track5:横顔にさよなら
坂井真白①
「ゆづ、ごめんね。私、もうあなたと一緒にいられない」
残酷な言葉だって、とっくに分かっている。けれど、こうでも言わなければ彼は私を離してくれないだろう。
放送室に行く彼を校舎裏へ連れてきたのは間違いだったかもしれない。それまで部活のことで頭がいっぱいだったろう
「どういうこと?」
「えぇっと……私、もうすぐ卒業するし……」
考えていた言葉が急に頭から消え去ってしまう。彼の驚愕めいた顔のせいで怖気づいたからだろう。
「なん、で……」
優月のよく通る声は、別物のようにどもっていた。大きな棘だったんだろう。痛みに顔を歪めるように私を睨む。それを直視できないから、ふいっと目を逸らした。
「教えてよ。どうして急にそんなこと……昨日まで一緒に帰ってただろ。それに
「ごめん……前に言ったでしょ。私、美大に行きたいって。それで……県外の大学に行けそうなの」
「いやいや、待ってよ。この間は地元のだって言ってたじゃん」
私は怯むように一歩下がる。すると、優月が腕を掴んだ。
「なんでそんな嘘つくんだよ」
「本当にごめん……」
夢と優月を天秤にかけてしまえば、心はぐらぐらと揺れ動く。そして、傾いたのは夢だった。私は本当に酷い人間だろう。好きな人でさえ手放せてしまうんだから。
「じゃあ、僕、学校辞めるよ。真白について行……」
「そんなのダメに決まってるじゃない!」
つい、声を荒らげると、優月は眉を寄せて息を飲んだ。
「……冗談だよ」
気まずそうな口だけど、声は怒ったまま。
「あーあ。真白は僕のことどうでもいいんだね。また置いていくんだ」
びくついた私に追い打ちをかけてくる。
そう思われても仕方がない。私は言い訳できずに、項垂れるしかなかった。
一つ年下の彼、優月は名前のとおり優しくておっとりしているけど、ときどき頑固なところがある。一度決めたことは曲げないし譲らない。小学生の頃から変わらずで、両親やお姉さん、幼馴染の私まで手を焼くことがあった。
そんな彼が同じ高校に進学した頃、校舎裏につれてこられた私は優月の思いを知った。葉桜の陰に隠れるようにキスをした。それがはじまり。
「僕、真白のことずっと好きだった。小学校や中学校を先に卒業していく度に置いていかれるのが嫌だったんだ。だから、もう離したくない」
強引な告白。でも、そんな優月を私は段々と男の子として見るようになった。
中学生でぐんと背が伸びて、はっとするような大人びた顔をする彼を見てしまえば、もう弟なんかじゃなくて。
でも、私はどうしても彼と同じ歳にはなれない。一つ年上という段差が壁となって今、私と優月の間に立ちふさがっている。
「――ねぇ、ゆづ」
そっと手を伸ばして彼の腕を掴んだ。すると、その手を取られてあっという間に彼の腕に抱きすくめられる。
「ちょ、ゆづ……やめて」
「今日だけ。今日だけでいいから、ずっと一緒にいて」
背に回った腕に強く締められる。力は強いのに、耳元に置かれた声は弱くて細い息だった。
彼が甘えると、私はいつも負けてしまう。今回ばかりは目をつぶることは出来ない。
私は酷い人間のままで彼の元から去る。もう決めたことだから……
「真白……?」
彼の腕から抜け出して、そっと後ずさる。
「ごめん!」
逃げるように校舎裏を出た。落ち葉を蹴って走れば段々とスピードが増していき、彼の手には届かない場所まで走る。
でも、脳裏には焼き付くように残っている。
振り返りざま、彼の呆然とした無色の顔を目に映してしまったから。
***
『落ち着いて話せなくてごめん。でもね、私はゆづのことが大切で……』
そんな文章を打ち込んだあとに、すぐさま消した。
大切な人だ。彼のことはこの二年で大きな存在になっている。幼馴染できょうだいのような間柄だったのが急に関係が深くなってしまって、恥ずかしさはたっぷりだったけど甘いひとときに幸せを感じていた。本当に大好きになった。
だから、余計に罪悪感が押し寄せている。
大切だよって気軽に言ってもいいのかすらためらって、何度も何度もトークアプリの文面を並び替えている。
私は、スマートフォンをベッドに投げて、机にある参考書から床に広げた画材までをぼうっと眺めた。
美大に行くのは、小さい頃からの夢だった。大好きな絵画を思い切り学んで、表現の幅を広げて、いつかは個展を開くんだと優月にも語って聞かせていた。
彼はいつも真剣に聞いてくれて「すごいね、真白ちゃん」と笑顔を返してくれる。だから、わずかに望みはあった。彼が私の夢を応援してくれるって。
でも、そんな都合のいい展開にはならない。優月は私のことをきっと恨むんだろう。また置いていってしまうのが許せないだろう。
遠距離恋愛も考えたけれど、それは優月の性格じゃ上手くいきっこない。会いたいって毎日電話してくるし、本当に会いにくる。
とても嬉しいことだけど、彼のためにはならないと思う。優月にだって将来がある。彼は声のお仕事をしたいらしく、それを叶えるためにも私だけにこだわっていてほしくない。
いっそのこと私を忘れてくれたらいい。
そんな風に考えてしまうのは、やっぱり自分勝手なことなのかな……
ボツになった謝りの文章に向き合っても、もう何も思い浮かんでこなかった。
***
学校へ行く前にはいつも優月を迎えに行く。けれど、今日は行かない。
十階建てのマンション。優月の家はワンフロア下だからすぐに行けないこともない。
後ろめたく思いながら、マンションを飛び出した。
どうやったら優月に分かってもらえるんだろう。
きちんと話をしても、昨日みたいに揉めたら意味がない。
彼の甘えを振り払ってでも夢を追うと決めたから、先に手続きを済ませてしまった。事後報告というのも酷いけど、こうでもしないと私は絶対に揺れてしまう。
今だってそう。夢への入り口よりも優月を取ってしまえば良かったと後悔している。授業もまったく頭に入らなくて、友達といても楽しくなくて、上の空で。
だから、友達の理子から「優月くんだ」と唐突に言われてもすぐに反応が出来なかった。
「ほら、今日は水曜日でしょ。お昼のラジオ」
私の学校は、お昼と放課後に放送部がラジオをする。日替わりでMCが変わり、曜日で担当が決まっている。
優月は放送部で、水曜お昼と金曜放課後の担当。
『それでは、ここでおすすめの一曲をご紹介。うーん、ちょっと季節外れかもしれませんね。でも、今日みたいに少し気温が高い日には爽やかな音楽が聴きたいところじゃありませんか?』
心地よく耳に馴染む声は、いつもと変わりないけれどどこか沈んでいる。
みんなは知らないし分からないだろうけど、私には優月の声で顔色が手に取るように見える。
『《BreeZe》ってロックバンド、最近はやってますよね。そんなわけでこのナンバーをお届けします』
スピーカーから流れる曲は、甘くて濃いのに爽やかな恋の詞。青い海と太陽を連想するような夏うた。軽やかな音調が確かに季節外れだと思う。
理子は「あ、BLACKだ」とすぐに曲名を思い出し、リズムに乗っている。
真夏のブルーがとろりとろり
甘すぎちゃってめまいがするから
ぼくはブラックでごまかしたい
「去年に流行ったよね、この曲。好きな俳優がMVに出てて」
一番が終わりに差し掛かるころ、話に花を咲かせた。そうして彼女の思い出話を歌に乗せて、気を紛らわせた。
忘れようとしているのに優月が私の近くにいて、やっぱり離してくれない。
金曜日の放課後も彼のラジオが流れるから、卒業するまで、私はこの罪悪感を抱えておかなくちゃいけないんだろう。
人を不幸にするということが、どれほど愚かなのか痛いほどに味わった。
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