第18話 僕の真実

  目の前が一気に明るくなる。


 そうだ。僕だ。僕が殺した。僕がこの手で真波を殺してしまったんだ。


 目を開けると春田さんが心配そうにこちらを屈んで見る。しゃがみ込む僕に手を貸そうとしてくれた。その手を見上げて咄嗟に押し返す。

「春田さん、僕が、僕が真波を殺したんです。僕は優等生なんかじゃない。ただの人殺しなんだ」

春田さんは目を見開いた。少しの静寂が僕らの前に流れた。


 

 「それで、何を思い出したの?」

何事もなかったかのように、再び手を差し伸べる。今度は僕の反応を待たずに手首を握り、強く引き上げた。この人は何とも思わないのか。僕は今、自分を人殺しと言ったんだぞ。春田さんになら話してもいいのかもしれない。それならば打ち明けよう。僕の全てを。



 僕には五つ離れた妹がいた。正確にはいると思われる。妹が生まれた時のことなんて覚えていない。生まれたばかりの赤ん坊を抱いた記憶もないのだ。僕が幼稚園生の頃に母のお腹が大きく膨らんでいた気もするが、写真も残ってないし、何より両親に気のせいだと言われた。

 でも今ならわかる。あれは嘘だと。当時、母のお腹には子供がいた。そして僕の妹はこの世に誕生していた。どういうわけか両親、特に母は僕を溺愛していた。僕だけを。何故かはわからないけど、とても大事に育ててくれていた。そのせいなのか、妹が邪魔だったのだ。

妹には僕と同じだけの愛情を持っていなかったのだろうか。母のお腹が目立ち出した頃、父の妹夫婦がよく家を訪れるようになった。来ると必ず両親と話し込んでいた。その間、僕は大人しく一人で過ごしていた。最後にはいつも申し訳なさそうに、どこか嬉しそうに家を出て行く。そしてある時、もう二度と顔を合わせることはなくなった。僕が最後に見たのは、涙ながらにお礼を言う二人だった。僕の頭を撫でて、ありがとうと言った。何でお礼を言われたのかわからなかったが、きっと何かいいことをしたのだと思っていた。

 そしてこの時に小さな僕の妹はあの人達の元に渡ったのだろう。その後、僕達は三人で幸せに暮らしていた。妹の存在は夢だったのだ。僕が大きくなる頃にはそんな出来事すら全く憶えてなかった。だけどここで事件が起きた。この幸せが崩れ始めた。


 妹夫婦は離婚して、旦那が一方的に家を出ていった。そして外に家庭を築いてしまった。そのため父の妹女手一つで妹を育てていたがそれも長くは続かない。働き過ぎたのか病気で亡くなってしまった。親戚もなく、誰も引き取り手のない妹は、僕が中学生三年生になる少し前に家に戻ってきたのだ。

そこからは何となく想像が付くだろう。突然、我が家に戻ってきた妹。妹はいないものとして扱われた。両親の口からはっきりと妹だと教えられることはなかった。突然僕の目の前にやって来たのだ。聞いても適当にはぐらかされるだろう。害がない限りは何でもいいと、興味を持たなかった。ただ、見覚えのあるあの瞳が、輪郭が、口元が悟らせる。決して遠くはない関係だと。そして母の態度からとても近しい関係だと。それに気付いたとしても、誰も触れることはなかった。


 最初こそはちゃんとした食事を用意しており、客間に用意された布団で寝ていた。口を聞くことはなかったが、しっかりとした生活は提供されていた。

しかしすぐに庭に物置が置かれた。母ひわずかなタオルや洋服と共に、妹はそこに閉じ込められた。食べ物とかは持ってくるから、明るいうちは絶対に出てくるな。そう強く言い聞かせていた。妹もそれに反抗することなく、言いつけに従った。最初の内は心配していた父も、ほとんど家に帰らないためか、気にしなくなってしまった。食事は毎日ではなく、たまに僕らの残りを上げていたみたい。誰にも見つかるな。そうやって妹は暗闇に押し込まれた。


 当時の僕はそれを気にも留めなかった。いや、気に留める余裕がなかったのだ。母が求める子供になるために必死だったから。勉強もスポーツも音楽も。全てにおいて一位を取らなくてはいけなかった。まだ幼い僕には自分の世界のことだけで必死だったのだ。


 母は僕のことをとても可愛がってくれた。そして僕のためにって色々なことを習わせてくれた。学校終わりは毎日塾や水泳などの習い事に行って、土曜日の午前中は塾、午後は母とピアノの練習をした。唯一の休みは日曜日だけだった。それも学校の宿題や予習復習でほとんど潰れてしまった。母は僕の習い事の送り迎えや、出来ないことが出来るまで付きっきりでみてくれた。また学校と習い事の合間に食べられるお弁当や夜食も作ってくれた。母のサポートがあったから全てをやりこなすことが出来た。母が頑張ってくれるから僕も頑張らなきゃって、それが当たり前になっていた。


 今思えば、それは異様だったのかもしれない。僕は放課後に友達と遊んだことなんてなかった。友達は学校でだけのものだと思っていた。だからたまに車の窓から近所でランドセルを背負った子達が公園で遊んでいるのを見て、不思議だった。彼らは何なのだろうって。その疑問を一度だけ母に投げかけたことがある。すると母は雫とは違う人間なのよって教えてくれた。確かに、僕の周りにも習い事を沢山やっている子がいっぱいいた。みんなお母さんの笑顔が見たいから頑張るって言っていた。だからこれが僕の普通だったのだ。窓の外の世界は別物だった。


 僕が頑張れば頑張るほど、母はさらに高みを求めるようになった。その期待に段々と応えられなくなった。すると母は怒ったのだ。僕の頬を思いっ切り叩いた。そして鬼のような形相で僕を睨んだ。僕の前ではいつも笑顔の母がこんな風になるとは驚きだった。

もうこんな顔は見たくないと、さらに努力するようになった。それでもテストが二位だった、隣のクラスの松田くんはもうこの曲を目をつぶって弾けるのに。そう言って僕を叱った。そしていつの間にか母の手には竹でできた長い定規が握られるようになった。それで僕の腕や足を思いっ切り叩いた。真っ赤な跡は段々と真っ青な痣に変わっていく。これは雫のためなのよって泣きながら怒る母に申し訳ないと思った。

僕が悪い子だから泣いてしまうのだ。だから僕はより一層努力した。もう涙を見なくていいように。寝る間も惜しんで。一位を獲り続けた。そうすれば母は笑ってくれる。優しい声で僕の名前を呼んでくれる。自慢の子だって抱きしめてくれるのだ。



 

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