第27話 新子友花。お前は、お前でいいのだよ。

「あたらしい文芸か……………。んもっ……何を書こう??」

 新子友花は、夜な夜な文化祭で任された文芸誌のメイン企画――メイン小説の内容を悩んでいた。


 ――あたしは、昨日の夜からずっと考えて悩み続けている……。

 だって、責任重大だと思うから。

 今年、入部し立ての新人のあたしに、いきなり文化祭の文芸誌のメイン書けっていうラノベ部の方針も……なんだかな~っていう気持ちは、あるにはあるのだけれど……。

 まあ、クジで当たっちゃったからしゃーないけどさ。


 でも、はっきり言って、どう書いていいのか分からん。

 あたし、小論文苦手だし……。


 ――苦手だからラノベ部に入部したのに。


 それなのに、いきなりメインを書けって。まるで拷問じゃい!




「……友花よ」

 どこからともなく声が聞こえてきた。

 新子友花は辺りをキョロキョロと――ちなみに夢の中の話ですからね。

「こっちじゃ。こっちじゃ」

「おおっ! 聖人ジャンヌ・ダルクさま!!」

 見ると、目の前に大きな梅の木が立っていた。

 前回の登場の時と同様に――[ユニクロ・ファッション]を軽やかに着こなしているジャンヌ・ダルクである。

 梅の木の太い枝に腰掛けて、新子友花を見下ろして語り掛けてきた。

 ……なんか変な夢だけど、ご容赦あれ。


「相変わらず……。お前は悩む時は、すこぶる悩み続ける乙女じゃな……」

 ジャンヌ・ダルクは、まったく気にすることなく新子友花に対して『お前』と言い放った。

「………そんなこと、仰らないでくださいよ」

 新子友花は人差し指を胸前でツンツンして、俯き呟く。

「……友花よ。自分なりの小説を書けばいいだけだろ?」

「……そ、そですけど」

「あのな……昔から他人の行為を見ていると、それなりに格好が付いていて、なんだか羨ましいとか凄いな~とか思うものだぞ」

 腕を組みうんうんと頷きながら、ジャンヌ・ダルクがシミジミ呟く。

「そ、そんなものですか?」

「ああ、昔から捕らぬ狸の皮算用、取って食べても酸っぱいだけの……じゃなかった。あの木に実っている梅干しは酸っぱいんだ。……とか言うだろ」

 それを言うなら、あのブドウは酸っぱいんだ……です。

 バリバリ西欧文化に浸っている聖人ジャンヌ・ダルクさまが、日本文化である梅干しなんて、知っているわけが無いですよね?

 まあ、あの梅干しって本当に酸っぱいんですけれど……。


「でも、聖人ジャンヌ・ダルクさま、あたし、ちゃんとメインを書けるのか心配で」

 ツンツンしていた人差し指をくっ付けて、新子友花は更に悲壮感漂わせ俯く。


 ――それを見かねたのか? ジャンヌ・ダルク、

「……ふう」

 一息入れてから。

「新子友花よ。為せば成る。為さねば成らぬ、というじゃろ。まあ、スマホの時代に文芸誌を熱心に読んでくれる読者は少ないから、気楽に書けばいいのだと思う」

 スマホの時代に書冊の文芸誌なんて、学園の教育方針として伝統を重んじてます! というぶっちゃけトークで、キッパリと言い放った。

「……気楽にですか」

「そうだ!! 別に『聖ジャンヌ・ブレアル学園実録24時』とか、『独占スクープ! 大美和さくら先生大告白』とか、そんなの書こうとも思っていないのであろう」

 当たり前ですよ……。

「はい。それは……当然です。だって、ラノベは娯楽小説ですから……」

 新子友花は、梅の木の太い枝に腰掛けているジャンヌ・ダルクを見上げた。


 彼女の眼を、ジャンヌ・ダルクは反らすことなく見る。

「……だから気楽に楽しめ! それでいい。そんな新子友花よ。お前にとっておきの――」

「とっておきの??」

 新子友花が首を傾げた。



 そう、とっておきの――



「――そんな、友花ちゃんにもんだーい!」


 5時55分! 5時55分!!

 目覚まし時計の代わりに、新子友花の部屋に響き渡ったのは……、

「あーうざい! 起・き・ま・す・よ……。東雲さん。起きりゃ~いいんでしょ」

 うざいの相手は、東雲夕美という新子友花の近所の幼馴染みだった。

 彼女は毎朝必ず、新子友花がベッドの横に立って起こす役を、新子友花の両親から依頼されている。


 ――新子友花は、眠気眼をこすりこすり。

「友花ちゃんに!」

 東雲夕美、朝からハイテンションである。

「あ~、うざい。……分かったから。もう少しボリューム下げてくれる?」

 新子友花はベッドから渋々起き上がった……。


「友花ちゃーん。今日は朝からクラス合同の化学の授業だよ。それも2時間続けてのスーパー授業なんだから、早く起きようね。大実験なんだからさ!」

「分かったってからに! だから、もう起きてるから……」

 朝っぱらから東雲夕美のハイテンションに対して、新子友花の今のテンションはというと……『おはよ……。あっ! 今日は校外学習でパティシエ体験してケーキ作るんだっけ♡』、意気揚々とベッドから起き上がり、その勢いのままカーテンをガバーッと開けて!


 ……そしたら、思いっきりの土砂降りの大雨だ。


 テレビをつけたら大雨特別警報が出てるし――すかさずスマホに学園から休校のメールが来て……。

 ああっ……なんで朝から、あたしを苛立たせるのかな? 普通に晴れりゃいいだけじゃん……。

 である……。



 ――あたしはベッドから出て、一階に降りて両親に『おはよう~』と言って、朝食のトーストエッグを食べて、ホットカフェオレを飲む。

 これが、あたしの朝のいつもの日課だ。ん、あー美味しい。


 窓の外からの朝日の輝きが眩しい―。

 庭先からは、つがいのスズメがチュンチュンと、何やら会話をしているように鳴いている。

 んああ〜、今日も一日良いことがありそうだ!!

 という予感を胸に抱きながら、ホットカフェオレをお代わりする。


「……あ~、友花ん家のカフェオレって甘党なんだね。朝から、こんな砂糖たっぷりのカフェオレを飲むんだね。友花ちゃん、おなかポッコリ。太っちゃうんじゃない?」


 ちょ……ちょい! まちーな!!


「なんで? あんたがあたしの隣に座って、さもファミリーの一員です! と言わんばかりにホットカフェオレを飲む?」

 丁度いい具合にダイニングテーブルの新子友花の隣の席は空いていたから……そこに、厚かましくも東雲夕美が着席していた。

 東雲夕美はホットカフェオレを、ズズーと勢いよく飲んでから……。

「……まあまあ、友花ちゃーん。気にしないでよ。そんな小さな出来事をさ!」

 あっけらかんに、隣に座っている新子友花の肩に手を乗せた。

「んもー!! 小さくなーい!!!」

 椅子に着席したまま、新子友花はお約束の『んもー!!』ポーズでツッコんだ。


「あっ! 忘れてた!! ところで、友花ちゃんにもんだーい」

 飲み終わったマグカップを置いて、東雲夕美がニコッと笑う。全然、人の話聞いてないね……。

「おむすびころりん。ころりんこー。あ~あ。兎さんが美味しそうに食べていたおむすびが、丘の上からころりんころりんってな具合で、転がっていく~。もう兎さんたら! と言ったのは亀さんでした」


「……は、はあ。ころりんころりん……ねえ」

 モグモグとトーストエッグを口に入れながら、とりあえず彼女の問題を聞く新子友花である。

「ころりん……。ああっ! 穴の中におむすびが転がって落っことして……待てまて! 寸前のところで亀さんがナイスキャッチしたぞ!! さて、おむすびの具は何でしょうか?」

 これが東雲夕美が言う問題である。

 なんか、聞いたことのある御伽噺のような気がするけれど……。


「分からん……。そんなへんてこりんな問題……っていうより謎々じゃないの?」

 ホットカフェオレを飲みながら、冷めた視線を東雲夕美横に向けている。

「……友花ちゃんにヒントだよ!」

 やっぱし聞いていないよね。君って……。

「もしもし、友花ちゃん。歩みが鈍くて遅刻しそうだから、早く学校へ行かないとね。そうそう! 今日の化学の実験は、酸性とアルカリ性の分類だから……」

「……ってそれ、ヒントじゃないだろ?」

 マグカップの持つ手を止めて、新子友花が呆れている。


「だ・か・ら! おばさ~ん。今日の化学の実験で使うから、この冷蔵庫から紀州の梅干しいくつか貰っていきますね~」

 東雲夕美は席から立つと、一目散に新子友花のダイニングにある冷蔵庫に行き、ガバッ! と扉を開けて紀州の梅干しを手に取ったのである。

「友花ちゃん!! ありがとね~」

 めでたし、めでたし……。


 やっぱりなぞなぞ、じゃね~じゃんか! こいつ、マジうざい。


「……ちょい、ちょい、ちょいって! 友花ちゃん。どーして私をモデルにして、そんな、へんてこりんな小説を書くのかなー」

「へへーん! 日頃の仕返しだって……」

「あはは……友花ちゃん。止めてよね? そんなさ変な冗談はさ……」


「冗談じゃないやーい!!」



 ――時刻は朝の6時。場所は新子友花の部屋である。


 新子友花は机に座り、ノートパソコンの[ワード]で文芸誌のメインの小説を書いていた。

 それを右斜め後ろから覗き込むように見つめているのが……東雲夕美である。

「……それにしてもさ、友花ちゃん。今日は早起きだね?」

 東雲夕美、いつも新子友花を起こす係なだけに……『起きていたんじゃさ、なんか、つまんないな~』という感じで、横目で新子友花を見つめた。

「うん! 昨日からメインのことが頭にいっぱいでさ。なんだか眠れなかったの……」

 キーボードを打つ手を止めて、こちらも横目で東雲夕美を見つめて新子友花が返した。


「……あのさ、友花ちゃん。ひとつ言っていいかな?」

「いいよ……何? 夕美」

「……これ、文芸誌のメインに相応しくないよね?」


「…………ああ。やっぱし、そう思うよねぇ」




       *




 ――あたしの兄の脳梗塞について書こう。


 あたしの兄は、脳梗塞で病院に入院しています。今もです。

 あたしはある時、どうして兄が脳梗塞になったのかを本気で考えました。

 兄はまだ20歳前です。この年齢で脳梗塞になるなんて、おかしいはずなのです。

 両親は頑張れとか、心配だからと言って兄を……励まして。


 部長の忍海勇太は、あたしに、こう言いました。

「じゃあ、真面目な話をすれば脳梗塞は治るのか?」



 兄が脳梗塞で入院することになった数日前を、あたしは思い出しました。

 兄の体調がよくないからという理由で、田舎から祖母が見舞いに来ました。

 祖母は言いました。

「まあ、これを飲みんさい」

 出されたのは、塩分はそのままの自然トマトジュースでした。

 病院では脳梗塞の治療で、塩分濃度低めの飲料水を患者に与える約束でした。


 兄はすかさず祖母に、それは病院のルールで飲んだらいけないのだと伝えました。

 そう兄が言うと、祖母は

「まあ、あんたの大好物のトマトじゃけ! 飲んでも構わんさい」

 と悪気も無くそう言ったのでした


 それは、兄のことを本当に思っての行為だったのか?

 あたしは、それをずっと考えていました。


 あたしはある時、気が付きました。

 自然トマトジュースを兄に飲ませようとする祖母。

 兄は遠慮するけれど、祖母は兄の話を聞かない。


 兄の幼少期を知っている祖母。脳梗塞で入院してしまった兄――。

 それが、祖母の劣等感になっていることを――そして、それを受け取らなければ自分が申し訳ないと、あんたのことが心配だからと言われて、しぶしぶ飲もうとする兄。


 それが、兄の劣等感になってしまっていることに気が付きました。


 多分、母は祖母を真似ているのです。だから“心配”だと言った。

“頑張れ”と言う父は、兄に『お前は頑張っていないから病気になったんだ』という――自分の子供が重い病気になってしまったという、親としての劣等感に気が付きたくないのだと思います。

 ――あたしが考えるに、兄の脳梗塞の原因は、こんなところにあるのだと思います。


 それは兄にとっては無意識の中で、まるで腰の激痛のように苦しみの種、悩みの種であったのでしょう。


 あたしは、こういう話を聞いたことがありました。

 脳というのは、怒りや恐怖を感じた時に、それを紛らわせるために身体に痛みを出して、意識をそちらへ向けようとする働きがある……ということをです。

 両親にとっては、兄の脳梗塞はあってはいけない、受け入れられない現実なのだと思います。

 受け入れたくない。だから、必死で本気で“心配”と言い“頑張れ”と言うのでしょう。


“心配”だということで、自身に自責を背負いたくない。

“頑張れ”ということで、親としての責任をなんとか果たしたい。


 自然トマトジュースを兄に飲ませようとした祖母も、同じ心境だったと今ではそう思います。


 この人達は、納得したいだけなんだ。

 自分で自分に納得したい。ベストは尽くしたという納得をです。


 それは、自分自身に対してであって、脳梗塞になった兄の療養は残念ながら入っていません。

 腰の激痛の時に、座っても歩いても激痛の時に、他人の言葉を聞く余裕なんてありませんからね。


 ああ……こういう人達だったんだって――




「兄の脳梗塞の劣等感は新子友花、お前にもある」

 あたしが、学園の教会で祈りを捧げていた時のことでした――

「こうは考えたことはないか? お前の兄は、そんなことまったく思っていない。もともと、頭の中に脳梗塞の要因があって、それが発病しただけだと……」

 聖人ジャンヌ・ダルクさまの像の前で、あたしは、こういう言葉を天から頂きました。

 そのお言葉の主は、勿論、あたしが尊崇している聖人ジャンヌ・ダルクさまでした。


「大美和さくら先生は言ったぞ! お前は小説に主観表現を多様するクセがあると言った。我ジャンヌは、自分の病気は自分にしか治せないと言った。覚えているか?」

「はい。……でも恐れながら。…………その、ですから??」


 ――あたしはその時、聖人ジャンヌ・ダルクさまの生涯の一説を思い出す。


 英国の敵達は、私のことを魔女であると信じきっている。

 ああ、そうだ。ジャンヌ・ダルクは魔女である。

 だから、魔女ジャンヌ・ダルクは皆に告げる!


 このウィッチベル砦の麓にあるジーランディア海峡に、ありったけの爆薬を仕掛けなさい!!

 決して爆薬が水に濡れないように、爆薬を海峡の縁にある岩棚の中に仕掛けなさい!

 そして、私の神への言葉を合図に、皆がその爆薬に導火しなさい!!


 ああジャンヌ・ダルクよ。

 お前が、この戦争の犠牲になりなさい。


 神は初めから、お前を犠牲にして平和を導こうと計画していたのですから。

 だから、これでいいのだと思いなさい。


 お前は初めから、ただの羊飼いの娘である。

 お前には初めから、何も神の力は与えられていない。


 ――だから、お前は本当は魔女ではない。魔女を演じている演者に過ぎない。


 そのお前の演技に兵士達も賛同して、兵士を演じているだけである。

 魔女ジャンヌ・ダルクは、海の向こうに見えるの敵を見つめて言いました。



  泣くな、皆の者――

  私は、ちっとも怖くは無いのだからな……



「新子友花よ。待ちなさい!!」

 教会内の何処からか声が聞こえてきた――

「新子友花よ。ただ一つだけ、お前に助言をしてもいいですか?」

「はい……。聖人ジャンヌ・ダルクさま?」

 これを、祈りが通じたと思ってもよいのでしょうか?

 所詮は、あたしの勘違いなのでしょうか?

 でも、聖人ジャンヌ・ダルクさまの貴重なお言葉として、あたしは信じたかった。


 そういう、思いに……辿り着かせてくれる聖人ジャンヌ・ダルクさま……だから。


「冷静になりなさい……」

 聖人ジャンヌ・ダルクは毅然と仰った。

「新子友花よ。お前は自身に執着している。まず、そのことに気が付きなさい」

 その声は、どこからか……聖人ジャンヌ・ダルクさまの像からか?

 そうなのだろう。そうなのだと信じたい。


「お前の兄が不幸になってしまったことは事実であるが、だからと言って新子友花よ……。お前まで悩み苦しむ必要性が本当にあるのか? お前の不幸は、お前の兄にとっては更なる不幸ではないか? そう思いなさい!」


「……………」

 あたしは何も言い返せなかった。図星だったから。



 新子友花。お前は、お前でいいのだよ。



「新子友花よ……。決して、お前は自分自身を蔑まないようにしなさい。……それが、お前の兄にとっても穏やかな気持ちになり、一日でも早く病状を回復させる要因となるだろう……」

「……聖人ジャンヌ・ダルクさま」

 あたしは聖人ジャンヌ・ダルクさまの像に十字を切った。

「……聖人ジャンヌ・ダルクさま。その、ありがとうござい……」

「礼には及ばんぞ! そしてな……まあ最後まで聞け!!」


「……はい」

「お前に本当の呪文を教えてやる」



「これから悲痛な出来事と遭遇した際には『幸せ!!』と7回唱えよ。そうすれば、お前の自己執着――つまり自己愛は必ず消え失せるであろう――


 幸せ!! 幸せ!! 幸せ!! 幸せ!! 幸せ!!

 幸せ!! 幸せ!!


 と、唱えよ――」



「……はい。聖人ジャンヌ・ダルクさま」

 あたしは更に深く十字を切って祈りを捧げた。





 続く


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

 また、[ ]の内容は引用です。

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