5-8 終結

「頼む。起きてくれ……!」


 少年は何度も呼びかけた。声を限りに叫び喚き、最後には祈るように呻く。その思いが通じたのか、電子仕掛けの瞼がゆっくりと開く。


「コーヤさん」


「アム!」


 思わず抱き付く。


「大丈夫? 身体にどこかおかしなところはない? なんていうか、無理やり起動させた形になるから」


「はい。どこにも異常はありません」


「ならよかった」


 もう目を覚まさないのではないか、という不安が消えてコーヤは安堵した。その傍らで、アムと同じ顔をした電子人形が起き上がる。


「……夢ではないようだな」


「エミリアさん」


「エミリアでいい。さん付けなど性に合わん」


「分か――」


散華スパーク!」


「!?」


 返事は衝突音に遮られた。急ぎ振り返れば、ドワーフの女がナイフに火花を散らせて黒い外套を破っていた。すかさずクロームウルフが牙を突き立て、白い仮面に食らいつく。


 話し込んでいる暇はない。鋼の獣を淡々とはね退ける電使を睨みながら、コーヤは必要なことを尋ねた。


「あの掃除屋は、あいつをどうにかする方法がある、みたいなこと言ってたけど」


「ああ。そういえば話が途中だったな」


 エミリアは一つ頷くと、大破した半獅子の巨人に歩み寄った。かろうじて原形をとどめる胴体に手を添えると、祈るように命じる。


電素喰いエレカイーター、ランディング」


 頭や手足を寸断されてなお、電導具としての機能はまだ生きていたらしい。巨人は胸部を輝かせると、電子の海から禍々しいほど巨大な銃砲を己の背中に陸揚げする。


「電蝕砲だ。情報の根源である電素を無秩序にかき乱し、対象の存在意義を物理的に消し去る電素攪乱兵器」


「そんなものまであるのか」


 まさに規格外といっていい切り札に、コーヤは半ば呆れさえ覚えた。だが同時に、重要なことに気付く。


「ちょっと待ってくれ。ランディングはできても動かせないと意味ないぞ?」


 過酷な運用が続いた電導甲冑はもうボロボロだ。電装を実体化させる電理機は機能しても、作動させる電力が残っていないと意味がない。


 しかし電導士の懸念は、歴戦の戦士を不敵に笑わせるだけだった。


「なに。ないモノは調達すればいい。あの掃除屋達もプロだ」


 そう言いながら彼は、自分を姉と慕う少女に声をかける。


「非常用電源の一つぐらい用意しているだろう。アム、手伝ってくれ」


「はい!」


「あ、俺も……」


「そっちはバッテリーでも出してくれ。この際電力は多い方がいい」


 電力で魔法を模す電導士に頼み、エミリアはアムに支えられながら放置されたバンに向かう。一方、バッテリーと聞いてコーヤの頭にひらめくものがあった。


「……ああ! ちょうどいいのがあるぞ。すぐ準備する」


 急ぎ路上に倒れる愛車に駆け寄り、荷台のボックスを開ける。取り出すのは今日購入したばかりの大容量バッテリー。ケーブルを伸ばし、右手のブレスレットにつなぎながら相棒に状況を確認する。


「向こうはどうなっている?」


「クロームウルフとエルフの人が牽制して、反撃をドワーフの人が防いでいます。ですが、もって五分が限界でしょうか」


「そんだけありゃ十分」


 手早く接続を終え、バイザーディスプレイに設定画面を映す。と、同じタイミングで仮想窓が開き、銀髪の少女が顔を出した。


『コーヤさん』


「アム」


『姉さんが、電蝕砲は動かせそうだからバッテリーはそちらで使え、とのことです』


「こっちで?」


『電素攪乱に合わせて、最大威力の電導法を放って欲しいと』


「分かった……展開オープン!」


 返事もそこそこに、必要な項目を流し読む。


「……行けるな」


「はい」


「それじゃアム、その時に合図して」


『わかりました』


 準備は整った。後は電言コマンドを唱えるだけだ。


「では行きますよマスター。制限解除、出力最大」


「ランディング雷神インドラ!」


 バッテリーに蓄えられた電力の全てが電導具に流れ込む。荒れ狂う電流に電理機が悲鳴を上げ、電素が暴走と言っていいほど活性化する。


「ぷぎゃ!」


「パティ!?」


 突然、妖精の姿がぶれた。声も途切れ途切れに、彼女は自身の状況を報告してくる。


「申し訳……ませ……スター。電圧が……ぎてウェア……にもえいきょ…………いじょ……サポー……」


「いいさ。後は俺がやる。パティはアムとの回線を維持することに専念してくれ」


「りょ……』


 やりとりする間にも情報の奔流が沸き起こり、強大な電子の魔法陣を形成する。腕輪をした右手に、押し潰されるかと思うほどの負荷が来た。それでもアムの信頼に応えたい一心で耐えていると、強引ともいえる元素変換を通じて黄金の槍が実体化を果たした。


「きっつ。けど、ここまでくれば……」


 少しでも気を緩めると暴走しそうな電装を抑え、コーヤは電使エレカンジェルを足止めする二人に声をかける。


「おおい、退いてくれ!」


「お? 起きたか……って、なんだそりゃ!?」


「ちょっと反則じゃないかな、少年」


 掃除屋たちが騒ぐが無理もない。電導士の手に握られたそれは、もはや稲妻そのものなのだから。あふれ返る光が、唸り震える音が、焼け付くような熱が全身を襲う。手にし続けるには負担が大きすぎ、また実体として不安定でいつ崩壊してもおかしくない。


 だが、時間をかける必要などない。


 強い絆で結ばれた姉妹が、鋼鉄の獅子を台座に一発逆転の切り札を構える。


「いきます!」


「電蝕線照射!」


 力強い宣言。洞穴のような砲口から黒い光が放たれ、白い仮面を照らす。闇の輝きをどう判断したのか、電使エレカンジェルは自ら大鎌を手放し全身をマントで覆い隠した。


「――!」


 ハイウェイの街灯が見下ろす中、黒と黒の衝突が火花を散らす。さらには闇の照明を浴びた路面が徐々にくぼんできた。まるで水にさらされたドライアイスのようにアスファルトが蒸発し、下に隠れていた土が露わになっていく。その大地も闇に呑まれていき、くぼみの成長が続く。


 深夜の道路を包む灯りが消えた。夜の帳が舞い降り、電素攪乱の中心部がいよいよ何も見えなくなる。


「なんだ!?」


「電素障害! ああっ、こんな時に!」


 ドワーフの女の問いに、エルフの男が悲鳴のように答える。


 道路の端まで進行した陥没により傾いた街灯。あの一本を起点として、電蝕砲の影響が周囲の街灯にまで波及したのだ。通信回線を通じ、天候や時間帯に応じて相互の光量を調節するスマートシステムが仇となったようだ。


 しかし電導士は動じない。


 その手に光を握っているから。


「コーヤさん!」


雷霆鎗フルグランスっ!」


 輝く槍を力いっぱい投擲。紫電の穂先が電子仕掛けの天使を穿ち、さらに黒い光と衝突して弾け飛ぶ。実体を失った槍は電波のうねりとなって大気を揺さぶり、余波を受けた街灯の何本かが明滅を繰り返す。


 世界が白に染まった。


「アムッ!」


 あまりの光量に目がくらみ、捉えきれない轟音で耳も聞こえなくなる。


 色も音も絶える中、コーヤは必死に呼び掛けた。


 やがて光が晴れ、視界が戻るその先に。


「あ……」


 姉に飛びつく妹の姿があった。


「やった、やりました姉さん!」


「ふ、やはり姉か」


「あ……ごめんなさい。まだデータベースの更新が」


「いいさ。こんなにかわいい妹ができるのなら、女になるのも悪くない」


「いかないのかい、少年」


「もう少し、な。まだやることが残ってる」


「やること?」


 ドワーフの女が眉をひそめたところに、感情のこもらない無機質な声が響く。


「ヨモヤ……二度モ同じ相手ニ妨害されルトハ……。学習アルゴリズムに見直しがひつヨウカ?」


「なっ!」


「あらま」


「決定打を放ったのはあの二人だ。俺は最後に少し、後押ししたに過ぎないよ」


 驚愕に固まる掃除屋達に構わず、コーヤは幽鬼のように立ち上がった電使エレカンジェルを睨みつけた。


 もうこれ以上は彼女たちを戦わせないという、確固とした意志を持って。


「二人の勝ちだ。手を引いてくれ。っつうか、もう二度と出てくんな。このお化け野郎!」


「イッセンは引かなければなラナイ。サモナければ、ヒトの文明は際限なく膨張を続け、最後に全てが破綻スル。……カツテの大絶電グランドアウトのヨウニ」


「あの光景が見えないのか? 互いが互いを思い合う心に人も機械もあるか。あんたは二人の命だけじゃなく、魂まで否定する気かよ!」


「……」


 意外なことに、相手は素直にアム達へと目を向けた。喜びから一転、お互いを庇い合うように立つ姉妹の姿に何を思ったのか、間を置いて再び赤い瞳を戻してくる。


「な、なんだよ」


「……ナルホド」


 ひび割れた仮面から独り言のような呟きが漏れる。


「アイニ負けタカ」


「!?」


 思ってもみなかったその言葉に、コーヤは目を白黒させた。


《カーン、ゴーン。カーン、ゴーン》


 少年の動揺を鎮めるかのように、どこからか鐘の音が響いてくる。


 遠く幽かなその音は、しかし耳鳴りのようにはっきりと聞こえる。


「これは……」


「ジカンダ」


 電使エレカンジェルが虚空を見上げた。どうやら、先ほどのパティの推測は正しかったようだ。その姿が徐々に透けていく。


「電界の使者ヲシリぞけし者タチヨ。サイゴにこれだけは言っテオク。――コノセカイは、人が生きるために存在スル」


「……」


「コンカイは潰しタガ、精神をデザインする研究が今後も続ケバ、いずれ人と機械の区別はつかなクナル。ソウナレバ地上は機械仕掛けの箱庭ダ。月宮の匣ムーンアークにおいて、最高レベルの保護対象に設定されたヒトという概念自体も消失スル」


 そこまで言って、世界の守護者はコーヤの目を見た。


 違う。


 ドワーフの女にエルフの男、アムとエミリアの前にすら無表情の仮面が顔を向けていた。さながら拡張現実に表示された映像のごとく、その場にいる全員と――もしかするとこの事件に関わりのある者達全員と――視線を合わせている。


「ソノトキがくれば、電主は再び全てをデータとして匣の中に戻すダロウ。ソシてソレは、二度と再生サレルコトハナイ」


「……」


「アトはタダ、太古の石版のゴトク月に記録媒体が残るダケ。ウチュウの寿命が尽きるマデモなく、世界は終ワル。――ならばコソ」


 空間を揺らして闇が翻る。白い仮面と銀の大鎌が見えなくなり、鐘の音も止む。ただ赤い瞳だけが、脳裡に言葉を伝えてきた。


[生を思え。生きる意味を考えろ。お前に心があるならば]


 世界の守護者エレカンジェルが去る。


 空が白み始める。


 長い夜が終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る