第一話 下請け(02)

 事務所に戻ったところで浅葱がコーヒーを入れて持ってきた。

 さっきのカフェと違って本物の美味しいコーヒーである。


「で、なんだったの?」

「先輩。すごいですよ。RDIの下請け受注しました。なんと500万ですよ。500万」

「ルピア?」

「円ですよ。500万円!何ですか、ルピアって」

「インドネシアの通貨。500万だと、5千円くらい?」

「マジっすか!」

「マジだよ。夏にバリに行くつもりで調べてたんだよね」

「へぇー、っていうか、どうでもいいです。それで、メール入ってないですか?資料はデータで送るって話だったんで、アドレス教えたんですけど」

「あー、あれか…な」


 歯切れの悪い物言いに、目を泳がせて睦月から視線を逸らす浅葱。誰が見ても分かるほど、あからさまに動揺している。睦月はどうかしたのだろうかと眉根を寄せる。


「えっと、たぶんそれだと思うんで、見せてもらって良いですか?」

「消した」

「は!?」

「いや、大容量の添付ファイル付いてた英語のメールだよ。そこは優秀な助手の浅葱さんは、これは開いちゃ駄目な奴だって気付いたね。そっこーで消しといた。もちろん、ゴミ箱からもね。てへぺろ」

「はぁ!?ちょ、ちょっと、何やってるんですか。いい年した女がやっても可愛くないですからね」

「可愛くないですと!!?デ、データなんてもう一度送ってもらえばいいじゃない?」

「そうですけど、そうなんですけど、それじゃすまないんですよ!!」


 頭をこっつんと叩いて可愛くウインクする浅葱にマジ切れそうになる睦月。浅葱の言うように別に大したことではないのだ。メールを再送してもらうことくらい大したことではない。普通なら。

 だが、相手が悪すぎる。たったそれだけのことでも、ケイトはキレる。RDI時代、ほんの些細なミスで半殺しにされた恐怖がよみがえってきた。僅かなミスでも命取りになるという教育の一環だと彼女は言ったが、睦月は本気で死を覚悟させられた。


「うそだよ。もう、何そんなにビビッてるの?」


 焦った顔を見せる睦月に、浅葱が満面の笑みでケタケタ笑う。見る見る睦月の顔が渋面になっていくのを見てさらに笑い声を大きくする。


「せんぱい、どうしたのー」


 突然の笑い声にびっくりしてメイが彼女の服を引っ張った。そのかわいらしい様子に、睦月の顔から毒気が抜けていく。


「あはははは、どうもしてないよ。メイちゃん、なんでもないの。あはははは」

「先輩、マジで時給減らしますからね」

「えー、500万入ってくるのに」

「給料ルピア払いにしますよ!」

「ごめんごめん。メール見せるから許して」


 彼女のパソコンから件のメールを確認する。

 添付ファイルは圧縮されているので解凍する。その間に、メール本文に目を通す。詳細の資料は添付ファイル内にあるとして、先方の名前や連絡先が書いてある。それによると、


「鹿児島じゃん」

「鹿児島かー、鹿児島といったら黒豚とさつまあげだね」

「えっ、この状況で普通にお土産もらえるとか思ってるんですか?」

「ホント、睦月君って小さいよね。男は細かいこと気にせずどーんと構えなきゃ。ね、メイちゃん」

「むつきくん。おとこはどーんだよ」

「メイ。こんな大人になったら駄目だからね。悪いお手本だから」


 無邪気を体現している少女に確りと言い聞かせ、一つ大きくため息を吐く。


「はあ、不本意ですけど、出張中のメイのご飯とかお願いして良いですか。残業代出すんで、夜も7時くらいまでいてくれると助かります。土日は戻って来るようにしますから」

「夜は一人にするつもり?」

「仕方ないでしょ。メイを事務所の外に出すわけにも行かないですから」

「わたし、ひとりでもだいじょうだよ」

「うん。メイちゃんは賢いからね。きっと大丈夫だと思う。でもね、子供だもん。一人は駄目でしょ」

「そうはいっても…」

「私がここに泊まるよ。うん。そうしよう。旦那様は私が言えば、許可してくれると思うし」

「さすがにそれは…」

「でも、メイちゃんが勝手に外に出たらどうする?」

「それは…」

「それにね。今回はRDIの下請けの仕事でそうなったわけだけど、いままでだって都外の仕事もあったわけじゃない。そういうときのことも考えないと駄目だと思うよ」


 ぐうの音も出なかった。

 彼女の言っていることは正しい。少なくともメイが人類に牙を向くということは無いだろうと睦月は考えている。ただ、睦月が恐れているのは別にある。

 結婚をしていない彼が、ある日突然子供を連れ歩くようになれば世間はどう思うだろうか。

 メイが日本人っぽい顔立ちであれば隠し子や親戚の子を預かっているという言い訳も成立する。

 しかし、明るい髪の色をした緑色の瞳を持つ少女にたいして、その言い訳は厳しい。仮に事実であっても、耳目を集めることになるし、人々に邪推させる機会を与えることになるのだ。その結果、誰かがDOORの調査員をしている彼と少女の関係に一つの可能性を見つけないだろうかという懸念である。


「…お願いします」

「うん。でも、今回はそれでいいけど、先のこともちょっと考えないといけないかもね」

「ですね」


 高額な報酬に釣られたというのはあるが、DOORの所在地も聞かずに契約を交わしたのは軽率だったかもしれない。今後、関東圏から外れるような、宿泊が必要な仕事は線引きが必要だろうかと考える。メイを引き取ったことを軽はずみな行動だったとは思わない。しかし、先が見えていなかった。


「どうしたの」


 大人二人の空気が変わったことにメイが敏感に反応して不安そうな声を上げる。


「ううん。どうもしないよ。あのね、メイちゃん。しばらく睦月君はお出かけするから、夜はお姉さんと寝ようか」

「むつきくん、いなくなるの?」


 酷く悲しそうな声を出すメイに、浅葱は視線を合わせて安心させるように、頭に手を置いた。


「いなくはならないよ。ちょっと長い時間、家を空けるだけ」

「ほんと?」

「ホントだよ。メイ。なるべくすぐ戻ってくるから、心配要らない。その間、先輩のこと頼めるかな?」

「わかった。せんぱいのめんどうはメイがみる」

「うん。頼んだ」

「じゃあ、先輩。宜しくお願いしますね」

「りょーかい。それで、いつ出発する?」


 メイのことは浅葱に任せれば問題はないだろうと睦月は思う。そもそも、彼女を事務所で引き取ってから、日中は顔を突き合わせているし、睦月が外出している間の面倒はこれまでも見てきたのだ。

 早速ネットで鹿児島土産を検索し始めた浅葱の横で、睦月は解凍されたばかりの資料に目を通した。


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あとがき


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