アクタさんと芥川さん

 最終回が先週とか、まだ信じられません…ふわふわしている…


 さて、侵略者芥川さん=アクタさん(制作者さんのTweetで、あの人はこう書かれていたと仰っていたので)。


 個人的に、彼が太宰さんにとどめを刺されなくて良かったなぁと思っています。

 友人は、「太宰さんがアクタさんをとどめを刺さなかったことには安心したけど、ある意味で自己完結でもあって、それはそれで何だか残念」と言っていました。

 確かに、ある意味で(記憶を無くした所為で、本望では無かったとはいえ)アクタさん自身の交わりから得た仲間からの影響が少ないようにも見えて、そこは残念ではあるのですが。


 でも、少なからず、太宰さんの影響もあるのではないかな、と思う次第です。

 太宰さんの瞳を「嫌だ」と言うのも、ある意味影響を受けている気がしますし。


(あれは、真っ直ぐに『芥川龍之介』を求める視線=ファンの期待=親友を追い詰めるものというのが大きいと思いますが、良心に突き刺さるという意味もあるのではと。アクタさんは芥川さんが第一優先なのは確かですし、それ以外は排除するという意志も確かだと思いますが、それでも仲間だと言ってくれた人たちへの想いも偽物でゼロだったかというと、それは違うのではないかと。多分、アクタさん自身も優しい人格のように見受けられますし、記憶を取り戻したからと言って、ばっさりぜーんぶ無かったことには出来ないのではないかなあ)


 太宰さんを殺しきれなかったのは、アクタさん自身の優しさとか、押し込めた仲間への気持ちとかが、無意識に出ていたのでは…と思ったり。

 それが、「流石にもう『芥川』とは呼んでくれないんだね」に繋がるのでは。

 あれ、気の所為かも知れませんが、少し残念そうにも聞こえるのです。

 アクタさんは「嫌だ」と言いながらも、やっぱり太宰さんを可愛い後輩だと思っていたんじゃないかなあ。

 『藪の中』での太宰さん評、記憶が無かったときのものだけれど、それでも本心ではないかな。


 そんな太宰さんが、アクタさんを最終的に斬らなかったことは救いだと感じました。

 図書館に戻ってから、黙って殴られてましたし、本を守ることとアクタさんを攻撃しないこと(武器が無いから仕方ないかも知れませんが、でも特に殴りかかることもしてないので)を両立しようとしているのは、太宰さんなりのけじめというか、「芥川先生とその本を守るためにはこうするしかないけど、でも俺はアンタもやっぱり好きだよ」を表しているのかな……と思ったり。


 あと、最終的に芥川龍之介さんが、アクタさんを斬ったこと。


 私は、『ファンが作者を救うこともある。けれど、やっぱり最終的に自分を救えるのは自分しかいない』という、ある意味残酷な真実を描いたのかなあと感じました。


 思えば、アクタさんも「けれど太宰くんは自分で自分の本を~」と言っていましたし、このアニメ自体がもしかしたら『周りの助けはあるかも知れないが、結局自分を救うのは自分しかいない』ということが根底に流れているのかも知れない……。


 でも、それを最終的に芥川さんでがっつり表現しているのがいいなと思いました。


 太宰さんが主人公だけど、でも物語は、芥川さん(アクタさん)による、芥川さんのための、芥川さん(アクタさん)を救う物語だったんだなあ……。


 最後、二人とも微笑んでいて良かった。


 芥川さんの中にアクタさんが戻っていった。芥川さんの中にアクタさんがちゃんといる。


 それが、とてもとても、良かったなあと思うのです。


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