第5話 雨夜陽は転校生だ

 春休みが開け一週間が経ち、土日を挟んだ翌月曜日。それは突然訪れた。


 氷菓が学年一のイケメンに告白されると言う、新学期早々の一大イベント……そしてまさかの振るという予想外の結末に、学年中が沸き立ち、その熱気が冷めやらない中、早くも次の話題で持ち切りだった。


「なあ知ってるか? 隣のクラスに転校生がいるらしいぞ」

「あー聞いた聞いた。めちゃくちゃ可愛いんだろ?」

「そうそう! 先週は始業式以外休んでたらしいんだけど、今日から来てるってよ!」

「まじか!! 見に行くべ!」


 そう、転校生が現れたのだ。


 こんな時期に転校生? ……と言えば何か物語が始まりそうなものだが、残念ながら進級タイミングの四月というのは転校としてはかなりオーソドックスなタイミングだ。何ら不自然でも何でもないのだが、転校生とは目立つもので……その話題で持ち切りになるのも分かる。


 しかもめっちゃ可愛いと来た。超可愛い転校生とかどこの世界の存在だよ。


 これがもし俺の家の隣に引っ越してきたのが美少女転校生だった……! となれば、晴れて俺も主人公の仲間入り、ラノベ顔負けのハーレムの始まり――なのだが、残念ながら俺の家の隣には氷菓というアイス顔負けの冷たい女が既に居座っている。


 しかも隣のクラスとか、絶対に関わり合うことは無いだろう。


 それに俺はいわゆる帰宅部だ。奇跡的に部活が一緒だとか、そういう偶然は起こり得ない。


 つまり、俺に女の子と関わり合いになるなんてことはこの先もあり得ないということだ。転校生以外でも。まあ、俺はこれでいいのだと一年間貫いてきた実績がある。今更どうこう思うつもりはない。


 転校生が美少女だとか、誰が付き合うだとか、逆によくそんなので盛り上がれるもんだ。自分と何ら関係ない遠い世界の話だってのに。


「おはよう、氷菓!」

「おはよう梓」


 と、俺が机で白けた顔で項垂れていると、丁度氷菓が登校してくる。


 教室の入口の所でギャルと仲良さそうに手を握り合っている……やめろやめろ、百合展開は求めてないぞ。


 すると、俺の儚げで憂いのある表情に気付いた氷菓が、俺を見て口を開く。


「うっわ、朝から酷い顔。テンション下がるわー」

「うっせえな……ほっとけ」

「目に入る入口からすぐ近くの席なのがいけないのよ。陰キャなんだからお決まりの最後列の窓際に陣取っていればいいのに」

「願いが叶うなら是非そうしてもらいたいもんだね。それに褒めて欲しいもんだ。俺は甘んじてこの席を受け入れてるんだ。女子は俺が後ろから背中を見てくるのが嫌だろうからな、俺なりの配慮って訳だ」

「相変わらずの物言いうざっ……いけどあんたそれ自分で言ってて悲しくない訳……」

「そう思うならもっと俺に優しくしろ」

「あはは、君おもしろーい」


 氷菓の隣に立つギャルが、俺達の話を聞いてそう声を上げる。

 本当に面白いと思ってんのかこのギャル……目が笑ってねえぞ。


「氷菓ってこの人に厳しいよねえ~。えーっと……名前なんだっけ? 君影薄いから名前忘れちゃったよ」


 うわ、傷つく。

 悪気のない顔で堂々と忘れられているのが余計に心に響く。さらに追い打ちをかけるのは、俺がこのギャルを一方的に「一ノ瀬梓いちのせあずさ」だと知っている点だ。


 何か俺が意識してるみたいじゃないか。断じて違うぞ。どこにも属さず周りを俯瞰してみている俺はクラスのことを把握しているだけなのだ。…………別に中二病じゃないぞ?


「……はは」


 何がはは、だ! 訂正しろ俺!

 ああくそ駄目だ、ギャルって怖い。何この目力。止めて、そんな目で俺を見ないで。

 

 俺はキョロキョロと視線を泳がせ、照れ笑いしながら頬を掻く。


「えーははって何、ウケるんだけど」

「真島伊織よ。女の子みたいな名前でしょ。こいつ何てただの陰キャなんだから放っておいていいのよ、梓に名前を憶えて貰う価値もないわ」

「そういう所! 氷菓って基本優しいのにマシマ? 君にだけ手厳しいよねえ」

「い、いいのよこいつは! 適当に扱ってやればいいのよ」

「手厳しい~。あ、そう言えば――」


 そう言って、まるで俺は居なかったかのように二人だけの世界に入りその場から消えていく。


 釈然としない。しないが、ギャルが居なくなってくれたことはありがたい。

 気まずすぎるんだよなあ……確かに可愛い。可愛いし悪気はないのは伝わってくるんだが、如何せん女性免疫のない俺には刺激が強すぎる。


 なんでワイシャツのボタンそんなに開けてるの!! なんでスカートそんな短いの!! 目のやり場に困るわ!!


『……はは』


 さっきの言葉が頭の中を反芻する。

 ……あー死にて。


◇ ◇ ◇


 長い長い授業が終わり、放課後。

 それは突然とやってきた。


 生徒たちが一斉に部活や帰るための準備を始め、一気に学校中が騒がしくなる。


 ガヤガヤと皆談笑しているなか、俺は机の中に仕舞った教科書を漁り、リュックへと詰め込んでいたその時……俺の目の前の扉が勢いよく開く。


「伊織…………伊織ってこのクラス!?」


 瞬間、俺のクラスの喧噪はピタ――っと止み、全員が扉の方を見る。


 は……はあ?


 そこに立っていたのは、紛れもなく美少女だった。

 スラっと背が高く、長い手足。髪を片耳にかけた茶髪のミディアムヘア。

 上着を脱ぎ、カーディガンを腰に巻いた活発そうなその見た目。


 その美少女の口から発せられたのは、あろうことか俺の名前だった。


 どどどどどういう事!?

 俺なんかした……? この人の彼氏でも怒らせませたかね!?


 俺が完全に硬直していると、教室がざわざわとしだす。


「伊織……? って誰だ?」

「てか、隣のクラスの転校生じゃね?」

「うわ、めっちゃ可愛いな……」


 どうやら誰も俺の名前を知っていないようで、皆誰だ誰だと顔を見合わせる。


 と、そこで奥から出てきたのは氷菓だった。


 二人が並ぶとよりお互いの美少女感が引き立つ。


 氷菓は少し苛立った様子で転校生の前に立ちはだかる。なんだ、美人同士同族嫌悪か? 争いは醜いからやめな? 特に俺の席の前ではな! 気まずいんだよ!


「……あなた何?」


 どこか苛立った様子で氷菓が転校生に声を掛ける。


「えっと、私雨夜あまや! この春から転校してきたんだ! よろしくね!」

「いや、そうじゃなくて……伊織に何の用なのよ」

「ん? やっぱりこのクラスに居るの?」

「それよ」


 氷菓が俺の方を指さす。


 それってなんですかね。俺は物ですか、今更気にしませんけど。


 すると、雨夜はパーっと顔を輝かせ――――勢いよく俺の机へと飛び込んでくる。

 飛び込んでくる、というのは語弊ではない。まさに、本当に飛び込んできたのだ。


 それを見た氷菓があんぐりと口を開け、叫ぶ。


「あ……あ……あああんた何やってんのよ!!!」

「ぐおっ!」

「伊織~~~!! 久しぶり!!!」


 雨夜は俺の首に両腕を回し、がっちりと抱き着いてくる。


 うおおおおお! 何、何この状況!?

 いい匂い――髪サラサラ――胸がっ――……!!


 心臓が一気にバクバクと跳ね上がり、思考能力が低下していく。

 一体なぜ俺がこんな状況に陥っているのか、もうどうでも良くなってきた。普通に、最高。


 ――と、そこで俺の方を凄い顔で見ている氷菓と目が合い、俺は慌てて我に返る。


「ちょちょちょ、ちょっと待て!!」


 俺は何とか雨夜を引き剥がす。


「な、何なんすか一体……!」

「何って何が? 伊織だよね?」

「そうですけども……」


 何だこの噛み合ってない感じは……。


「だ、誰かと勘違い…………じゃないっすか?」

「えー、だって顔だって伊織そのものだよ!!」


 転校生の確信は揺るがないようだ。一体何が起こっていると言うのだ……あれだけ美少女転校生と接点などモテるはずがないと確信していたのに、まさかいきなり抱き着かれるとは。今夜は……というか数週間はあの感触だけで困らないぞ。


 ――じゃなくて!


「あーっと……どっかで会いました?」

「忘れたの!? 酷いよお……」


 雨夜はおいおいと泣きまねを始める。


「ちょ……止めてくれ! 俺が泣かせたみたい……ああもう!!」


 俺は雨夜の腕を掴むと、強引に教室から飛び出す。


「伊織!?」


 教室から氷菓の声が聞こえるが、振り返っている訳にはいかない。次いで他のクラスメイトの騒めきも聞こえるが、今は無視無視!


 駄目だ駄目だ、あんな視線を浴びた中じゃ何も話せん! ボッチに慣れ過ぎて視線が怖い!


「あはは、楽しい~!」

「何なんだお前は! 俺の平穏を返せ!」


 何故か俺に引っ張られるのを楽しみながらついてくる雨夜をそのまま引き摺り、階段へと差し掛かると一気に屋上へと駆け上がる。


 屋上の鍵は先生が持っているから開けられないが、このわずかなスペースは人が来なくて快適だ。去年一年間で俺が見つけ出したベストプレイスだ。


「はあ、はあ、はあ……」

「楽しかった~!」


 久しぶりに走って疲れ果て、階段に燃え尽きるように座り込む俺とは裏腹に、雨夜は満足げな笑みを浮かべている。


「楽しかったじゃねえよ……一体俺に何の恨みがあるんだ!」

「え?」

「あんな教室で…………話題の転校生がなんで俺に話しかけるんだよ! 注目浴びちゃったじゃねえか! い、いきなり、だ、抱き着くとか……」

「ええ、本当に覚えてないの?」


 雨夜はぐいっと俺に近づく。

 顔が、もう鼻と鼻がくっつきそうな程近くに迫る。


 目綺麗……顔小っさ……いい匂い……。


 だが、完全に照れた俺は勢いよく顔を逸らす。


「…………悪いけど、さっぱり」

「私だよ、私! 雨夜陽あまやよう!!」

「雨夜……陽……。陽……?」


 その名前は、何故だか聞き覚えがあった。特に下の名前。陽。

 初めて聞いた割りには耳障りの良いその名前に、俺も何となく知ってるような気がしてくる。


「ほら、お父さんたちが仲良くて!」

「父さんたちが……?」

「お互いの家でよく遊んだでしょ!!」

「家……?」

「小学校の時! みなと公園とかでも遊んだし!」

「みなと公園……」


 そうだ、俺がこっちに引っ越してくる前、俺が住んでいた家の近くにあった公園、それがみなと公園だ。


 ぼんやりと、消えていた思い出が浮かび上がってくる。

 確か……あの頃一緒によく遊んでいた……。


 放課後の公園、裏山の秘密基地、お互いの家……懐かしさが一気にこみ上げてくる。

 記憶に浮かぶその姿は、茶髪の活発な幼馴染の姿。


『伊織!』


 頭の中に、俺を呼ぶ声が反芻する。


「陽……雨夜陽……?」

「そう!!!」

「思い……出したっ!! 陽……ヨウ君か!」

「そうそう!! 覚えてた! 嬉しい!!」


 陽はまた俺に抱き着き、楽しそうにきゃっきゃと笑う。


「また一緒だよ、伊織!」


 こうして、俺の幼馴染、雨夜陽が俺の学校に転校してきたのだった。


 ただ、一つ言いたい。それは――


「というかお前………………男じゃなかったのかよ!!」

「えぇ?」

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