4-3 追う者、追われる者

 海岸沿いの道路を一台のバンが走る。寝泊りできるほど貨物スペースが広く、悪路でも安定した走りを見せるそれは、長年に渡ってアウトドア志向の人々から支持を受けている車種だ。その正面の座席で、ドワーフの女が社会で一般的な全自動操縦技術を拒否するようにハンドルを握っている。


 実際、女――アリスは人工知性を信じない。


 人工知性がどれほど優秀だろうと、ハッキングのリスクは常に存在するからだ。むしろ、ウェアコンで自身の感覚を車とリンクさせた方が安全だと信じている。


 その上で、彼女が仕事の足としてこのバンを選んだのは、愛好者向けに設計された趣味の車だからだ。様々な目的に使える汎用性は裏社会の仕事でも重宝するうえに、交通ガイドの整った街中で手動運転をしていても誰かに怪しまれることはまずない。


 アリスは今、車と一体化しながら仕事の途中経過を依頼主に報告していた。


「ええ。特に損傷などはありませんわ。凍結も無事に終わりました。今そちらに向かっているところです」


『それはなによりだ。やはり君たちに依頼して正解だった』


「恐縮ですわ」


 ヘッドギア型のウェアコンを介するやり取りは音声だけ。これは相手方の意向だが、アリスとしても姿を見せずに済むのはありがたい。他の人種より背が低いドワーフの女は、実年齢より幼く見られやすいのだ。普段なら絶対に使わない、作った声で報告を続ける。


「ただ一つだけ、気になることがありますの……」


『な、なにかね!?』


「『回収は極秘に』ということでしたが、我々が見つけた時にはすでに、アムサー・ツウは人と接触していました。ですから、そちらの機密情報が漏れていないという保証まではしかねます」


『ああ。それぐらいならば構わない。元よりAMシリーズは箱入りだからな。人工精神に余計な知識は……ごほん!』


 今、依頼人が明らかになにかを誤魔化した。だがアリスは気付かないふりをする。知る必要のない情報は知ろうとしない、裏道を安全に歩くときのコツだ。


「問題がないとおっしゃるのでしたら、こちらから申し上げることはなにもありませんわ。それより、マルティコラスの行方は……」


『ねえ相棒』


 不意に、フロントガラス上部に仮想窓ウインドウが開いてボビィが姿を見せた。後部スペースに陣取る彼は、先程から電子人形サイドールを保管したケースの管理や交通システムへの介入などで忙しく動いていたはずだ。その上で、連絡してきたということは――。


『電相空間で、電素の流れにほんのわずかだけど揺らぎが出てるよ』


「っ!?」


 反射的にタイヤを止める。掃除屋としての勘だ。車体に備わる各種のセンサーはなんら異常を伝えてこない。だが、情報の集合である電相空間内に生じる乱れとは、電素という影を落としている光――電子の活性化した証。


(こういうときは大抵、誰かが情報操作系の電導法を発動しているんだ)


 アリスは機械の観測よりも己の感覚を信じた。


 タイヤがきしみ路面と共に不協和音を奏でる。バンが急停止するのとほぼ同時に、街灯が照らす明かりの中から大きな人影が現れた。


『な、なにごとかね!』


 事態の急変は空間を隔てた向こうへも伝わったようだ。不安と焦燥を露わにする依頼主へ、アリスは状況を簡潔に告げる。


「……いいお知らせです。たった今、本来の目標である電導甲冑が現れました。どうやら電子人形サイドールともども、まとめてお届けできそうだ」


『! ひょっとして、今から戦闘に入る気かね! ま、待ちたまえ。万が一アムサ―・ツウに何かあれば……』


 通信を切る。


 眼前には、人の上半身に獅子の下半身をかたどった異形の巨人――。


(電導甲冑マルティコラス。人工知性に乗っ取られた強化装甲服パワードスーツ。港じゃ地の利を生かしながらどうにか追い立てたが……)


 戦いはすでに始まっている。


 障害らしい障害のない場所でどう動くべきか。


 戦闘プランを考えながらバンを降りたアリスは、まず相手の出方を探るべく声をかけた。


「そちらから出向いてくれるとはね。家出は終わりかい? わんぱく人形君」


「いいや。妹を迎えに来ただけだ」


「へえ?」


 厳めしい鉄面皮から思いがけない返事があり、ドワーフの片眉が上がる。


 人工知性に血縁があるはずもなく、言葉通りには受け取れない。無論、開発過程や作製状況によっては、疑似的な類縁関係が生じるケースもある。


 だがそれ以前に、アリスが最初に受けた依頼は研究所から脱走したマルティコラスの捕獲だった。逃げた側が迎えに来たというのは、論理が基本の彼らにしては奇妙な言い方だ。


(これ以上の逃走は難しいと判断して交渉に切り替えたのか? 自分の他にも研究所の機密が流出したと知って、身の安全を保証する材料を押さえに動いた……)


 なんにせよ、向こうから姿を現した上で対話に応じたということは、何らかの要求があるはずだ。裏道を駆け抜ける中で磨かれた直感に従い、アリスは相手の動きを待つ。


 すると果たして、巨人がバンを指さしてきた。


「アムを……アムサー・ツウを渡してもらおうか。ついでに車ももらえればありがたい」


「強盗かい。ま、うちの足がなにかと便利なのは認めるけどね」


「いやいや。この御仁、先にお人形の方を要求したよ。ひょっとすると独りが寂しいんじゃないかな」


 後ろからボビィの声が割り込んできた。視線を向けると、助手席の窓から身を乗り出している姿が見えた。


「つまらん茶々入れるな」


「……今回の一件、お前らはどこまで知っている?」


「あ?」


 再び、マルティコラスから予想外の言葉が投げかけられた。視線を戻すも、無機質な巨人の顔からその意図を読み取ることはできない。


「……どこまでも何も、急な依頼でクライアント自身が相当慌ててたからね。固有人格を持った人工知性の、研究用の械物メカニスタを道連れにした脱走劇。それ以上の話は聞いていない」


 これだけでもかなり胡散臭いが、掃除屋は是非を決める立場にない。依頼通りにトラブルという名のゴミを片付けるだけだ。


「まあ、通信一本で動く便利屋を雇う当たり、いろいろと深い事情がありそうだけどさ。『よそ様の敷地は覗かない』これが裏道を歩く時のマナーって奴だよ」


 相棒が後ろから茶化してくるが、今度は相手に向けた意識をそらさない。どんな些細な動きにも対応できるよう、アリスは軽く力を溜めながら身構える。


 変化はすぐに訪れた。


《――》


 無骨な機械の鎧の胸部が音もなく開く。ゆっくりと姿を露わにする装着者を目にして。


「なっ!」「へ?」


 仕事屋の二人は絶句した。


「直接顔を合わすのは初めてだな、掃除屋ども。俺の名はエミリアとなっている。今夜限りの逢瀬だろうがよろしく、と言っておこうか」


 濁りのない澄んだ声に似つかわしくない、ぞんざいな口調で名乗るのはこの上ない美少女。それは収納ポッドに眠るアムサー・ツウと全く同じ姿をした電子人形サイドールだった。


 ただし、その髪の色は銀ではなく金だが。


「裏道のマナーはどうか知らんがな、車よりアムの優先順位が高いのは確かだ。理由は――想像つかないか?」


 そう言って電子人形サイドール――エミリアは、強調するようにその流麗な髪をなびかせてみせる。道路脇に立つ街灯がその様子をスポットライトのように照らし、白磁の指で金糸を梳く仕草をひどく幻想的に演出した。


「同型機だったのか」


 つい見入ってしまったアリスは、思ったままを口にした。これなら妹というのも納得できるという感想を込めて。ところが、返ってきたのは微妙な否定だった。


「正確には模式機体タイプフレームだ。アムの……AH型電子人形の典型といったところか。さらに言えば中身ソフトも違う」


「ふうん?」


 違いが分からず、アリスは曖昧に応じた。模式機体タイプフレームなどという言葉は聞いたことがない。


 口ぶりからして、一般的な原型アーキタイプ試作品プロトタイプとは異なる概念のようだ。だがそれも、裏稼業の者が覚える必要のない単語だろう。余計なことは詮索せず、理解した範囲でまとめる。


「つまり、あんたは研究所に戻る気がないだけでなく、姉妹機であるあの娘も連れて行こうってのかい?」


「そうだ。あそこは屑どもが支配するゴミ溜まりだ。アム自身はまだ手荒な扱いを受けたことはないが、いずれ酷く無残な仕打ちを受けるだろうことは目に見えている」


「自分の子供にそこまで言われるなんてねー。どうやら、今回の依頼主様は特殊な嗜好をお持ちらしい」


 ボビィがまたもや軽口をはさむ。だがエミリアは、今度は取り合う素振りも見せずにアリスへ向けて口を開いた。


「取引と行かないか」


「……はい?」


 無視されたエルフが呆けたような声を上げる。だが、アリスも似たような気持ちだ。


(ずいぶんと人染みているね)


 後ろ暗い目的のために組まれた人工知性ソフトは、常識や良識の縛りをある程度緩めてあるのが常だ。だがそれでも――あるいは悪事に加担させるならなおさら――人と対等、もしくは同等であるかのように振る舞うプログラミングなど、誰も行わない。ましてや『取引』などと、自ら主導権を得ようとする人工知性など誰が欲するのか。通常はお願いレベルとどめておくものだ。


 それとも、これがゴミ溜まりとやらから生まれた成果か。


「アムを渡してくれれば、俺の持つ機密情報を全て渡そう。あの研究所どころかアシュラム本体の存続にかかわる重大な秘密だ。使い方次第で莫大な金になる」


「……悪いね。商売は信用が第一。これは裏も表も同じだ。取引には応じられない」


「そうか」


 気を取り直して交渉の決裂を告げても、機械の麗人は眉一つ動かさなかった。だがその声には、ただの確認以上のはっきりとした感情が宿っている。


 それは望みの叶わない現状への失望でも諦念でもない――決意。


「ならば自由は、戦って手に入れるとしよう」


「人形がよく言う。……いや、逆にらしいか?」


 再び音もたてずに閉じていく鎧。装甲が閉まる寸前に見えた赤い瞳は、確かに闘志を秘めていた。だんだんと、相手が本当に電子人形サイドールなのか自信を持てなくなってくる。


(いやいや。戦闘を前に何を考えている、自分。誰であろうと、何であろうと、目の前に立ちふさがるなら取り除くだけだ)


 アリスは雑念を払って身構えると、右手に装着している指輪型電導具に命令した。


戦闘装束コンバットウェア、ランディング。得物は戦鎚ウォーハンマー


 変装用に着た作業衣が光に包まれると、一瞬で黒の上下に変わる。その上から各関節部に防具がはまり、グローブとブーツが手足を固める。同時にシンプルなプロテクターが頭部に展開、ヘッドギア型のウェアコンごと保護する。さらに、データとして電子の海に沈んでいる愛器の引き上げも進行。身の丈を優に超える大鎚が実相へと引き上げられ、その長い柄がアリスの両手の平に収まった。


「フンッ」


 重く巨大なヘッドを頭上高く掲げる。銀色の光沢が、街灯の淡い光を反射して緩やかに輝いた。


「おもちゃを壊して遊ぶ趣味はないがね。そのごついのは潰させてもらおう」


 人ならざる巨人を前に、ドワーフの戦士は高らかに宣言した。

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