03日目 『病めるときも健やかなるときも』


 ある日の午後だった。

 昼食を食べ終えてソファでくつろいでいたわたしに、わたしのちょうが話しかけてきた。


「何とか言ったらどうなの?」


「え?」わたしは言った。「何だって?」


「何とか言ったらどうなの、って言ってるんだけど」


 わたしは次に発するべき言葉を慎重に検討した。

 わたしが反射的に導き出した言葉は「何とかって、何?」だったが、恐らくこれは不正解の対応だと直感が告げていた。

 ここでわたしの取るべき対応は、わたしのちょうが言う『何とか』の答えを自力で探り当ててそれを発言することなのだろうと想像はついたが、無数の選択肢の中から正確な答えを一発で導き出すことは不可能に思えた。


 この段階で、わたしは一か八かに賭けるよりも、確実性の高い次善の策を採る方向に思考を切り替えた。


 わたしの腸は、その口ぶりから、わたしを糾弾しようとする意志が伺える。そこは間違いないだろう。

 そこから算出された、わたしの発言はこれだった。


「ごめん」


「ごめんじゃないわよ!」

 腸が言った。

「あなたねぇ、わたしが毎日あなたの食べたものを消化するのがどれだけ大変かわかってるの!? あなたは毎日自分の好きなもの食べて、それで消化は全部わたしに押し付けて、知らん顔して、わたしのこと何だと思ってるの!? あなたの食べたものををわたしが消化するのは、やって当たり前だとでも思ってるわけ!? 感謝の言葉くらい言おうかなって思わないの!? 」


 自分の中に溜め込まれていたものをすべて噴出させるかのごとく、わたしの腸はわたしに言葉を浴びせかけた。

 それからしばらくの間、沈黙があった。

 具体的にどれくらいの時間だったかはわからない。

 でも先に口を開いたのはわたしの方だった。


「確かに」


 その通りだった。

 わたしはいつの間にか、わたしの食べたものをわたしの腸が消化するのは当然のことだと思っていた。

 そこに対して何の疑問も持たなくなっていた。

 わたしの腸が毎日わたしのためにどれほどの労力を割いてくれていのかを、気にしなくなっていた。

 一体いつからそのようになってしまっていたのだろう。

 少なくとも最初は違っていたはずなのに。


 わたしは改めてわたしの腸に謝罪した。

「気づいてあげられなくて、ごめん」と、そう言った。

 そして感謝の意を伝えた。

 いつも食べ物を消化してくれてありがとう、と。

 そしてこれからは毎日、毎食後に腸に感謝の言葉を告げることを約束した。


 わたしはその約束を守り続けた。

 今日もありがとう、おいしい食事ができるのは君のおかげだよ、と、わたしは毎食後、食器を片付けながら腸に語りかけた。


 また、今まで以上に腸のことを気遣うようにもなった。

 腸に掛ける負担を軽くするため、消化の難しそうなものは食べるのを控えた。

 腸が体調を崩したときなどは、「今日は無理しなくていいよ」と言って食事を抜くことなどもあった。


 そのような形で日々を重ねていくにつれ、わたしとわたしの腸の関係は昔のように良好なものへと変化していった。

 わたしは、このような穏やかな日々がこの先も、老後まで続いていくのだろうと思っていた。



 だが、そうはならなかった。



                 ◆◇◆




 ある日のことだ。


 わたしは起床後にコーヒーを飲みながら、ふと、気がついた。

 わたしは一日に何杯もコーヒーを飲んでいるのだが、それによって摂取されたカフェインの代謝という労務を、すべてわたしの肝臓に任せきりになっているということに。

 わたしの肝臓は無口な性格らしく、腸のように言葉を発したことは一度もなかった。

 しかし発言しないからといって、その存在を無視していいということはない。


 それからわたしは、コーヒーを飲むたびに、わたしの肝臓に感謝を伝えるようにした。

 今日もありがとう、カフェインの覚醒作用で気分を活性化できるのは君のおかげだよ、と。

 肝臓が返事をかえすことは一度もなかったが、わたしはそれでも構わなかった。

 わたしの肝臓がわたしのために毎日働いてくれていることは紛れもない事実なのだから。


 そのような習慣が築かれてからしばらく経ったある日の午後、わたしが食後のコーヒーを飲み終えていつものようにわたしの肝臓に感謝の言葉を告げたとき、突然わたしの腸が言った。


「どういうつもりなの?」


「え?」わたしは言った。「何だって?」


「何で肝臓にばかり話しかけてるのかって聞いてるんだけど」


「肝臓にばかり?」わたしは言った。「君にも話しかけてるじゃないか」


「わたしには一日三回しか話しかけてくれないのに肝臓には一日五回も六回も話しかけてるじゃない!」

「それはわたしの食事が一日三回で、コーヒーを飲むのは一日五~六回だからというだけだよ」

「わたしより肝臓のほうが働いてるって言いたいの!?」

「そんなことは言っていないよ」

「大体何なの? 肝臓は自分にもお礼を言ってほしいってあなたに頼んできたの!?」

「頼まれてはいない」


「そんなのおかしいじゃない! わたしには自分からお礼を言ってくれなかったのに、肝臓には言うなんて!」

 腸は言った。

「どうせわたしより肝臓のほうが大事なんでしょ!」


「そんなことはないよ」

「じゃあわたしのほうが大事なの!?」


「それは」わたしは言った。「どちらも同じくらい大事だよ」


「バカ!!」腸は絶叫した。「あんたなんかもう知らない!!」


 それが、わたしとわたしの腸が交わした最後の会話だった。



                 ◆◇◆




 わたしは辛抱強くわたしの腸に日々話しかけ続けた。感謝の言葉を告げ続けた。しかし、あのとき以来、わたしが幾ら話しかけてもわたしの腸が返事をかえすことはなかった。

 そのうちに、わたしの方も腸に話しかけることが無くなっていった。食後に腸にお礼を言う習慣も、いつの間にか消えていった。両者の間から言葉というものは根こそぎ取り除かれた。わたしとわたしの腸の関係がそのような冷え切ったものになってから、もう随分経つ。


 それでもわたしの腸は、今でもわたしが食べたものをせっせと消化し続けてくれている。

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