第四章 交易に行こう

4-1 出立の朝

 最初に彼女の舟を見た時、二つの船体――人を乗せる主船と荷を積む側船――を、渡り板でつないだだけの簡単な造りだと思った。だが実際に説明を受けてみると、空を渡る全ての機能を持っていることが分かった。


「寝泊まりはこの帆柱がある主船でするわ。側船の荷物は目的地に着くまでそのままだけど、生活に必要なものはこっちに積んであるから」


「うん」


「そのかまどが炉台……舟の浮きを調整する炉兼調理台ね。料理の時にはあんたにも手伝ってもらうけど、かまどそのものには絶対触らないように。っていうか、あんた料理できるの?」


「まあ、一通りは」


「そう。なら期待するわよ?」


「ど、努力します」


 挑発的な笑みをかわしながら、ヒタクは舟の内部に目をやった。


 舟の中央には帆をかける柱が立ち、閉じられた帆桁から何本かの綱が垂れている。舟底は空中での安定性を高めるため三角に狭まっており、横木で仕切って板を敷いた区画だけ平らになっていた。丸めた毛布が置いてあるところを見ると、そこが寝床のようだ。


 さらに舟縁ふなべりでは、右舷から棚のような荷台が空中に張り出されていた。左舷にも側船との間に渡り板が架けられ、それは二本の腕木によって支えられている。


(見た目はシンプルだけど、造りはしっかりしてるんだ)


 ウラネシアから来たのなら、もう長い時間風雨にさらされているはずだ。にもかかわらず、船体のどこにも傷みや緩みは見られない。はるばる大気の海を渡ってきただけのことはある。と納得していると、舟の主が注意を促してきた。


「航空中は渡り板の真ん中より先に行っちゃだめだからね。幅が狭くなってて慣れてないと危ないから。もし側船に何かあったら、わたしが対処するわ」


「分かった」


 そう返事をしながらも、ヒタクは舟の心臓部と炊事場を兼ねているという炉台に意識を向けていた。かまどと調理台を備えたそれは渡り板の中央付近に据えられており、料理を作るには少し狭いように見える。


「空の旅は煮物かスープなの?」 


「え? ああ。焼き料理もできるわよ。調理台はかまどの天板になっててね。金網と交換してそこで焼くの」


「へえ!」


「あ、それとね。できた料理は、外した台をテーブルにして並べるから」


「おお……!」


 実際に調理をするときのことをイメージしながら聞くと、合理的な答えが返ってきた。最小限の設備で最大限の機能を得る工夫に感心し、のぞき込むようにして炉台の観察を続ける。


「あれ? 煙突がない」


「あるわよ。ほら、その裏」


「え? ……あ、ほんとだ。でも、あれなに?」


 ヒタクが気になったかまどの排気管は、炉台の下側へと伸びていた。さらにその先は渡り板の裏側へと回り込み、半球状の部材とつながっている。


「舟を浮かべる浮きよ。中に飛晶の塊が入っててね、炉で熱した空気を送って温めるの」


 飛晶はこの空の世界に浮かぶ岩石の主成分で、外部からエネルギーを加えると重力に反発する性質を持つ。島や大陸が何の支えもなく空中に浮いていられるのは、地熱と太陽光を受けた飛晶の生み出す斥力のおかげだ。


 大地だけではない。


 空の世界を渡る航空機の大半は、この奇跡の鉱物の恩恵を受けている。ヒタクの絡繰からくり仕掛けの翼も、森に浮遊岩石が漂着していなければ、ただ木の板をばたつかせるだけに終わっていただろう――が、それはそれとして。


「渡り板の下に備え付ける必要、あるの?」


 飛舟とぶねも陸地と同じ原理で浮遊するのは理解できたが、構造まで同じにする必要はないのではないか。熱せられた空気は上昇するのだから、浮きを炉台の上に設置してそのまま温めればいい。


 そう疑問を呈すると、アヌエナは分かってないと言いたげな目でうなづいた。


「あるのよ。上だと操帆するのに危ないじゃない」


「危ないって?」


「帆は風に合わせて向きを変える必要があるの。でも煙突があったら帆桁が引っ掛かっちゃうでしょう。だから気球みたいに舟を吊り下げるんじゃなくて、下から押し上げる形になってるのよ」


「なるほど!」


 風を捕らえて前進し、火を操り上昇する。


 そうして少女は独り、大空を渡ってきた。


(風に吹かれるまま、ただ流されてきた僕たちとは大違い……ん?)


 感心しながら改めて舟を見回すと、側船の隅でなにかが口を開けている。


「アヌエナ。あれはなに?」


「あれ? ああ、あれは用を足すときのつぼ……」


 明るく応じた少女の声が途切れた。すーっと、その目が細くなる。


「見たら落とす」


「(コクコク)」


 なにを見たらなにを、そしてどこに落とすのか。


 具体的なことは一切聞かず、少年はただひたすらうなづいた。


「い、いっとくけど、汲み取り式だからね。匂いは我慢するように」


「それぐらい、文句なんて言わないよ。空に垂れ流さずにめるってことは、やっぱり後で堆肥にするの?」


「お? 分かってんじゃん」


「そりゃね」


 冷たい目元が一転、にこやかに微笑みかけられてヒタクは顔をそらした。そのくりっとした瞳に動悸どうきを覚えたが、同時に彼女に対して親近感が湧いた。


 資源の限られた島育ちの身には、排泄物さえも貴重な肥料というのは共感できる現実ものだったから。


「準備は出来ましたか?」


「クワ」


 カグヤが朝焼け色のカラスを伴ってやってきた。見送りに来たのかと思ったが、その腕にはなにやら大きな包みを抱えている。気になったヒタクは問い掛けようとしたが、その前に包みはアヌエナの手に渡った。


「よければこれをどうぞ。まきよりも燃費がいいですよ」


「え? なにこれ?」


「世界樹のもたらす、恵みのようなものです。固形燃料という点ではまきと変わりませんから、同じように炉で燃やしてくだされば」


「へえ! じゃあ早速」


 青白い塊が舟の腹に放り込まれ、さらに少女の手に握られた火打石が火花を散らす。瞬く間に、暗く狭い空間が白い輝きを宿した。


「わ、すごいっ! 火の勢いが全然違う」


「取り扱いには十分注意して下さいね。まきよりもはるかに高い温度で燃えますから。それと――」


 カグヤがいくつかの注意事項を伝える、その間にも双胴の舟はゆっくりと動き始める。


「わ。浮いた」


「驚いてないで早く乗って。でないと、置いてくわよ」


「え! うん、わか……った?」


 一瞬、(別に置いていかれてもいいかな)などと思ってしまったヒタク。だがすでに、ヤタは帆柱の頭に止まっていた。姉のお使いを放棄するわけにもいかないと思い直し、空中に浮かび上がる舟に急ぎ乗り込む。


「お、お邪魔します」


「はい、いらっしゃい」


 舟の主は帆柱を見上げながら答えた。なにをしているのかと聞くと、風を見ているのだという。


「あの帆桁の先に吹き流しがあるでしょ、あれで風の流れと強さを測って、ちょうどいい風に当たったところで帆を広げるのよ。炉の炎も調節しなきゃいけないし、デリケートな作業だからちょっと大人しくしてて」


「うん、分かった」


 目当ての風を捕まえるべく、舟はどんどん上昇する。下を見ると、だんだんと小さくなる姉が見送りを続けてくれていた。


「行ってらっしゃい。気をつけてね」


 最後に、「お土産みやげ、楽しみにしてます」と言われた。

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