幕間劇 エピソード4

 ──カンカン照りの日差しがジリジリと肌を焦がしていく。

 残暑の中、部屋でうなだれる中学生というお題でスケッチをしなければならないのなら、今なら正面に鏡を持ってくれば、簡単に描けるのではないだろうか。

 そんな誰の得になるのかわからないものを描くよりも、涼しい風に満たされた場所に行くべきだと、少女、睦月唯愛は家を出た。

 パタパタと自慢のロングヘアーをなびかせ、人前でも恥ずかしくないよう、部屋から出る前から着ているキャミソールの上に軽く透かし編みカーディガンを羽織り、七分丈のレギパンをはいた脚を動かし、コンクリートジャングルを通り抜ける。

 目指すは、ちょっとした縁で知り合ってからというもの、ズルズルと交流が続く双子お姉さんが経営する『雛形探偵事務所』。

 都甲複合ビルの三階フロアにある、探偵事務所である。

 探偵の仕事がない時は、姉の雛形呂子はおもちゃの修理を受けているらしく、地域住民、とくに子どもたちとの関係は良好らしい。

 少年少女のたまり場とまでいかないが、人生相談に来る子は結構多いそうだ。

 そういうところもあって、唯愛も気楽に涼みに行ける。

 仕事の邪魔にならないように、タイミングを見計らうことはあるが、こういう時は、双子たちの探偵業の師匠の姪っ子というコネを最大限に利用して、お手伝いのため、事務所の掃除をしに来たと言い張る。

 持ち前のクラス一の美少女という見た目も相まって、ほほえましいものを見るように依頼者も納得してくれる。そして、唯愛は給湯室で茶をすすればいいだけだ。給湯室でも、自分の部屋にいるよりは圧倒的に涼しい。

 それに、雛形呂子の趣味なのか、雛形探偵事務所には数冊の本も常備されている。

 本のジャンルは、探偵の出てくるミステリーものが多いが、ライトノベルや歴史小説もある。

 その中で今唯愛が愛読しているのは、歴史小説『夢寐委素島乱戦記』だ。

 戦国時代(室町後期)、夢寐委素島を舞台にした時代小説で、島送りにされた荒くれモノたちが生き残りをかけて必死で殺しあう、いわゆるバトルロワイアルものだ。

 ちなみに、夢寐委素島の言い伝えをもとに作られているらしい。

 呂子の年上の彼氏の作品ゆえ、持って帰ることを禁じられている。雛形探偵事務所で読むしかない。

 何度読んでも色褪せない名作に、唯愛の中ではこの夏一番にハマった。

 文章をなぞるように読む楽しさを浮かべつつ、唯愛は事務所の呼び鈴を鳴らそうと手を伸ばした時だった。

 後ろから、コツコツとこちらに向かってくる足音がする。

 依頼者なのか。

 振り向くと、そこには壮年の身なりのいい男性がいた。

「こんにちは。君は睦月君だっけ」

 桜井英長だ。

 呂子の現彼氏であり、枯れ専がいかにも好みそうな知的でクールな雰囲気を醸し出している。

「はい。桜井先生。こんにちは」

 憧れの先生にも会えた。今日はなんていい日なのだろう。



 ──雛形探偵事務所。

 書棚に、電話が乗っているデスクにパソコン、さらに典型的な応接セット。

 見渡す限り、これぞ一般的な探偵事務所だと訴えるような光景が広がっている。

 女性が経営しているところもあって、額縁には心を和ませる花の絵や、スタイリッシュなドライフラワー室内装飾として吊るされている。

「あ、桜井先生。来てくださったのですね……」

 顔を赤らめ、完全恋愛モードの雛形探偵事務所所長雛形呂子こと、呂子お姉さんが待っていた。

 いつもの三倍、キラキラして見える。

「わぉ」

 ボクは思わず感嘆の声が漏れる。

 恋する乙女がこんなにも美しいものなのか。恋愛っていいなと憧れてしまう。

「では、ごゆっくりどうぞ」

 ボクは 出歯亀根性を抑えつつ、プラン通り、本棚にある夢寐委素島乱戦記を抜き取り、素早く給湯室に移動。

 後は適当なタイミングでお茶をお出しすれば、お手伝いに来ただけの近所にする少女Aという設定がまかり通る。

「はぁ。恋がしたいなぁ」

 ボクはお客さん用の高めのお茶っ葉を急須に入れ、湯呑をお湯で温めながら、桜井先生と呂子お姉さんのことを考える。

 いかにも大人の情愛というカップル。濃厚すぎて、爽やかな恋愛をしたい現役中学生には遠くで見るぐらいが、ちょうどいいのはわかっている。

 だけど、愛っていうのはそういうものなのかもしれないと思うと……。






「ちょっと待てやぁぁあああああ!」

 関口はとりあえず赤の眷属を踏み潰した後、仙崎愛翔へと詰め寄る。

「なにか、不審な点がありましたか、関口刑事……」

「不審どころか不満しかないわ、あの改変した世界。なんで、お前、仙崎探偵がいなくなっている!」

 声を荒げつつも、ビシッと決めるところは決める、これが人生の先駆者おっさんクオリティである。

 先ほどまでの映像は、ミストスクリーンの上に出した映像。

 勝者のたちに少しやさしい世界を、の試作品、イメージ映像だ。

 製作担当が赤の眷属ということで、関口は最初から疑ってのだが……案の定だった。

 人の気持ちが全く分かっていない。

「それは……私、人外だから……日常にはもう戻れませんから……」

 見た目こそ昨日までのものと変わっていないが、その戦闘能力だけを鑑みても、愛翔こいつは日常生活を送るには困難レベルだというのは、理解できる。

 だが、これとそれとはまったく違う。別問題だ。

「だからって、なかったことにすんじゃねぇよ。神主になって、青波様とやらに仕えるのはいいさ。つうか、それ以外の選択肢はほぼないだろうけど」

 関口はちらりと沙良を見る。

 戦後処理会議に飽きたのか、ムニャムニャと眠りこけている。だが、その姿には全く隙がない。

 少しでも危害を加えようとしたならば、こちらの方が飲まれると本能が叫んでいる。

「そうですよ、おまわりさん。近い将来青の君様となられるお方のご要望には、最優先に応えなければなりませんよ」

「ややっこしくなるから、しゃべるな、人外!」

 ぎゅむ。

 雪の体はキンキンに冷えているので、かっとなった頭をクールダウンするのに一役買った。

「たしかに、もう、お前は人間として、正気の世界に生きられないだろうよ」

 人を遠ざけなければならないのもわかる。

「だがな、お前の痕跡を、人としての思い出を意志を、消さなくてもいいんだ。いや、消すな。お前自身が、お前を否定するようなことをするな!」

 そうだ。

 今までの仙崎愛翔を否定してはいけないのだ。

 一緒に歩むことが叶わなくなっても、過去をなかったことにするのとは違う。

「辿った道筋はちゃんと残せ。お前がいるからこそ……お前だったからこそ、進めた人はいるんだ。忘れるな。例え役目を、運命を移し替えたってな、ものすごい違和感が残るんだ。下手すると、その違和感に足元をとられちまうやつだっている。そんなわけのわからないものに悩まされるぐらいなら、ちゃんとお別れを言って、納得してから、これからを進め」

「関口刑事」

「仙崎探偵……、いや仙崎愛翔。この度、捜査にご協力いただきありがとうございました」

 ビシッと、関口は敬礼する。

「だから、この俺の言葉をなかったようなことにするなんて、許さねぇからな!」

 幻想怪奇事件は確かに心に深い傷跡を残す。

 この怪異体験によって、運命が大きく変わり、背負っていかなければならないモノが出来て……人間が受け止めきれるものではないというのもわかる。

 だが、忘れるために、すべてを消し去るのは絶対間違っている。

「少なくても、唯愛の大事な従兄をとるなよ、仙崎探偵。あの子はな、最後まで……お前の身を案じていたからな!」

 昨日の夜、関口だけが聞こえていたのかもしれない。

 首に縄が閉まって、声を出すのさえ辛かった唯愛であったはずなのに……。

(ボクでよかった……なんて言葉、仙崎探偵には言えねぇけどよ。これだけ慕われて、愛されているっつうのに、そんな純粋な想いを奪うなんてこと、やっちゃいけねぇよ。つらくてもな、時間をかければいいことだってたくさんある。唯愛なら、なおさらそうじゃねぇかな)

 思いやれるぐらい愛した人の記憶を……奪う権利が他人にあるわけがない。

 たとえそれが人間を超越した人外だろうと、それこそ神であろうとやっていけないことなんだ。

「関口刑事……わかりました。それなら……」

 関口の説得により、仙崎は考え直した。

 そして、世界は改変される……少しビターな感じで……。

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