第5話 ぬけがけ

 十八



 事の次第を聞いた近藤が書き物の手を休めた。

 隣の土方がしかめめ面で腕を組んで長い息を吐く。

「兵庫津だ? 確かな筋なんだろうな?」

「さぁ、私からは何とも。でも……大坂から人を攫って手っ取り早く異国に流すために一番近くの港を使う、なんて、確かでなくとも筋は通った話じゃないですか」

「そりゃそうだけどなぁ」

 土方が嘆息を零した。

 この人、息で話してるのかなぁなんて思いながら総司が肩で笑う。そんな笑い上戸の総司と、総司を鬼のような目で睨む土方を見やった近藤が声にならない呻き声を出して頭をかいた。

「それで総司、お前はどうする心算つもりなんだ」

 この男もつくづく不憫な者である。

 目の前の二人のように一癖も二癖もある隊士たちをまとめていかなければいけないのだ。溜息を吐きたいのは近藤の方である。

 総司は「えぇ〜」とへらへら笑いながら言った。


「私、大阪こっちにもうしばらく残ります」


 京から下阪して四日が経つ。

 予定では一月八日には京に戻ることになっていた。

 そして今は、七日のとりこく正刻せいこく。夕暮れ時特有の橙色が障子をあかく染めている。

 明日新選組が京につことはさすがの総司も知っていた。

「良いでしょう、近藤さん、土方さん。このままあの子を放って帰ると夢見が悪い気がするんですよ」

 口を開いたのは土方だった。

「隊務はどうする気だ。お前は一番隊の組長なんだぞ」

「別に私がいなくても平気ですよ。それに、巡察の交代なら源さんとか新八しんぱちさんにもう頼みました。…………あ、あと、一度手を出したことを中途半端で投げ出すのは私の士道しどうそむきます」


 一つ、士道に背く間敷事まじきこと


「ね、法度を破ったら切腹なんですよね、土方さん。土方さんがそう言って作ったんですよ。嫌だなぁ、土方さんが駄目だって言ったら私は京に着いたら自分の腹を斬らなくちゃいけないのかぁ。介錯は山南やまなみさんに頼もうかなぁ」

 パンッと何かを叩く音がした。

 近藤が膝を叩いて盛大に笑う。

「あっはっは! これは一本取られたな」

 土方は十八番の溜息を吐いて見るも無残に頭を抱えていた。

 今までに法度違反で隊士を粛清してきたが、まさかこんなところであだになるとは思っていなかったらしい。


「…………勝手にしろ」


 土方が投げ捨てるように言った。


「はぁ〜い、勝手にしま〜す」


 そうして総司はもう暫く大阪に残ることになったのだった。




 十九



 翌日。

「みんなが京に戻るなんておいら聞いてないよ!」

 屯所内を雑巾がけしていたはずの勝太の大声が響いた。

 冬の冷水に晒された手は感覚も分からないくらいかじかんでいる。袖や裾から見える肌には相変わらず打ち身切り傷が絶えなかった。

 そういえば土方から何にでも効く万能薬だとかで薬の袋を貰った気がすると、ふと思い出す。石田散薬いしださんやくと言ったか。

「なに? 土方さん達ゃあ何も言ってなかったのか?」

 そんな勝太の目の前で困ったように眉を寄せているのは、勝太によく冒険譚を聞かせていた永倉新八という名の快活な男だった。

 我武者羅がむしゃらなその性格から度々たびたび「がむしん」と呼ばれている。本人は嫌な顔どころか嬉しそうに返事をしていたのを勝太は幾度となく見たことがある。

「新八兄ちゃんも戻るのかい?」

「そりゃあな。姉ちゃんを攫っちまったいけ好かねぇ異国の奴の鼻っ面を折ってやりたかったが……すまねぇな、勝太」

 がしがしと永倉の大きな手に撫でられる。

 じわじわと目頭が熱くなって、勝太は思わず下を向いた。目を開けると泣いてしまいそうでぎゅっと目をつむる。

 良いんだ、とは言えなかった。

 勝太の保護者を務めていたのは総司だが、総司をはじめたくさんの隊士たちが勝太を気にかけてくれていた。

 巡察帰りに甘味を手土産にしてくれたり、ついこの間も一緒にぜんざいを食べに行ったばかりだ。たーんと食え! と破顔した永倉の顔が、勝太はいつも大好きだった。

「……おいら、兄ちゃんたちがいなくなるの寂しいよ。じゃあ、歳兄としにいちゃ……副長も、局長も……総司兄ちゃんも?」

「私は残りますよ」

 勝太の後ろから、ここ五日で随分聞き馴染んだ声が聞こえた。

「なんだ総司、そりゃ」

 永倉が首を傾げる。総司は腰に打刀を差し直しながら何故か得意げに笑った。

「さっき土方さんから許可貰ってきました。勝太の姉さんを見つけるまでしばらく戻りません」

「はあ?! お前抜け駆けかよ、ずりぃ!」

「えっ、えっ」

 と顔を上げた勝太の頬をぽろぽろとしずくが滑った。

「ありゃ、泣いてたの?」

 総司の可笑しそうな顔が勝太を覗く。

「な、泣いてないやいっ」

「ふ────ん。あ、そういえば新八さん、鬼の副長が呼んでましたよ。何をやらかしたんです?」

「な、なにもしてねぇよ! ……………たぶん。……んじゃ、じゃーな、勝太! 泣くなよ、これっきりじゃねぇんだから」

「だから泣いてないってば!」

 永倉は憤る勝太の声を「なはは!」と笑い飛ばして、後ろ手を振って去って行った。




 二十



「副長、隊士の所在を掴みました」

「そうか。……ったく、総司のやつも知ってて残るだなんて言い出しやがった訳じゃねぇだろうな」

「俺からは何とも。……いかが致しますか」

「泳がしておけ。ちなみに此処から船まではどのくらい掛かるんだ?」

「馬で半刻ほど。今は手練てだれの者に張らせていますが」

「……引き続き頼む。俺たちは戻らなきゃなんねぇが……必要とあらば在留組を使え」

「…………承知」




 二十一



 店の戸を叩くと薬師の声が返ってきた。

「おう! 勝太か! 勝手に入ってくれ!」

「あんちゃん、総司兄ちゃんもいるよ。……お邪魔しま〜す」

 建付けの悪い引き戸を力を込めて引く。ガタリと大きな音を立てて開いたと思った瞬間、いつにも増して強い漢方の匂いが総司と勝太を襲った。

「うっわ、酷い匂い。どうしたんです?」

 総司が鼻をつまむ。

 机に向かって薬研を引いていた薬師が驚いたように目を丸くする。

 相変わらず耳飾りがチリチリと光っていた。

「なんだい、新選組は京に戻るとか言ってた気がするが……」

 そう首を傾げる薬師の口元は白い手拭いで覆われていた。なにか薬を作っているらしい。

「戻りますよ、勝太の件が片付いていないので私は残りますけど」

「へぇ! 意外とお人好しだったのか。薄情な田舎侍だとか思っちまって悪かったな」

「なんだ、私たちのことそんな風に思ってたんですか」

「……そんなことより、何してんのあんちゃん。すっげぇ匂いだよ」

 勝太は鼻と口と耳を器用に押さえる。子どもと大人では何か違うのかもしれない、と隣の総司は目を細めた。

 そんな二人の言葉を「待ってました」と言う風に薬師が嬉々として話し出した。

「薬の調合さ、あいつらに一杯食わせてやれるぞ。まあその途中ですり潰したやつをいろいろ落っことしちまってな。いろんなものが混ざって匂いがだいぶ酷いみてぇだからあんまり吸い込むんじゃねぇよ」

「みたい、って、この匂い判らないんですか」

 不思議そうに尋ねた総司が目を細めた。

 薬師は口の覆いを外してにんまりと笑って言う。

 

「俺の鼻はもう随分前から利かねぇんだ」


 えっ、と息を呑む勝太の声がせた。

 確かにこれだけの薬の中で生活していれば匂いなんて気にしちゃいられない。「良薬口に苦し」とはよく言ったもので、その良薬も作るには大変な苦労があるようだ。

 むかし、土方が行商ぎょうしょうで売り歩いていた効くかどうかも怪しい「石田散薬いしださんやく」とは大違いだなぁと総司が笑う。

「で、これからお前さんらはどうすんだ。俺は今から兵庫津まで行商だが」

 作業の傍らで薬師が訊いた。

 薬研の中のものを小鉢に移し、また別のものを加えてごろごろと摺る。その傍には何やら大きな木製の箱が用意されていた。

 薬師が慣れた手つきで箱の取っ手を引く。

 子供一人分なら入れるような大きさの箱はどうやら行商用の棚らしい。取っ手を横に引くとまたたくさんの引き出しが現れ、その一番下から白い紙袋を取り出した。

「どうするんだ、ついて来るか」

 念押しするようにもう一度薬師が問う。

 総司は黙ったままだ。それが勝太にすべて委ねていると気づくのに少し掛かり、それからまたちょっと悩んで、答えた。

「付いてく! 姉ちゃんがいるかもしれない」


「それじゃあ手伝って貰おう」


 薬師はそう言うと、部屋の奥から木刀を取り出した。



*



「ところであんちゃん、それ何を作ってるんだい」

「ああ、これか? コシネとか、まあ、そこら辺のやつだよ。煎じて飲めばそりゃもう大変なことになる」

「コシネ……?」

「うっっわ、何に使うんですか、それ」

「聞くか?」

「怖いのでめときます」

「えっえっ? なんだい、コシネって」

「聞くか?」

「……………………や、止めとく…………」

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