Track.7  初恋泥棒

 体調が回復した呂子お姉さんとわかれたボクは、夢寐委素島かも助記念館を出て、夢寐委素島マリンスポーツセンターに来ていた。

「ネット予約でもいいけど……やっぱり現物を見てからだよね」

 センターには各体験コースのプロモーション映像はもちろん、先の記念館にもあった3Dプロジェクションマッピングも完備してあった。こちらは夢寐委素島の魚たちがメインで、自由に動く生き物と迫力の映像で目を楽しませてくれた。

 解説によると、スキューバダイビングで見れる幻想的な光景をイメージしているらしい。

 この人工的なアクアリウムに物足りなさを感じたら、スキューバダイビング体験コースを選べってことだろ。

 天然素材はどこの世界でも貴重で希少なのである。

「こんなステキなものを見せられたら、実際に体験したくなるな」

 ボクは気になるコースのパンフレットを何枚か手に入れる。

 体験コースは予約は前日までにしないといけないが、ネット予約なら、日付が変わる午前零時前に登録すれば、前日予約扱いだ。

 愛翔兄ちゃんとゆっくり相談した後でも十分間に合う。

 明日のことを思い、ワクワクしていると、浜辺には見慣れた人影。

 ──愛翔兄ちゃんだ。

 打ち合わせが終わったようで、気分転換と休息を兼ねて浜辺に来たのだろう。

 夕日に染まった波打ち際まで足を進ませ、青とオレンジのコントラストで彩られた海を眺めているその姿は、ボクの知っている愛翔兄ちゃんとは別人じゃないかと思うぐらい、神秘的で美しかった。

 このまま波に攫われてしまうのではないかと、心配になるぐらいによく似合っている。

「愛翔兄ちゃん……」

 今すぐ夢寐委素島マリンスポーツセンターを出て、声をかけるべきか。

 本格的に海に魅入られ、消えてしまわないうちに、ここにつなぎ止めないと……なんて、柄にもなく妙な感傷に囚われてるよ。

 逢魔が時……だからなのか。

 探偵事務所に飾られている写真と同じ景色だからか。

 ボクは浜辺に打ち寄せてくるさざ波のかすかな音を聞きながら、兄ちゃんのもとに走る、走る……。

 アスファルトとはちがい砂浜は足が沈むので、速度は遅いが、ボクは兄ちゃんに着実に近付いて行った。

「愛翔兄ちゃぁあん!」

 だ~れだ、という目隠しドッキリはする気はなかったし、速攻でボクに気がついてほしかったので、名を呼ぶ。

 だが、ボクのこの声は届かなかったようで、兄ちゃんは海に魅入られたままだ。

 切なげに、儚げに、愁いを帯びた表情でじっと海岸を見つめている。

 対岸の家々からはちらほらと電灯の光がこぼれ、その光が波に反射しているのか、海の中にさらに宝石のようにキラキラと輝く色とりどりの光の泡が産まれてくる。

 不気味なくらい美しい幻想的な雰囲気が作り出されている。

 このまま、光と波が兄ちゃんを絵にもかけない美しい世界の住民にするために、奪ってしまうのではないか。

 嫌だ。

 だけど、それを阻止できるぐらい、ボクは強いだろうか。そんな見当違いな不安が襲ってきた時だった。

「あ~い、が~!」

 アルトソプラノだった。

 ボクよりも早く砂浜を走る女性がいる。

「え?」

 ボクと愛翔兄ちゃん、どちらのものだったか。それとも、同じタイミングで発しただろうか。

 長い金髪の風に靡かせ、青いウィンドブレーカーに白いショートパンツの兄ちゃんと同じぐらいの年頃の女性が兄ちゃんのすぐ側までやってきて……。

「久しぶりだな、このヤロー」

 そして、熱い、抱擁。

 映画のワンシーンじゃないかと思うぐらい、見事に、華麗に、決まった。

 なにこれ、羨ましい……じゃなくて、大変だよね。でも、ムチムチプリンプリンなわがままボディにプレスされるなんて、人として羨ましいとしか思えないけど。

 しかも美男と美女だ。

 全くの他人から見れば、美しい夕焼けの砂浜で、官能的で情熱的なカップルがイチャイチャしているようにしか見えない。

「え、沙良?」

 どうやら兄ちゃんとは知り合いらしい。

 名前で呼んでいるというところから、この金髪美女とは浅からぬ縁であると思われる。

(う~ん……)

 ボクが知らないだけだったのか。

 兄ちゃんは夢寐委素町に、血のつながった親戚がいるものな。

 そして、毎年、お盆シーズンには熱心に通い詰めているものな。

 友だち以上の関係、あるいはそれ以上の想いがある女性がいても、まったく不自然じゃない。

 兄ちゃんも兄ちゃんで、うれしそうな顔をしている。

 ボクのことはまったく見えていないようで、金髪美女との久しぶりの抱擁に夢中になっているっぽい。

 弾ける笑顔が眩しすぎて、直視できねぇ。

(……よし、帰ろう)

 金髪美女のことは気になるが、野暮なことをせずに、お子様はクールに去るべきである。

 ペンションに戻るまえの吊り橋で、頭が冷えたのがちょうどいいと思うぐらい、熱い、熱い、夕方だった。

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