笑わずにそう答えた。笑わないどころか、怯えているようにも見えて私は次にどう話しかければいいのか分からなかった。

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