第三章 世界樹の管理人

3-1 青い空への帰り

「標準高度まで上がればすぐに涼しく――とまではいきませんけど、元の気温に戻ります。それまで我慢して下さいね」


 間一髪のところでヒタクたちの元へかけり付けてくれた女性――カグヤは、挨拶もそこそこに二人を連れて森を脱出した。日が傾き色を失いだした空を力強くかけり上がる。


 もっとも、彼女が背負った翼は羽ばたき機ではない。あの輝きを放つ四枚の羽は、空気に働きかけて揚力や浮力を得ているのではないのだ。


(やっぱり、姉さんにはかなわないな)


 このヒトは、森に漂着した少年の保護者役を引き受けてくれる以前からフソウの管理者を務めている。そして彼女は、通常の物質とは作用しない重力の裏に隠れた力場に干渉することで飛べる、らしい。


 何度説明を聞いても、その詳しい原理は理解できなかったが。


 しかしその不思議な翼も、ヒタクの絡羽からばねと無関係ではない。


(形だけ真似ても無意味。それは分かってるんだけど……)


 柔らかな見かけに反する力強い腕に抱えられながら、少年は改めて自分の限界を思う。


 自分の背負うゼンマイ仕掛けの翼は、自由に空を舞う姉の姿に憧れて作ったものだ。


 しかし性能は全くの別物。


 カグヤは少年少女を両脇に抱えながら、数キロの高低差をものの数分で昇ってみせた。その強力な推進力は、とてもではないがゼンマイで再現できるものではない。


(もうここまで来た)


 赤い森では濃い大気に阻まれ見えなかった、上側の森の底が空を塞ぐように大きく広がってくる。フソウから突き出る『腕』を土台に草木の根、落ち葉、さらには空気中に漂うちりが絡み合ってできた樹の大地、樹面の裏側だ。


 カグヤが樹面の影から出ると、視界が一気に明るくなった。空の目映まばゆさに目を細めていると、耳の奥に刺すような痛みを覚える。気圧の急激な変化に、鼓膜が傷んだのだ。


(ッ! 久しぶりに来たな、これ……。絡羽からばねの飛行に失敗してた頃は、毎日のように赤い森へ迎えに来てもらってたっけ)


 思い出に浸る間にも耳鳴りは治まり、視界に見慣れた光景が広がる。夕焼けに向け薄く白みを帯び始めている青空に、ヒタクは無事帰ってこられたことを実感した。


「よかった。怪我もなにもなくて」


「なにか言いましたか?」


「ううん。なんでもない」


「ああ、涼しい」


 独り言に反応した姉の向こう側で、アヌエナがうっとりと言った。太陽はまだ頭上から照りつけており、風も熱帯特有の熱気を帯びているが、その気持ちはよく分かる。


「赤い森の、あの燃えるような暑さに比べたらね」


 同意して彼女を見やると、少女の眼差しが一転して厳しくなった。


「――で、これからどこ行くの?」


「え?」


「わたしを、どこへ連れて行く気?」


「えーと」


 少しは打ち解けてきたと思ったが違ったらしい。だが彼女からすれば、今の状況はとても安心できるものではないだろう。こうも軽々と空を飛んでみせる得体の知れない存在に、警戒感を抱く気持ちも分からないでもない。


 ヒタクがどう答えたものか迷っていると、二人を運ぶ本人が説明してくれた。


「遭難者を保護するための小屋です。時々いるんですよ。空を渡る途中で遭難して、この森に流れ着く人が」


「そうなの?」


「そこで休んだ後、一度お話しさせてください。あなたも私も、聞きたいこと、知りたいこと、色々とあるでしょうから」


「……ん。分かった」


「窮屈でしょうが、もう少し我慢してくださいね――あ、あそこです」


 言葉を交わす間にも近づいてくる森の中から、簡素な二階建ての小屋が姿を現す。あのコテージが今日という日の終着点、そしてヒタクの家だ。

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