第一話 下請け(04)

「重力異常ってことかな」

『重力』

「地上の重力を1Gとして、この部屋の中は2Gとか3Gとか通常の倍以上あるっぽいです。海中深くに潜ったときに、水圧で肺がつぶれるように、いまの僕の肺も小さくなっているんだと思います。だから、息苦しい」

『どう?耐えられそう?』

「わかんないです。慣れるしかないのかな。とりあえずこのまま動かずに様子見てみます。それから血中酸素濃度にも注意してください」

『おっけー、無理しないでね』


 部屋の中に視線を戻す。

 無機質な藍色の部屋。一辺は6メートル。縦も横も高さも等しく同じ大きさ。床にしゃがんで手触りを確かめてみても結果は同じ。触っているのに触っていない不思議な感覚。

 ざらざらでも、つるつるでもない、人工型アーティファクトのDOOR特有の感覚。

 超重力のもたらす体の重たさにも徐々にだが慣れていく。

 歩きにくいが歩けないわけではない。走るのは不可能だが。


 ここがアーティファクトタイプでよかったとポジティブに考える。モンスターが出る可能性は無いはずだ。メイのような存在はイレギュラー中のイレギュラーのはず。歩くのがやっとのこの状態で襲われたらたまらない。


 調査を続けるにはこの部屋の先を確認する必要がある。そこはもはや未知の世界。ドローンがコントロールを失い壊れたことを考えると、次の部屋はさらに厳しい重力場があるのかもしれない。そうなるともう睦月の手に余る。深海に潜れるような潜水服でもあれば別だろうが、もちろん持っているはずは無い。


「安請け合いしすぎましたかもしれないですね」

『500万は大きいもの。こっちの経済状況とかも調査済みだったとか?ねえ、前の上司ってどんな人なの?美人?』

「先輩が考えているようなことは無いですからね。あの人は女であって女じゃないですから」

『どういうこと?』

「見た目はすごいきれいなんです。手足とか細くてすらっとしてるしモデルみたいなんですよ」

『へぇ』

「でも、中身はゴリラです」

『へ?』

「いや、これも大分控えめの表現ですからね。僕もRDIに入社して初めてケイトを見たときは、こんな人が教官なんてついてるなって思ったんですよ。でも、出会って五分で幻想は打ち砕かれました。いや、もっと短かったかな?

 彼女、自己紹介するとき”私を女だと思って舐めないことね。研修を終わるときまで、あなた達の胡桃が無事だと良いけど”って手の中で転がしていた二つの胡桃をバキっと砕いたんです。

 分かります?下腹部がきゅっとなって、もう、次の瞬間には彼女への絶対服従を誓っていましたからね。まあ、おかげで同期全員の絆が一瞬で結ばれましたけど。そういう問題じゃないですよ」

『それは、怖い人ね』

「怖いなんてもんじゃないです。ちなみに胡桃を砕くのに必要な握力って80キロって言われているんですけど、成人女性の平均は30キロで、男性で50キロ弱くらい。僕の言いたいこと分かりますよね」

『すごい人なのね』

「その一言で片付けられる先輩を尊敬します。もちろん、訓練のあと一年くらい彼女のチームの一員としていろんなDOORに潜ったりしたので、彼女のいろんな面がみれたので印象も変わりました。それに、こうして独立してやっていけているのも彼女のお陰なんで感謝はしているんです。けど、第一印象が酷すぎて少なくとも女性としてみるのは無理です。ああ、それに、当時は結婚してましたしね」

『そうなの?』

「ええ、僕たち新人の間では彼女の旦那さんは”猛獣使い”として崇められていました」


 睦月がケイトを前に良いそうになった一言がそれである。


『睦月君も酷いこと言うのね」

「はは、絶対にケイトに言っちゃ駄目ですからね。殺されます」

『残念だけど、英語は全然駄目なのよね…』

「何が残念か分かりませんが、それを聞いて安心しました」

『”Your husband was admired as a beast tamer by Mutsuki.” であってるかしら』


 聞こえてきた流暢な英語に睦月は焦燥する。


「は?ちょ、ちょっと。いま全然駄目だって?」

『睦月君知ってるかな。世の中にゴーグル翻訳って便利なものがあるんだよ』

「…」


 閉口しつつ、それにしても発音が良すぎるのだが?と睦月は思う。そんな彼を無視して浅葱は続ける。


『でも、そうね。駅前留学した方がいいかしら?』

「僕を追いつめるためにそこまでやりますか」

『睦月君。どんなことにでも全力で挑戦する。それが私のモットーなのよ』

「言ってることはそこそこかっこいいですが、使いどころがアレです。はぁ、なんだか頭痛がしてきました」

『それはどっちの意味で?』

「…両方ですが、ちょっと真面目な方でお願いします。バイタルはどうです」

『バイタルは問題ないわよ』


 睦月の質問に即答する。会話の最中も彼女の視線はモニターにずっと注がれている。適当な会話を続けているからと言って、仕事に対する集中力は一ミリも失われていないのだ。


『どちらかというとDOORに入ったときより、安定しているみたい。心拍も血圧も落ち着いてきてる』

「少し環境に慣れてきたかな。中に入って30分ってところか」

『頭痛はどの程度』

「そんなに酷くはないです。たぶん、肺が縮んでいるせいで、慢性的な酸欠になっているんだと思います。高山病みたいなものかな?一回外に出ますね」

『駄目!出たら死ぬかも』

「はい!!?」

『スキューバで深く潜った後に、急に上昇すると肺が爆発するの』

「…」


 外に出そうになっていた睦月は一旦動きを止めた。超重力のために動きが遅くなっているのが幸いだった。それが無ければ、しゃべりながらすでに外に出ていたのだから。


『バリ島に行ったらスキューバしたいと思って調べてたんだけど、そういうことがあるらしいの。爆発は言い過ぎかもしれないけど、それにスキューバのあとは飛行機に乗っちゃ駄目みたいよ』

「減圧症ですね…。先輩、さすがです。潜水の危険性はそれこそRDIで教えてもらいましたが、この環境に結び付けて無かったです」

『えっへん』

「…これ、やばいですね。潜水ならゆっくり上昇することで水圧の変化に体を対応させれるんですけど、ここだと外に出た瞬間一気に気圧が変化しますよね?」


 さぁっと血の気が引くのを睦月は感じる。体を押しつぶす重力が精神をも圧迫し始める。


『えっと…メイちゃんに代わる?』

「いやいやいや、何これが最後の会話?みたいな空気にしてるんですか!嫌ですよ。死ぬつもりなんかないですよ」

『それを聞いて安心した。死んだらお土産買えないものね』

「くっ、先輩の相変わらずの軽口に安心する自分にちょっとイラッとします。はあ、頭痛のせいで頭が回ってない気がしますが、確かRDIから貰ったレポートにフェーズ3の結果が書いてあったと思いますが、どうです?」

『ちょっと待ってね』


 事務所を出る前に、RDIの作成したレポートは熟読していた。だから、記憶には間違いは無いはずだと睦月は考える。RDIのDOOR調査の手順によれば、フェーズ1は計測器による調査。内部の空気の成分、気温、湿度、放射能、病原菌などなど、中に入る前に測定機器を使用しての調査である。

 フェーズ2はドローンを使用して行われる内部調査およびマッピングだ。場合によってはこれだけでDOORの内部構造のほとんどを調査終了してしまうこともある。

 そして、フェーズ3は人間が中に入って行う調査の一歩前である。計測機器による漏れを確認するため、カゴにいれたマウスを中に入れて数日放置する。中にいるときの様子に変化は無いか、またDOORから元の世界に戻ったときに問題はないのか。

 事実、動物実験でマウスが異常行動をした例があった。それ以降も間接的な調査をしているが、原因は不明でいまだに直接の調査をしていないDOORもある。


『えっと、確かマウス実験だよね』

「それです」

『問題ないわよ』

「…了解」


 RDIのレポートは信用に値する。それは、元社員としてどれだけ徹底したルールが敷いてあるかを睦月自身が知っているからだ。間違ったレポートは、調査員の命を危険にさらすものであるし、DOORの売却にも影響する。それはつまりRDIの信用問題に発展するからだ。この重力場の説明はつかないが、計測器を騙すということもないわけではないのだ。だから、マウスが無事だったからと、もろ手を挙げてスキップしながらDOORを通ることはできなかった。

 睦月は覚悟を決めるのに数分要した。


「これから、通ります」

『…気をつけて』


 DOORに侵入するときの『気をつけて』を初めて外に出るときに聞かされる。いつもその言葉に勇気を貰っていた。事務所を開いたときは一人きりだった。だから、”行ってきます”も”ただいま”も言う相手はなく、危険な場所に飛び込むときに声をかけてくれる相手はいなかった。

 ”気をつけて”

 ごく普通の言葉だ。

 でも、それがうれしかった。安心感が段違いである。

 

 境界を越えるときに、普段は違和感を感じない。

 でも、このときは、右足が地面を踏んだ瞬間に、あまりに軽さに驚愕する。まだ、体の半分以上はDOORの中にあるのにも関わらずだ。

 体中を押しつぶしてくるような感覚が無いことに、一種の開放感のような感覚に、安心するよりも恐怖する。肺に溜まった空気が膨張して破裂するんじゃないかという恐怖が。


 ゆっくり外に出ることにどれほどの意味あるのか分からない。

 それでも、睦月はたっぷり1分以上の時間をかけて外に出た。

 神社の剥き出しの地面。

 体が異様なほど軽く感じる。

 いまならジャンプするだけ月に手が届きそうなほど。

 息を吸う。

 息を吐く。

 肺は正常に機能している。

 心臓もドクドクと鼓動を続けている。


 生きている。

 生きていた。


 

「問題ないみたいです」

『よかったー』

「はぁ、外に出るときにこんなに緊張したのは初めてです。原理は不明ですが、影響をこちら側に持ち込まないのかもしれないですね」


 加えてRDIの調査で内部の圧力を正しく計測できなかったのは、外側から調査したからだろう。片足を地面につけた時点で、体は軽くなったのだ。それが答だろう。気圧計を内部に”設置”していれば、結果は違ったのかもしれない。

 睦月の思考をよそに、浅葱の心配そうな声が届く。


『うん。でも、念のため、今日は病院に行って調べてもらってね』

「ですね。まだ昼間ですけど、さすがに今日はこれで引き上げるしかないですし」

『うん。近くの病院はメールするわ。それとね、言いにくいことがひとつあるんだけど…』

「どうしたんです?またお土産ですか?」

『もう、私のことなんだと思ってるのよ』

「欲望の塊」

『人ですらない!!』

「冗談です」

『うん。でも、そんな風に軽口叩けるなら大丈夫ね。本当に安心した。それでね…睦月君、読んだから知ってると思うけど、RDIのレポートは英語だったんだけど』

「……」


 絶句する睦月。

 責めるのはお門違いだろう。浅葱の言うように、レポートが英語だったことは気付いてしかるべきだったのだ。むしろ読めないレポートにも関わらず”問題ない”と言い切った浅葱に感謝するべきかもしれない。その言葉で何割かでも安心することが出来たのだから。

 それでも、睦月は”浅葱のお土産リスト”の一部に横線を入れるのだった。


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あとがき


読了ありがとうございます。

調査一日目完了です。ほぼ何もしてませんが。


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引き続き宜しくお願いします。

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