混沌の王と呼ばれる巨大な魔物は、闇の塊のような液体を大量に吐き出して片膝を地に突いた。


 地鳴りが響き渡り木々が揺れ、砕けた地面が靄のように土埃を舞い上げる。


 だが同時に、剣を携えた若者も同じようにその剣を杖にして片膝を突き、苦しそうに血を吐いた。


『もう充分じゃ、エルンスト! 術式に入る‼︎』


 山の頂きで準備をしていた魔導師が念話で告げる。


『退がれ! 魔王を、混沌の王を今、封印する‼︎』

「ダメだ、ウィンドー!」


 若者は初老の魔導師を止めようとした。


「ここで倒すんだ! さもなくば奴はまた必ず復活する! その時、その場にはもう我々はいないんだ!」

『だがもうお前さんが……』

「発動してくださいウィンドー師」


 司祭の装いの若い女性がそう言った。


「ファタリィ!」

「もう充分です勇者様。あなたはよく戦った」

「しかし……せめてあと一撃!」


 ファタリィと呼ばれた白いローブの娘は勇者に抱きついて彼が立ち上がろうとするのを止めた。


「もうやめて。エルンスト。これが私たちの限界よ」

「ファタリィ……!」


 彼女は泣いていた。


「倒せなかったと考えないで。私たちは、魔王を、混沌の王を。封印することができたの」


 暗雲を割いて無数の魔法円が夜空に輝いた。太古の魔法を復活させた賢者ウィンドーの封印の術理。その発現だった。


「だけど……‼︎」

「あなたは限界なの。私は……私の奇跡の力を持ってしても……もう……」

 彼女の言葉を裏付けるように、勇者はもう一度咳き込んで血を吐いた。


 その時、夜空全体が白く光った。

 古代神人の叡智の結晶たるマナ真言純粋論理学の作用原理の複雑な構成であらゆる魔力の働きを分散偏向するように編み上げられた魔法の障壁は、輝く光の円陣となって唸りを上げる魔王に次々と殺到した。一つ一つがドラゴンをも縛る威力を秘めた究極封印呪の光の檻。その数は三十に及んだ。


 悪魔を穴に押し込める神々の掌のように、それは魔王を叩き、抑え、縛り、地の底に押し込めようと働いた。


 地震、地鳴り、この世の全てを呪うような恐ろしい唸り声。


 一つの縛を十年!

 三十の縛を三百年!


 それは声ではなかった。

 魔導師が使う念話とも、精霊遣いが使う声飛ばしとも違っていた。


 魔王の、混沌の王から滲みでた怨嗟そのものだった。


(倒す……奴を倒すんだ……!)


 薄れゆく意識の中で、勇者はたった一つのことを念じ続けていた。


(倒す……魔王を。倒す……!)


***


 はっ、と目覚めたリリーメイは、自分の身体と辺りの様子を確かめて、そこがいつもの、平穏そのものの自分の寝床であることに安堵した。


「また……この夢」


 リリーメイは窓の外を、勇者の剣だとされて祀られている石碑のある丘の方に視線を送ったが、そこには夜空と丘の輪郭を示す黒々とした影があるだけだった。


「まさか……ね」


 寝巻きの居住まいを正したリリーメイは浅く溜息を一つ吐くと、再び眠りの世界へと自分を沈めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る