第13話 真島伊織は目撃する

「お兄ちゃん、お風呂あがったよ~」


 瑠香がバスタオル一枚だけ身体に巻き、お湯で濡れた髪の毛をタオルでパタパタと乾かしながら俺とテレビの間に立つ。


「おい、ちゃんと服着ないと風邪ひくぞ」

「え~お兄ちゃん的には可愛い妹のこんなセクシーな姿を見れて嬉しいでしょ?」

「…………」


 そう言って、瑠香は大股開きで腰に手を当て、俺の顔を覗き込む。


 僅かに濡れの残った鎖骨に、色っぽく紅潮した頬。薄っすらと覗く谷間と、ぴったりとボディラインに沿ったタオル姿……。


 もしこれが氷菓や陽だったら……恐らく俺はこの場で果てていただろう。色んな意味で。

 そして一片の悔いなしと言葉を残し、死ぬ――(あるいは殺される)。


 ――だが。


「悪いが、お兄ちゃんは瑠香にセクシーさは求めていません」

「え~なんでさ! 何が足りないの!」

「何もかもだ。だがいいんだ……瑠香は可愛い!! それだけの事実があれば十分じゃないか!」

「お兄ちゃんのは身内びいきだよ……どうせならセクシーだと言ってほしいんですけど」

「悪い、さすがの俺も嘘は言え――」


 と、俺が言葉を言い切る前に、瑠香の脚が俺の脛を蹴り飛ばす。


「――ったい! 弁慶でも泣き出す人間の急所なんですけど!?」

「男の急所よりはましでしょ! まったく、女心がわかってないんだから」

「悪い……」

「はあ。お兄ちゃんはいつになったらモテ期がくるんでしょうか……」

「ま、俺には来ねえよ」

「えー……あ、でもこの間の女の人は!? すっごい美人だった」

「陽か?」

「そうそう! あの人は――――――はまあ美人過ぎるしさすがにお兄ちゃんはないか……」


 酷くないですかね。

 あの日はあんなに姑ムーブしてたくせに。まあ事実だからわざわざ否定はしませんが。


 瑠香はもぞもぞと冷凍庫からアイスを出すと、ぺろぺろと食べだす。もう俺には興味がないようだ。


「……んじゃ俺は風呂入ってくる」

「ひってぇらっはーい」


◇ ◇ ◇


 パパっと風呂に浸かり、疲れを流す。やはり風呂に浸かるのは良いな。


 俺はパンツ一丁で居間に立つ。


「ふぅ。四月といえでも風呂上りは暑いな。何か飲み物――」


 あっ、そういや瑠香がアイス食ってたな。俺も食おう。


 冷凍庫を開けると、俺の身体を冷やす冷気がブワっと上昇してくる。はあ涼しい。

 中には、冷凍食品に紛れてアイスの箱が一つ。


 どれどれ……。


 と、箱の中に手を伸ばす。しかし、いつまで探ってもアイスらしきものが出て来ない。


「?」


 箱を冷凍庫から取り出し、上下に振ってみる。

 ――なるほど、音はしない。


 次に中を覗き込んでみると……。


「……あいつ、最後の一個食いやがったか……」


 俺は二階に上がると、瑠香の部屋をノックして中を覗き込む。


「なあ、瑠香――」

「きゃあああ! 上裸で部屋入ってこないでよ!」

「入ってないが……」

「屁理屈はいいから! で、何!?」

「いや、これからコンビニ行くけど何かいるか?」

「あーマンガのお供に何かおかし欲しいな」

「おいおい、お供ってこれから読むのか?」


 もう時計の針は十時を示そうとしていた。


「明日休みだからいいでしょ~今日中に制覇するのだ!」

「そうっすか……じゃあ行ってくるわ」

「気を付けてねーお兄ちゃん」

「うい」


 俺は部屋で服を着替えると、家を出る。


 夜の街は好きだ。昼とは全く雰囲気が違い、どこか冷たい印象を受ける。別世界に来たような気分だ。斑に光る街灯が、より雰囲気を醸し出す。


 繁華街はキラキラときついが、住宅街の夜の雰囲気は本当良い。ボッチに優しい世界だ。


 明日は土曜日。陽たちと映画に行く約束をした日だ。誰かと遊びに行くなんてすごい久しぶりだな……。中学では……だめだ、記憶にねえ。本当入学したての頃に氷菓と遊んだくらいの記憶しかない。我ながら虚しくなってくる。


 これが男友達ならまだもっと純粋に喜べたはずなんだが……両脇に美少女は周りの目が怖すぎる! 一日無難に終わってくれるといいんだが……。


 そうこうしているうちに、コンビニが見えてくる。

 暗闇の中にポツンと浮かぶ現代の不夜城。


「さて、何のアイス売ってるかな――」


 とコンビニへ向かって横断歩道を渡ろうとしたその時、前方に鼻歌交じりにルンルンとスキップする人影が目に入る。


 どこか見覚えのあるシルエット。


「…………」

「ふんふっふーん、ふんふっふーん。あいっすーあいっすー」

 

 そう言ってその人影は楽しそうくるっとその場で一回転し、刹那……俺と目が合う。


「あっ」

「……………………」


 どう見ても氷菓だった。


 目の前の氷菓は、着ていたパーカーのフードを無言で目深に被ると、そのままゆっくりと来た道を戻ろうと歩き出す。


「おいおいおい、まてまてまて! 氷菓だろ!?」

 

 俺は氷菓の腕を掴むと、僅かに震えているのが分かる。


「…………もう死にたい……」


 フードを掴んだままこっちを振り向いた氷菓の目は、コンビニの光に反射してウルウルと潤んでいた。


「いや、死ぬ必要ないだろ……」

「いやだいやだいやだ!! あーもうあんたにこんなところ見られるなんて!!」

「小学校の時とか割とそんな感じだっただろ」

「成長したの、私は! 大人の女に!!」

「大人の女はコンビニ行くときも多分パーカー着ないぞ」


 氷菓の理想とする大人の女は、だが。


「…………奢れ」

「はあ?」

「お・ご・れ! 私は傷ついた! アイス奢れ!」

「理不尽かよ……見られて恥ずかしいことなんかするんじゃねえ!」

「見た方が悪い! なんで明日映画いくのにこんな時間に外出てるのよ! 早く寝ろ~!」

「うっさいな! まだ十時だよ!」

「奢れ~奢れ~!!」

「わかったわかったうっさいな! 近所迷惑だから! あと痛い! ぽかぽか胸を叩くな! 買うから!」


◇ ◇ ◇


「ふっふー、まあ許してあげるわ。これで」


 氷菓は手にミルクアイスを持ちながら、満足気に笑う。


「勘弁してくれよ……明日も金かかるんだからよ……」

「とりあえずお礼は言っておくわ。ありがとね」

「……」

「何よその顔」

「いや、氷菓ってお礼言えるんだと思っ――いって!!」


 氷菓の足が、俺の脛を捉える。


「言えるに決まってるでしょうが! 舐めないでよまったく。先に帰るから!」

「おま……一日に二回脛はきついって……」

「一回目ですけど――あぁ、瑠香ちゃんか。ふふ、女の子のことを理解してないからよ」

「なんだそりゃ……」

「じゃあね、伊織。明日は……まぁこんな成り行きで急に決まった映画だけど、一応楽しみにしてるからさ」


 そう言って氷菓は手をヒラヒラと振って家へと帰って行った。


 まさかあんな姿の氷菓を久しぶりに見れるとはな。

 それにしても……。


「家隣なんだから一緒に帰りゃあいいのに」


 こうして他愛もない時間が過ぎ、世は更けていく。


 明日は、映画だ。

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