第一章 出会いは花嵐の中で

1-1 森番の少年

 最近、花の散る日が多くなった。


 特に強い風が吹いた日など、空一面に花びらが舞い薄く太陽を覆う。


 この時、明るく空をくもらせる無数の花弁を先導役に、次代を担う種子たちが森をつ。


 だが、春が終わり夏を迎えるわけでも、秋が深まり冬に向かっているわけでもない。そもそも一年中太陽が照り輝くこの熱帯の空に、季節の変化など無縁の話だった。


――――――――――――――――――――


「ごくり」


 常夏の森で少年が一人、花とにらみ合っていた。


 同世代と比べれば小柄なことを除けば、ごく普通の一四歳。背中に二対の羽が付いた箱を背負っている点が珍しいと言えば珍しいが、これは仕事に必要なものだった。


「あ……」


 たった今まで枝先に咲いていた花が、軽く触れただけで散ってしまった。足元に数枚の白い花弁が落ちる。


「ここも駄目、か……」


 枯れ枝を見つめる少年――ヒタクは、ため息を一つ吐いて肩を落とした。


 辺りには同じように花を散らし、無残な姿をさらした木が林立している。青々と茂る森の中にあって、その周囲一帯にぽっかりと穴が開いたようだった。


「あまり長く持ちそうにないな……」


 なんとはなしに呟いて天を仰ぐ。丸裸になった森の樹冠が、の光を受けて白く輝いているのが見えた。そしてそのはるか先の、雲の上まで伸びる壁も。


 否。正確には壁ではない。


 大気の海の深淵しんえんから天空の際限まで貫く巨大な一本の樹、フソウの幹だ。


「肥料が足りなかったかな。水をやり過ぎた、ってことはないだろうし」


 直径100キロメートルを優に超える大樹を土壌とする、この空中森林に流れ着いて早七年。


 助けてくれた樹の管理者に恩返しをしたくて、ヒタクは森の番人役を申し出た。


 だがしかし。


「虫食い……には見えないしカビでもなさそうだし……。やっぱり普通に世話してるだけじゃだめなのかな」


 いつの頃からか、花を咲かせて枯れてる草木が増えた。植物も生き物である以上、いつかは世代交代を行うのだがそれにしても多い。落花に伴い種子が放たれてはいるものの、このままでは新芽が成長するより先に森全体が枯れてしまう。


 しかしどう対処すればいいのか分からず、無力さばかりが募る日々が続いている。


「うう、僕にもっと知識があれば……いやいや。嘆いていても仕方がない。次は東側」


 ヒタクは剪定鋏せんていばさみを腰に提げた鞄にしまうと、背中に負う箱に手をやった。レバーを引き内部のゼンマイを解放、連動する四枚の翼を羽ばたかせる。


浮遊展翅ふゆうてんしオオアゲハ」


 細身の体が蝶のようにふわりと浮く。


 日課とする森の見回りの再開だ。


 絡まり合うように伸びた枝葉からなる空の森の地面――樹面を蹴って反動をつけ、小さな番人は明るい緑の闇へと向かった。


(今日は風がいいや。このまま穏やかに吹いてくれればいいんだけど)


 背中に負った絡繰からくり仕掛けの翼は、重心を傾けることで空中の移動を可能にしてくれる。


 けれども風の扱いには要注意。


 飛び始めた頃は空気の流れの急な変化について行けず、一体何度落ちたことか。


「うわ!」


 安心している側から、突風が襲ってきた。横暴な風が木々の合間を縫い、枝葉を揺らす。前方で美しさを競うように咲き乱れていた花々が、無残に散らされるのが見えた。


「ああ!」


 突如訪れた花の最期にヒタクは悲鳴を上げたが、嘆いていられる時間はなかった。


 色取り取りの花びらが怒濤どとうのように押し寄せてくる。


 花吹雪をまともに受けた少年は、体勢を崩して風に流されてしまった。


「とっとと……フンッ!」


 腹に力をこめ、体の重心を前に押し出すようにして姿勢を戻す。同時に背後のレバーを操作し、翼の羽ばたく速度と角度を変えてブレーキをかけた。かき回された空気が渦を巻き、ヒタクを追い越そうとした花びらが何枚も青空に舞い上がる。


「きゃっ!」


「……え?」


 風が鳴らす音の中に異変を聞き、ヒタクは目を瞬かせた。


 今確かに、どこからか甲高い声が聞こえてきた。姉が驚いた時の声に似ていたような気もするが、どちらかと言えば幼く、明らかに別人だった。


「空耳……じゃない。――あっちから?」


 風の吹いて来た方向から当たりをつけ、正体を確かめようと森の中を飛翔する。とある老木の太い幹を回り込んだところで、また色づいた風が吹いてきた。


「……!」


 花弁の群れが乱れ飛ぶ様は、きらびやかの一言に尽きた。目を守ろうとまぶたを閉じるのも惜しい、それは華やかな演舞だった。


「わあ……」


 幻のような時間は一瞬。


 色鮮やかな幕が降り、再び空の森が姿を現す。そして残った緑の舞台の上に、自分と似たような年頃の少女が一人たたずんでいた。


「え!?」


 生身で空中に浮かんでいる。


 そう見えたが違った。


 彼女は浮遊する双胴の舟に立っている。きっと空を渡るための機構を備えた船、飛船とぶね(舟)の一種だろう。船体が二つあるタイプは初めて見るが、あれは空中でバランスをとるためか。


「ん?」


 少女が振り向く。小柄ながら健康的な体格をした娘だ。熱帯の気候に合わせた丈の短い服と相まって、活発そうな印象を受ける。その明るい光をたたえた瞳に見つめられ、ヒタクは知らず間抜けな声を漏らした。


「……誰?」


「へ? いや、そう言うあんたこそ誰よ」


 逆に聞き返される。


(そう言えば……)


 以前、保護者でもあるフソウの管理者が言っていたことを思い出す。


『いいですか、ヒタク。人に名前を聞くときは、まず自分の名前を教えて上げましょう』


『人にって……誰?』


『初めて会う人です。この森にまた、人が来ないとは限りませんからね』


『ふーん』


 その時は今一つ実感が湧かなかったが。しかし現実に今、知らない相手が目の前にいる。


(ならやっぱり、こっちから教えてあげないとだめだよね)


 空を漂流していた自分たち兄弟を保護し、家族として受け入れてくれた恩人の言葉だ。性格的にも素直なヒタクは、教わった通りに侵入者である少女へ自己紹介を始めた。


「ええっと。僕はヒタク。この森の番をしています」


「うっそ!? 世界樹に人が住んでるなんて話、聞いたことないわよ!」


「世界樹?」


「ええ。大昔、天人てんにんが天から空へ降りるために植えたっていう樹。彼らは最初、空の上に白い虹を架けて天の川を渡って来たんだけど、長さが足りなかったから空の底に種をまいた……なんて昔話、知らない?」


「ああ」


 似たような話を、幼い時に母から聞かされた覚えがある。天人てんにんが虹のたもとから降ろしたのは木ではなく梯子はしごだったが、しかし話の大筋は一緒だ。


 そしてもう一つ、ほかでもないフソウの管理者から聞いたことがある。


 あの昔話は『空の人々がここで暮らしていた頃の記憶を反映している』と。


(そうか。きっと彼女の島は、フソウのこと世界樹って名前で覚えてるんだ)


 納得したヒタクは、今度は自分が彼女の疑問に答えることにした。


「ここ、よその島と交流がないから知らなくて当然かな。僕も遭難してたまたま流れ着いただけだし」


「あ、そうなの? じゃあ生まれは別の土地なのね」


「うん。七年前に空で遭難して……あ!  もしかして、君も漂流者?」


 ひょっとすると彼女は、自分と同じような身の上なのかもしれない。


 その可能性に思い至って、ヒタクは勢いこんで尋ねた。


 しかしあっさりと、少女の首が横に振られる。


「違うわ。わたしは、初めからここが目的で空を渡ってきたの」


「ここ?」


「そう。この天をも貫く大樹、世界樹にね!」


「……お花見にでも来たの?」


 がくっ。


 思いついたままを言うと、少女が脱力してうつむいた。心なしか、肩が震えているようにも見える、と思ったところに――。


「なんでそうなるのよ!」


 はじけるような勢いで怒鳴られた。


「いや。世界樹……だっけ? 確かにこの樹は、そんなすごい呼び名にふさわしいほど巨大だけど。でも周りは森しかないよ」


「だ、か、ら。どうしてお花見をしに、わざわざ空の果てまで来ないといけないのよ。誰もそんなことのために、遠路はるばる旅なんかしたりしないわ」


「む?」


 不機嫌に言い募る少女に、ヒタクは反発を覚えた。この森の番人として、一方的な意見には異議を挟みたい。


「そんなことじゃないよ。熱帯の森は季節がないから開花が不規則なんだ。来たばっかりの君は知らないかもしれないけど、今これだけ咲いてるのは珍し……」


「そういうことを言ってるんじゃないの!」


 反論はあっさり退けられた。


「そりゃ空中に浮かぶ森ってすごいけどさ。花自体ならよその土地でも咲いてるわ。そうじゃなくて、わたしはここにしかないものを求めて来たの!」


「ここにしかないもの……」


 そういったものに心当たりはある。だがあのことは――。


(外の人が知ってるはずないのに。この子、なんで)


 ヒタクの心に不信感が芽生え始める。しかし少年の心情に構うことなく、疑惑の相手は胸を張って力いっぱい宣言した。


「わたしの狙いは、お宝よ!」

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