第28話 鉢合わせ

 土曜日ということもあり、水族館内は多くのお客で賑わっていた。家族連れや友達同士。

 そして、仲睦まじげなカップル。距離感が近く、楽し気に話しながら展示してある生き物を眺めていた。


「あの人達さ、きっとデートよね」


 薄暗い館内を巡りながら、高木が時々そんな言葉を口にする。その度に爽太の内心はざわついた。


「お、おう。そうだな」


 お腹に少し力を込めながら高木に返事をした。そうしないと、緊張と恥ずかしさで声が震えそうになる。

 周囲の視線がとても気になる。俺達も、そんな風に見られているのだろうか。カップル、というものに。


「緊張してる?」


 爽太の耳がざわつく。慌てて高木の方へ顔を向けた。水槽内のライトに照らされた高木の表情は、意地悪な笑みを浮かべていた。こ、こいつ、からかってやがるな……。


「ふふ~ん、私達もそんな風に見えてるんだろうね~っ」

「ふ、ふん! だろうなっ。でも俺たちは、練・習だから。そこ勘違いすんなよっ」

「はいはい。言われなくても分かってますよ~。だって、このデートは……」


 高木がふと言葉を止めた。ん? な、なんだ? うおっ!?


 高木がイタズラな笑みを浮かべ、爽太に少し近づいた。高木の小さな口がそっと開く。


「アリスちゃんのため、だもんねぇ」

「へっ……!? ええっ!? いや、あの……! そ、その……」


 強がっていた爽太の態度が急変する。引き締めていた表情は、情けないほど崩れ、落ち着きなく手をそわそわさせる。やはりアリスの名を出されると弱い。


「うわ……、キモ……」


 高木の容赦ない感想に、爽太は顔を怒らせた。


「ぐっ!? う、うるせっ!! このブス! ブスッ!!」

「なっ!? ぐぐっ……!! い、言っとくけど仮にもデート中だからねっ!? デートに付き合ってくれる女の子に、わ、悪口とか論外だからッ!!」

「わ、分かってるよんなこと!! た、高木だから良いんだよ別に!!」

「はあっ!? ふ、ふ~ん、そう……」


 高木が急に冷たく目を細めた。爽太の喉が鳴る。


「これがちゃんとしたデートならどうなるのか、思い知るがいいわ……」

「へっ?」

「コホン……。爽太くん、最・低ッ!! さ・よ・う・な・らッ!!」


 高木がさっさと館内を進み始める。爽太は慌てて声を上げた。


「うおっ!? た、高木!? ま、待てって!? た、高木さん!? お、置いてかないでっ!! くっ……!! ご、ごご、ごめんって!! ゆ、許してっ!!」


 早足で館内を先に進んでいく高木の前に、爽太は立ちはだかった。必死に両手を合わせている姿はなんとも情けない。

 高木が両手を腰に当て、胸を反らした。


「分かればいいのよ……! わ・か・れ・ば! ふん、このバカッ」


 高木がしかめた顔を近づけてくる。ビシッと片手の人差し指を立てて、爽太に言い放つ。


「私達、今デートしているんだからっ! ちゃんとそれらしくしてよねっ!」

「ぐぐっ……!!」

「へ・ん・じは?」

「うっ……、は、はい……!」


 高木と爽太は互いに少しいがみ合う様な形で、その場に立ち尽していた。


 (クスクス)(クスクス)


 ん?


 ふと、小さな笑い声が聞こえた。爽太は高木の口元に目がいく。だが、高木の口元はきゅっと固く閉じている。じゃあ一体どこから?


 (あの子達、可愛いね)

 (初デートか~)

 (小学生でデートって羨ましい)

 (つき合い始めだなあ)


 薄暗い館内に響く、囁く様な声。高木も気付いたのか、鋭かった瞳が丸みを帯びて不思議そうにしている。高木と爽太はゆっくりと声のした方へ目を向けた。すると、色んな人達の視線が、こちらに向いていた。

 なっ!? ええっ!? な、何で……、あっ。

 爽太は大いに戸惑いながらも気付いた。俺達、でかい水槽の中央に立っている。

 その大きな水槽にチラリと目をやると、


「「わわっ!?」」


 高木と爽太は同時に驚いた声を上げた。目の前に大きな顔。真っ白な肌が特徴の白イルカがじっとこちらを見ていた。高木と爽太が気付いたことに嬉しかったのか、白イルカは大きく口を開けて、水の中で頭を上下に動かし始める。


(クスクスクス)

(あはははっ)


 館内に生温かい笑い声が響く。爽太の鼓動が激しくなる。顔もすごく熱い。


「そ、爽太っ……!」

「ひゃ……!?」


 急に小声で名前を呼ばれた。そちらに視線を向けると、高木が顔を朱に染めている。


「い、移動するわよ……! は、早くっ……!」

「へっ!? あっ! お、おう……!!」


 温かい笑いに包まれながら、高木と爽太は逃げるように白イルカの水槽から離れていった。



「「はあ、はあ、はあ……」」


 高木と爽太は息を切らせながら、水族館の壁に寄りかかっていた。照明があまり当たらない暗がりで、呼吸を整える。館内をそんなに走ったわけではないのに、2人の疲れはすごかった。


「ほんと……、あんたのせいよ」


 高木がこちらに視線を向けているのが分かった。表情はよく分からないが、苛立っている雰囲気。その理由も分からなくもないので、爽太は反抗する気持ちを押えた。それに、また口喧嘩するわけにもいかない。高木の方へ目を向けたままだといら立ちが込み上げそうだったので、爽太は視線を前へ向けた。するとその先に――、


「あっ」

「ん? なに?」


 爽太の上げた声に、高木が訝し気に反応する。爽太は指で前方を示した。


「ほら、あそこの水槽。マンボウがさ、泳いでる」


 高木が正面を向く。


「あっ、ほんとね」


 円柱状に切り抜いたような水槽に、1匹の大きなマンボウがとてもゆっくり泳いでいた。時計回りに、秒針よりも遅いスピードで。のんびりと優雅な様子は、とても癒される。しばらく見つめていたら、「ねえ、もっと近くで見ない?」と高木の落ちついた声音。爽太もちょうど間近で見たいと思っていたところだった。


「そうだな」


 高木と爽太は、背を預けていた壁から離れ、マンボウの泳ぐ水槽に近づいた。

 ぺちゃんと平たい体。異様に尖って伸びた2つのヒレ。それに、ぽけーっと開いたままの口元。なんとも魚らしかぬ姿に、動き。だからなのか、じーっと見続けても飽きないような感覚に包まれる。


「なんか魚っぽくないよね」


 同じような意見がふと聞こえた。爽太が顔を向けると、高木が少し口元を緩めていた。爽太も釣られて口元が柔らかくなる。


「そうだよな」


 頭上を優雅に泳ぐマンボウを、2人は楽しそうに見つめていた。すると、マンボウが水槽の壁に当たった。ほわんっと、大きな魚体のバランスが崩れる。長いヒレが急に慌ただしく動いた。『おっと……!?』と、驚いた声が聞こえてきそうだ。なんとも可愛らしい。


「あはははっ。慌ててる」


 高木が楽しそうに笑った。爽太もつい笑い声がこぼれる。


「くくくっ、だな」

「だよね。あっ! またぶつかりそう」


 だが今度は学習したのか、マンボウが長いヒレをしきりに動かし、無事に衝突を回避した。『あぶない、あぶない……』と間延びした声が聞こえてきそうだ。


「あはははっ! ねえ今の見てた? ふふっ、可愛いよねっ」


 高木が可笑しそうな表情をしながら、爽太に近寄った。


「くくくくっ! もちろん。ほんと可愛いよなっ」

「ねっ!」

「だなっ!」


「「あっ……」」


 気づいたら、互いに顔を見合わせていた。とても近い距離で。


 爽太の喉が思わず鳴る。


 水槽の照明が2人の表情を明るく照らしていた。


 時折ゆらゆらと、水中に差し込む光のように優しく揺れ、その度に、高木の穏やかで可愛げのある表情が、淡くて綺麗な光のなかで煌めく。

 思わず見入ってしまった。いつもの生意気な雰囲気はどこにいったのだろう。今はとても、おしとやかで。

 普段の高木とは違い過ぎたから。胸が変に熱くなる。自分の頬も熱くなっていくのを感じた。鼓動も早い。

 すると高木が慌てて前を向いた。爽太はハッと我に返る。お、俺はい、一体何を……!?

 爽太もゆっくりと前を向いた。2人とも正面を向いたまま、水槽内で泳ぐマンボウを見つめていた。ゆったりと時間をかけて泳ぐ姿が、なぜか今はもどかしく感じる。


「ね、ねえ……」

「へっ……!?」


 高木が小さな声を出した。爽太が慌てて返事をすると、高木は正面を向いたまま、言葉を続ける。


「な、何かしゃべりなさいよ……」

「えっ……? な、何かって……」


 だが急にそんなことを言われても何も思い浮かばない。考え悩んでいると、高木が少し慌てた口調で話し出した。


「も、もう……! き、気が利かないわね! こ、こういう時は男子がリードして場の空気を和やかにしないとダメでしょ……!」

「い、いや、そう言われても……」

「ほ、ほら……! な、なんでもいいから!」

「うっ! ……、えっと、マ、マンボウは……、その……、マンボウは……」


 必死に言葉を繋ごうとするも何も思い浮かばない。爽太が口をつぐみそうになった時だった。


「フグの仲間なんだよ」


 穏やかな声が後ろから突如聞こえた。


「「へえ~……!」」

「そうなのね」「そうなんだな」

「「……、えっ?」」


 高木と爽太は、疑問の声を上げながら互いの顔を見合わせた。高木が小首を傾げる。『あんたが言ったんじゃないの?』と。だが、爽太は慌てて頭を左右に振った。そしてまた穏やかで、聞き慣れた声が後ろから聞こえた。


「でもね、マンボウの体ってすごく硬いから、膨らむことはできないんだ」


「「!?!? へっ、へえ~……」」


 高木と爽太はマンボウの雑学にいたく感心しながらも、互いに引きつった顔でゆっくりと後ろを向いた。そこには、


「ほ、細谷!?」「ほ、細谷くん!?」


 クラスメイトで、爽太の友達であり、また、高木とは同じクラス委員をつとめる細谷が、立ちすくんでいた。

 なんとも優し気で、でも、なんとも気まずげな表情をしていた。


「え、えっと……、こ、こんにちは、で良いのかな? あはははは……」


 細谷はぎこちない笑みで、2人に挨拶をした。

 高木と爽太は、マンボウみたいに、ぽけーっと開いたままの口元で、細谷をただただ、茫然と見つめていた。

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