第2話 愚痴とタバコは、多分似ているんだろうって思った。

 しかし小説の書き方を教えたからと言って、私の愚痴がやむことはなかった。毎日自己嫌悪に陥りながら、それでも反省出来ずに何度も繰り返した。愚痴とタバコは、多分似ているんだろうって思った。


「ねえ、ちょっと、聞いてる?」

「ははっ、聞いてちゃまずいっすよ。早里はやさとさんは先生なんっすから」


 私のあしらい方も上手くなった。私がどれだけ邪魔になることをしていても、なんだかんだ勉強を進めて行くから偉いものだ。本当に感心する。

 だけれど彼は上出来過ぎた。あれだけ私が勉強を教えないで邪魔ばっかりしていたのに、彼は成績を伸ばしたのだ。こんなこと信じられる? 私は信じられなかった。それに、だとしたら私は最初から居ても居なくても良かったわけで。


「ねえ、私必要かな?」

「なに言ってんすか」


 彼は勉強机に向かってシャーペンを走らせながら答えた。ほんの少しだけ、怒っているような口調だった。私は隣の椅子に座ったまま、俯いてしまう。そりゃそうだ。なんて虫のいい返答を期待していたのだろう。


「そうだよね。必要ないよね」

「必要っすよ」


 語調を変えず淀みなく出た言葉に、耳を疑う。戸惑う。


「え、なんで……?」

「だからなに言ってんすか」


 顔を上げると、視線がぶつかった。彼のそれは真剣そのものだった。私は怯みながらも、思いを口にする。気まずくて、謝りたくて仕方なかった。


「だって私、毎日愚痴零して、邪魔ばっかり」

「愚痴たっていいでしょ、別に。疲れてるんっすから」

「いや、逆でしょ、言うの、それ言うの私じゃない? しかも逆ギレ気味に言うパターンで。なんで室鐘君が言ってくれるの?」


 彼は困ったような顔をして、ため息を吐いた。ややあって、滔々とうとうと語り始める。


「俺の成績が下がったら、早里さんは頑張っちゃうっすよね? 私のせいだとか言って自分を責めるんっすよね? だから意地でも成績上げようって頑張ったんっすよ。全部先生のおかげっすよ。一人でやってたら、なんのために勉強頑張んのか、いつまでもわかんねーままだったっすから」

「つまり……私のために頑張ってくれたの?」


「……そーっす」


 最後は視線を逸らしながら消え入るような声だった。彼の掠れた子音しいんが冷房の風に乗って壁と鼓膜を行ったり来たりした。いつも気だるげで抑揚のない彼にしては珍しい感情のようなものが垣間見えた。見ると彼の頬はほんのりと赤く染まっていた。


 可愛い。


 なんて愛おしいんだろう。


 私が思わず頬にキスをすると、彼はびっくりした顔になって見つめてきた。その瞳は驚愕に震えているものの、恐怖におののくようなものではなかった。寧ろ、このあとどうなるんだろうと言う期待のようなものが、蛍光灯の光を反射していた。

 ゆっくりと前傾を深めて、彼の唇に近づいていく。彼が嫌がる素振りを見せたらやめようと思ったけれど、気まずそうに視線を逸らしているだけだった。


 ああ、室鐘君、睫毛まつげ長いなあ。


 そんなことを考えながら、唇を重ねた。キュッと結ばれた唇を舌先でトンと一度だけノックして唇を離す。すると今度は彼の腕が私の脇腹から入り、肩甲骨をガシッと掴んだ。戻ろうとしていたところだったので、そのまま椅子にドカッと座ってしまう。そこに彼の唇が振り落とされ、乱暴にむさぼるように中の方にまで舌を入れられた。ミントの香りがふわりと口内を満たしていく。彼が勉強に集中できるように買ってきてあげた、ガムの残り香。舌のよこぱらをチロチロと舐められて、脳の下の辺りがビリビリと痺れた。はしたなくよだれが垂れそうになったのを、彼の唇がついばみズッとすすった。彼のトロンとした瞳は、私だけを映していた。


 ああ。この子、男の子だ。


 きっと私はこの人のことを神様みたいに思っていたのだ。年下の受験生に甘えまくっていた理由はそれだった。でも今、目の前に居るのは、ただ男の子だ。再度申し訳なくなるのと同時に、たまらなく嬉しい気持ちにもなった。

 湿ったワイシャツに指を当てると、そこだけ温度が変わっていった。上気した顔。吐き出される体温は、ミントの匂い。

 彼はズボンのファスナーの辺りにテントを張っていた。テントの中の子があまりに切なげに脈を打つので、私はそこから出してあげることにした。

 咥えながら見上げあると、室鐘君はだらしなく口を開けながら、切なげな眼で私を見つめてきた。頭を何度も振ると、その度じわじわと彼の腰が浮いていった。ガクガクと震えると、だらんと手足が垂らされた。

 彼は多分初めての行為に、戸惑いながらも、充分な喜びを見せてくれた。こういうときに男の子ってズルいなって思う。初めてかどうか、わかればいいのに。


 それから彼が「早里さんも」と促したが、さすがにゴムなしでやるほど考えなしではない。ここまで来ている時点で考えなしだろうと言うツッコミを心の中で入れつつ、やんわり断ろうとしたら、彼はおもむろに勉強机の引き出しからゴムを取り出した。


「え。なんで……あ、ごめんなさい。彼女さん居たんだね。ごめん、さっきのはノーカンでいいから」

「あ、いや、その、いねーっすよ」

「え?」


 じゃあなんでゴムなんか持っているんだろう。


「その、なんつーのか、こういうことがあるかも……あったらいいなって思ってて、それで、その」


 どんどん赤みを増していく顔をどんどん俯かせていく彼。


 そんな風に見られているなんて、思わなかった。率直にまず、嬉しさが来た。会社の同僚に同じことをされたら引くしセクハラで訴えるけれど、室鐘君は別だ。だって正直ウザがっていると思っていたから。会社の愚痴を吐くだけ吐いて、勉強を教えないで、授業料はしっかり受け取る。こんなダメな大人、居ないよ。私が逆の立場だったら許せないし、何発か殴っていると思う。でも彼はそうして来なかった。彼は私のことを女として見ていて、そういう下心から勉強を頑張ったのだ。第三者的に見て不必要な先生。だけれど彼にとって私は必要な女だったのだ。私の存在価値が全肯定された気分だった。だって、いくら「先生のおかげ」なんて言われたって、そんなわけないじゃんって思うもの。私を頑張らせないために頑張ったなんて、どれだけ言葉を尽くして言われても信用出来ない。私にそれほどの価値があるだなんて、私が信用出来ないのだから。

 付き合ってもいない男が自分とのセックスのためにゴムを用意している。本当はこんなこと嫌がるべきだし、男の性欲を気持ち悪がるべきなんだろうけど、でも、例外的にとても嬉しかった。だってそれが、彼の言っていることが嘘ではない証明になるのだから。


 私はたかぶった気持ちを静めることが出来ず、その日、中学生とセックスをした。

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