第三話 うさぎとかめと、狂ったお茶会

 茶トランの進む道には覚えがあった。

 見えている光景こそ違っているけれど、道筋はゴブリンの洞窟で最初に歩いたのと全く同じだった。そして、サムデイに出会ったあの横道へと入っていく。

 そこには前のときには見なかった扉があった。それは上の部分が丸い形をしていて、取っ手がノブではなく、トカゲみたいな形をしたレバーになっている。そのレバーがピカピカと輝いているのが、いかにも新しく造られた部屋だと言っているようだった。


「ごきげんようにゃん」

 茶トランが前足で軽く扉を開け、その後ろから僕も付いて入った。

「おや、さびネコじゃないか。珍しいね」

 中から声がする。

「さびネコじゃないにゃ。茶トラにゃっ」

「お前のどこにトラジマがあるっていうんだい。さびネコ」

「あるんにゃもん!」

 タシンタシンと、茶トランがはげしくしっぽで地面を打っている。

 やっぱり茶トランは茶トラではなかったのだと思いながら、僕はしっぽをよけて前に進んだ。

 茶トランの相手をしているのはシルクハットの帽子だった。帽子といっても、人間と同じ体はある。体の方はモーニングを着ていて、頭もちゃんとあるのかもしれないけれど、大きな帽子を深くかぶり過ぎているため、顔はかげにしか見えなかった。

 部屋の中央にはテーブルがあり、テーブルの上にはティーカップとポット、そしてお菓子が置いてある。

 そのテーブルを囲んでいるのは、シルクハットの帽子と、他には茶色の野ウサギが一匹いるだけ。檜葉の姿はどこにも見当たらなかった。

「あの……。夏衣斗っていう男の子は、ここにはいないんですか?」

 僕がたずねると、シルクハット帽と野ウサギが顔を見合わせた。

「お前がその『カイト』とやらじゃないんだったら、ここにそんな男の子はいないねえ」

 シルクハット帽がそう言った。

 まあ、当然か。檜葉は先にさいはてに向かっているはずなんだから、ここにいるわけがない。それでも会えるかもと思ってしまったのは、僕が本当は心細く思っていたからなんだろうな。

「でも、だったらどうして僕の仲間って……」

 茶トランを見上げると、彼はまた「にゃはは」と笑って、

「仲間にゃ。カメにだまされた仲間にゃあ」

と、得意げに鼻から息をはき出した。

「そうか! お前もリクガメの野郎にだまされたのか! よし。こっちへ来て茶でも飲んでけ」

 茶トランの話を聞くやいなや、野ウサギが手招いて、野ウサギとシルクハット帽の間に僕を座らせた。

 近くで見ると、彼らは茶トランよりもひとまわり小さくて、僕より少し大きいくらいだった。テーブルは届かない高さではないにしても、僕には少し高めで、目の前のカップや皿も特大サイズに見えた。

「じゃあな、さびネコ。ご苦労だった」

「ちにゃああう。オレは茶トラにゃあ。さびよりトラの方がかっこいいのにゃあ」

「そら坊や。スコーンを食べな。グーズベリーの美味しいジャムがあるんだよ」

「あ、あの僕、急がないと」

「実にいい名前にゃあ。オレがオレの名前を気に入っているのに、ウサギにどうこう言われる覚えはないのにゃ」

「そっちの皿を取っとくれ」

「は、はい。あの、それで」

「まったく。お前は『分不相応』という言葉を知らないのか?」

「相応にゃ。人間に名前を付けられたあの恥ずかしい妖精より、オレの方がよっぽどかっこいいにゃ!」

「知っているかい? おいしいスコーンにはね、『オオカミの口』があるものなんだよ」

「オオカミの口?」

「ほら、もう用はないだろ。さっさと行けよ」

「その真ん中の割れ目……そうそう、そこから半分に割ってジャムを乗せるんだ」

「言われなくても行くのにゃ。オレはお前たちと違って忙しいから茶会なんてするひまないのにゃ。昼寝しないといけないんだからにゃっ!」

 バタンと、茶トランがたたきつけるように扉を閉め、それでようやくその場は静かになった。


「はあ。まったく騒々しいやつだね」

 シルクハット帽があきれたように大きなため息をついた。

 野ウサギは、テーブルに前足をついて背筋をのばし、疲れをとっているようだった。

「おっ、そうだ。坊主、名前は?」

「ゆ、悠太です。あの」

「悠太か。オレは三月ウサギ。そっちは帽子屋だ」

「どうも」

 帽子屋と呼ばれたシルクハット帽が、グーズベリージャムの乗ったスコーンを片手にあいさつをした。

 落とし穴の外で見た白ウサギにこの帽子屋、三月ウサギ、そしてお茶会。これはまるで『不思議の国のアリス』じゃないか。ということは僕はアリスの立ち位置で、茶トランはチェシャ猫といった感じだろうか。チェシャ猫と違って、茶トランは茶トラではなかったが。

 それから、そういえば――と、落ち着いた頭でついさっきここであったやり取りを思い返した。確か、三月ウサギはだましたカメのことを「リクガメの野郎」と言っていた。ということはサムデイは関係ない。想像するに、僕がカメの里へ行ったまではきっと本当のことで、そこでリクガメに何かをされた。そう思って間違いないのではないだろうか。

「あの、それで、リクガメにだまされたって、どういう……?」

 僕は三月ウサギに聞いてみた。

「ああ。昔どっちがはやく走れるか競争をしたことがあってよ、そこでやつにやられたんだ」

 ウサギとカメの競争?

 それは違う物語で聞いたことがある内容だ。

「カメのやつに時間を盗まれた」

「時間を盗む……?」

 眠っている間に追いぬかれたんじゃなくて?

「ちょっとひと休みと思って眠っている間に、あいつ、オレ様の時間を盗んでいきやがった!」

 やっぱり眠ってたんだ。でも、眠っている間に追いぬかれるのは当然なのに、それで「時間を盗む」という言い方をするのはどうしてだろう。茶トランも「だまされた」と言っていたし……。

「もともとそれが狙いだったんだ。あいつらはすぐに時間を盗んでいきやがるからな」

「悠太。ちょっとそっちのポットを取ってくれないか」

「あ、はい」

 三月ウサギの話の途中で帽子屋に声をかけられ、手前にあったティーポットを取った。紅茶の葉を入れようとしているのが分かったから、ふたを開けてなんの気なしに中をのぞくと、そこにはふわふわとした毛玉があった。

「うわっ」

 あわてて手を離す。

 思わずふたを落としてしまったけど、陶器で出来たそれが割れなかったのは本当によかった。

 中の毛玉がもぞもぞと動いて、ゆっくりと目を開いた。

「かわいい……!」

 目がくりっとしている。

「ヤマネ、まだそこで寝てたのか。お前ごと飲んじまうぞ」

 ヤマネと呼ばれた毛玉は、大きな目玉をパチパチと数回まばたきさせると、またゆっくりと目を閉じて眠りに入った。

「まったく。どうしたらそんなにずっと眠っていられるんだか。『眠りネズミ』とはよく言ったもんだ。ヤマネ・ティーなんぞ飲みたかないからね、そっちのポットを使うよ」

 僕は帽子屋の指差した奥のポットを引きよせると、中に何も入っていないか、おそるおそるのぞきこんで確かめた。

「リクガメの野郎。盗むならこいつの時間を盗めばいいのにさ」

 ティーポットに茶葉を入れてたっぷりとお湯を注ぐ帽子屋を横目に、三月ウサギがぼそっとつぶやいた。

「その、『時間を盗む』って、どういうことなんですか?」

 本当はここでゆっくりお茶をしていく余裕なんてないのだけど、僕はどうしてもそれを聞いておきたかった。聞いておかないと、今の自分の状況が分からないのだ。

「ああ、それは――」

「ふんふふふ〜ん」

 三月ウサギがまさに答えてくれようとしたとき、突然帽子屋が歌い出した。

「ああ〜。うるせえ。やめろやめろ!」

 三月ウサギが怒って足でダンダンと床をけりながら、帽子屋の歌を止めた。

「しようがないだろ。これを歌うとちょうどいいあんばいで紅茶が仕上がるんだから」

 さっきから何かと邪魔が入って、なかなか話が進んでくれない。

 この世界では、歌で紅茶の味が変わるとでもいうのだろうか。

 あせりと同時に疑問に思ったのが顔に出ていたのだろう。三月ウサギがそんな僕に答えてくれた。

「ほーら。坊主が変に思っているだろうが。――ここは時間が計れないから、紅茶を蒸らす時間の目安に歌ってるだけだ。あの下手くそな歌でな」

「時間が計れない……?」

「つまりはね、こういうことだよ」

 帽子屋がテーブルのはしにあった砂時計を手前に寄せて、ひっくり返してみせた。その中の砂はぴくりともせず、下に流れてもいかない。

「ここでは時間が動いていないんだよ」

「時間が動かない……? って、えーと。それじゃあ、ここにどれだけいても、外に出たら入る前と時間が同じ、ってことなんですか?」

「まあ、そういうことになるな」

「もしかして、それがリクガメの……」

「あー。違う違う。これはこいつの下手くそでデタラメな歌のせいだ」

 僕の出そうとした結論は、三月ウサギによって即座に否定された。

「あまりのひどさに女王陛下を怒らせて時間を止められたんだ。なんでだかオレまでとばっちりを食わされちまったよ」

「この歌の素晴らしさが分からないとはね」

「女王様って、……タイテーニア妃ですか?」

「いいや。オレたちの女王様だ。オレたちは妖精じゃないからな」

「タイテーニア妃なら分かってくださるだろうにねえ」

「……僕、どんな歌なのか、聞いてみたいです」

 時間が止まっていると聞いてちょっとだけ気持ちに余裕が出来たからか、ついそんなことを言ってしまった。小さいころよくお父さんに舞台見に連れていってもらったからか、お芝居を見たり音楽を聞いたりするのは好きなんだ。

「やめとけよ。聞いて後悔するぜ」

「いいだろういいだろうさ。よーくお聞き」

 帽子屋が息を吸うと同時に三月ウサギは長い耳をふせてふさぎ、そして帽子屋は歌いはじめた。

「キラキラ星……?」

 曲は僕の知っているそれだけど、歌詞は三月ウサギの言っていたとおりにデタラメで、意味がよく分からなかった。

 歌い終えた帽子屋は、満足げに鼻息をあらくしながらカップにミルクを注いだ。

「どうだい悠太。いい曲だろう?」

「ひどい歌だろう」

 二人が同時に僕に聞いてきた。

「えー、えっと。あの……。僕の知っている歌と違っていて、不思議で、おもしろかった、です」

 どう言っていいものか分からないなりに、正直な感想を言ってみた。

 帽子屋はそれを聞いて悪い気はしなかったらしい。

「そう! 不思議でおもしろい歌だろう。悠太、お前はよく理解しているね」

 言いながら、うんうんとうなずいている。

「それで? 悠太の知っている歌っていうのはどんな歌なんだい? 聞いてあげようじゃないか」

「え?」

 帽子にいきなりそう言われ、どうしようかと横を見ると、三月ウサギもうで組みをしながら聞く体勢に入っている。

 うながされるようにして僕が歌いはじめると、三月ウサギは耳でリズムを取り出した。それと同じリズムでティーポットからも音が聞こえると思ったら、頭にポットのふたを乗せたヤマネが大きな瞳でこちらを見ているのが分かった。

 ヤマネは歌い終えるとまたカップに戻ってしまったけれども、帽子屋がパンパンと大きな音で拍手をしてくれた。

「うん。いい感じだ。私の弟子としては合格だね。歌詞をユニークにするともっといいだろう」

「何がお前の弟子だ。お前とはまるで比べ物にはならねえよ。――だが、歌詞に問題があるのは間違いないな。こいつは恋の歌のはずだが、まるで伝わってこねえ」

「え? え? 恋の歌?」

 ほめられたみたいでうれしかったけれど、歌詞について言われても困ってしまう。

「ほら、こうだ。歌ってみな」

 三月ウサギが帽子屋のとはまた違う僕の知らない歌詞で歌いはじめ、僕はそれに付いて歌った。確かに恋の歌で、これはちゃんと意味のある歌だった。

「よーしよし。完璧だ。これならゴブリンだろうがドラゴンだろうが聞きほれるに違いねえ。お前、この先オレの弟子と名乗っていいぜ」

 ここにゴブリンはいないんじゃなかったっけ? と思いつつ、上機嫌な帽子屋と三月ウサギに差し出されたミルクたっぷりの紅茶に口を付けた。すごくいい香りがして、今まで飲んだ中で一番おいしい紅茶だった。

「あの……。リクガメが時間を盗むって話は、それで、どういうことなんですか?」

「ん? その話か。つまり……。おい。帽子屋。これ、ジャージャー牛乳じゃなくてガーガー牛乳じゃないか。紅茶にはジャージャー牛乳だって言ってるだろ」

「ジャージャー牛乳はなかなか手に入らないんだ。いい加減あきらめとくれ」

 ずっと時間の止まっている中にいるせいなのか知らないけれど、彼らはなかなか進まない会話も気にならないようだ。時間が進まないと分かっていても、それでも僕はじれてきてしまう。

 そんな僕の目に気付いた三月ウサギは、気まずそうにせきをした。

「うん。つまりだ。リクガメの野郎は、オレが寝ている間の時間を盗んだんだ」

「それは……、普通に眠っているのとは、違うんですか?」

「違うね。オレはその時間をすっぽりと失った。――あいつらは、うたた寝している間やぼんやりしている間の時間を盗んでいく。あいつらに時間を盗まれると、何もしていないのに時間が過ぎてしまっているんだ。そしてやつらは盗んだ時間を自分の時間にして、長生きしてやがる」

 三月ウサギはかわいたのどをうるおすために、紅茶を口にふくんだ。

「あのレースのとき、オレはうたた寝している間にリクガメに時間を盗まれたせいで、一瞬のうちにかなりの時間が立ってしまっていた。その間にやつはオレから盗んだ時間を使ってさっさと進んでいったってわけだ」

 そう言いながら、あまい紅茶を苦い顔をして飲みほした。

「知ってるかい? 川や池に住むカメは、成長するときに甲羅の表面がうすくはがれて脱皮するんだ。でもね、リクガメの甲羅は脱皮しない。年輪のように時を刻みながら成長していくんだよ。大きくふくらんだその中に、盗んだ時間をつめこんでいっているのさ」

 帽子屋が三月ウサギのカップにおかわりを注ぎながら、そんな説明をしてくれた。

 今さらだけど、不思議な話だ。

 三月ウサギはうたた寝をしている間に時間を盗まれたということだけど、僕もここへ来る前、すごく眠くなったような気がする。そのときに僕の時間を盗まれた? じゃあ、気がついたときにすごく時間が立っているかもしれないってことか。――でも、ここは時間が止まっているという。それなら、今、僕の時間は一体どうなっているんだろう。

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