第15話 「 さざめき 」

 それは静かなものだった。

 誰も彼もが事実に気づかず。

 誰も彼もが笑顔のままだった。


 そこは二ペソ村よりずっと小さな村。

 人口は百五十名程度。

 平野にポツンとある村落。


 山や谷がその存在を隠しているわけではないにも拘らず誰からも忘れられるような、あるいは、医術を学んだ人間が一人もいないような――それでも、人々に諍いのない優しい村だった。


 始まりは乾燥した季節のこと。村の好々爺のケンケンという音高い咳だった。よく乾燥する土地柄ということもあり、多かれ少なかれその季節には咳をする人間が増え、大根や蜂蜜や生姜といった食べ物や飲み物がよく宅に並んでいた。だから、誰一人それが大事になるなんて思っていなかった。年中行事の様なもの――この村の咳に対しての付き合い方はその程度であった。


 けれど、とある年のこと。

 乾燥した季節も過ぎてだいぶ日数が過ぎても咳が収まらない時があった。季節が一つ過ぎ二つ過ぎ、一年がたってまた乾燥の季節が巡ってくると、さらにケンケンと音高い咳をする人が増える。そしてそれは季節が廻るたびに、一年二年と数えるたびに患者数を増やしていった。


 そして、理由も分からず徐々に蔓延していく咳をする人間が増えるきっかけとなったとある年から、ちょうど五年がたった日。

 乾いたが風が強く吹きすさぶ日に。


 ――第一患者である好々爺が死んだ。


 それを皮切りにその村では次々に人が死んでいった。


 ケンケンと音高い咳を初めにし始めた好々爺が死に、次には第二患者であった好々爺の妻が死ぬ。次々と。次々と、死んでいった。きっかり五年で、ケンケンと音高い咳を吐き出して、最後にはそれはとどまることなく患者の命を奪っていく。咳のせいで真っ赤に染まった顔色は次第に青紫に変わり、それでも呼吸を求めて最後には自分の喉を掻きむしるように死んでいく。百五十名ほどだった村人はたった十年で八十名ほどになった。誰にも忘れられるような村落であれば、それが何なのか突き止めることも出来ない。


 だから蔓延る。

 呪いの二文字。


 村人はこの厄災に対して発砲に手を尽くした。祈祷、まじない、祓い事。護摩を焚き、祈りを捧げ、祭りを催せば多くない村の備蓄から食料を供物として大地に埋めた。

 小さな村の、数少ない村民の、思いつく限り、出来る限りをやって、やって、やりつくして――それでも継続される咳は村人の命を順番に奪っていった。


 だから、もう。

 村にはこれしか方法がなかった。

 村に伝わる神の怒りを鎮める最大の方法。


 人身御供。


 その時に。

 壊れ始めた。

 村人の笑顔が。

 村人の心が。

 村全体が。

 だから。


「――アタイが〝呪い〟を終わらせるんだ」


 πππ


 なにもなく、優しい時間ばかりが流れる二ペソで。一時騒ぎになった。


 深くはない、けれどそこで横になったら完全に水没してしまう川の中に、ルチルはヒトの髪が水面に揺れるのを見た。その瞬間、焦燥が血液を沸騰させでもしたかのような熱が全身を駆け巡り、意識とは関係なく体は行動していた。


 ルチルは強引に川を流れる女性の身体を担ぎ上げると、すぐに岸辺へと移動させた。少し遅れて駆けてきたアニールが溺れていた女性のカルネを診て、水を吐かせても意識が戻らないことで自分達には手の施しようがないと意識を切り替える二人(一人と一匹)。それから一も二もなく村へと駆け戻ってすぐさま町医者のコルトン爺さんの診療所へ運び込んだのだった。


 総人口が三百人程度の小さな村でこれは大ごとだ。びしょ濡れで意識のない女性を牧場主のマルコが最近になって飼い始めた白いヤクの子供が担ぎ、村長が慌てた様子で診療所へ運んでいる様子を村人が目にすれば、長閑という言葉が形になったような村でこれほど異質な事態はない。噂は風のように村を駆ける。結果、コルトン診療所には関係者が集まることとなったのだった。

 

 それはヤクの頭を撫でるマルコ・ストロースだったり、ベッドに寝かされて点滴を受けるカルネの知り合いの二人だったり。

「そうですか。この型が溺れていたところを……」

「うん。お昼にお弁当を食べようとしたときに、偶然」


 診療所のベッドの脇を囲む人影。そのうちの一人、当事者であるアニール・クッキーは心配そうにカルネの顔を見つめる。ベッドの縁に顎を乗せて悲しく眉を寄せるルチルの肩に手をやり、複雑に微笑んだ。


「でも、驚いちゃった。この子ったら、溺れてるのを見つけた途端にすごい速さで助けに行ってね。コルトン先生、言ってたよ。助けるのが早くて良かった、って」

「それはつまり……」

「ええ」


 窓から入る陽の光は暖かいのに、影はとても深く暗い。奇跡は起きたのだ。しかし、あの場に二人が居なかったら。日常が続いているだけだったなら。――考えるだけで胸にある何かが潰れそうだった。


「だからね、マルコ。うんと褒めてあげてね。この子は、助けたんだから」

「……、はい。それはもう」


 マルコはルチルに向けて微笑む。心配そうな、悲しそうな瞳をカルネに向けてモゥとため息を吐くヤクの子供。目線を合わせるようにしゃがむと、肩を抱くよう手を回して改めてカルネに目をやった。


「心配ですか?」

 もちろん言葉が返ってくるなど思っていない。それでもマルコは、返事があることを知っている。

『うん……』


「早く、目が覚めると良いいですね」

『うん……』

「……、ああ、そんな顔をしないで。悲しまないでください。君はこの人の命を助けたんです。もっと胸を張って、誇ったっていいんですよ。大丈夫。コルトン先生は言っていました。このまま目を覚まさないことはないって。目を覚ましたら栄養満点のご飯を食べればすぐに良くなるって。それに――」


 言葉を残し、マルコはベッドの反対側に目をやる。そこにはずんぐりとした体形の男性とひょろりとした体形の男性が、これでもかとこぶしを握って唇を噛みしめながら立ち尽くす姿があった。悲痛や悲愴、怒りや悔しさをごちゃごちゃと混ぜ込んでグツグツと煮込み、それを冷まさずに一気に飲み込んだような表情の二人の男性が。長い間見ていれば、こちらの胸が痛めつけられるような。


「――溺れてしまったこの方には、こんなにも心配をしてくれる人たちがいるんです。彼女は必ず目を覚まします。なのに、彼女が目を覚ました時、周りのみんなの顔がこんなにも曇っていたら彼女の方がしょんぼりしちゃうかもしれません。――だから、ね? 僕たちくらいは元気でいましょう。そして、僕たちの元気を分けてあげましょう。そうすればきっと、彼女ももっと早く元気になるはずですから」


 うるませた目をマルコに向けるルチルは「モフゥ」と泣く。背中を撫ぜるようにトントンと優しくたたかれると、マルコの優しい表情に余計と涙が溢れそうになる。


 そうして、しばらく。

 しんとした静けさと外からの村の音に背中を押されるように、マルコは立ち上がった。

「さて、と。そろそろ僕たちは牧場に戻りますね、アニールさん。あまり長居してもベッドの彼女が落ち着いて眠れないでしょうから」

「そう、なら私もそうしようかな――でもね、マルコ。私ね……」

「どうかしましたか?」


 さあ行くよ、とルチルに声をかけていたマルコの動きが少し鈍った。アニールの顔を見やれば、視線はベッドの反対側の二人に向けられていた。

「駄目なんだと思う」


「駄目?」

「そう、ダメ。私はこの二人に聞かなくちゃダメなんだって、そう思うの。一人の人間として、この村の村長として、どうしてこんな状況になったのか。どうしてこの子に対して『ありがとう』がないのか……。そんな色々のことを、たくさん聞かなくちゃならないと思うの。だから、マルコも付き合ってくれると嬉しい、ううん、付き合ってちょうだい」


 アニールはルチルの頭を優しくなでて、けれど、いつもかける丸メガネの下の視線はいつになく鋭いもので。マルコはちょっぴり慄いていた。


「アニール、さん……?」

「どうしよう、マルコ。わたし、すっごく怒ってるみたい」

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