ログ:御倶離毘(1)

 紗也が死んだ。その報せを聞いた人々は大いに喜んでいた。死とは喜ばしい事なのだろうか。罪もない幼子の死を喜ぶ者達をこの地で初めて目にしたエリサが生への価値観に大きな打撃を受けてていたのは言うまでもない。

 宵の口。八方を囲む山々を薄雲が覆っている。村内の風通しがやけに良い。祭り支度と並行して集落の解体も進められていた。昨日まで騒々しかった山羊小屋は空になり畑は農具一つも残さず撤収された。川辺では不要物を焼却する炎がぱちぱち音を鳴らしている。

 生きているのか分からないくらい閑散としていたアオキ村はいよいよその生涯を終えようとしていた。村の広場に大勢の人が集っているのをエリサは消えゆく灯火の輝きに重ねた。少女の命と共にある集落アオキ村。その儚い宿命に昨夜見た紗也の笑う顔を思った。

「ゲイツ、私には紗也が何を思って死んでいったのか推量できない」

「それは俺もさ。彼女を育てた環境、人間、役割、およそ俺達が経験しえないものばかり。理解しようもない」

「私は傲慢なんだろうか。決意ある人間に、自分の常識と正義をもって他人の感情を推し量ろうとして、共感できてたつもりだった」

 でも紗也が腹に抱える物は自分の考えうる域を遥かに超えて重かった。理解したつもりでいた他者の意志を事実との相対で軽んじていたと気づき忸怩している。

「それが人間ってものだよ、エリサ。人間ってのは皆生きてるだけで傲慢さ」

「ゲイツは自分がそうだと思っているの?」

「自覚してなきゃ他人と上手くやってけないからね。感じるのも自由、考えるのも自由、発言するのも自由。ただし自由って誰かを我慢させているから成り立っている。エリサ、君の抱く自己批判と痛みは決して無意味な物じゃない」

「どういう意味」

「真実は痛みの繭にくるまれているからね」

「よく分からない」

「それでいい。いちいち背後を気にしていたら目前に迫る契機を逃すよ。俺達と彼らは選択した道が違うんだから」

「……世界には知らない事が多いよ、ゲイツ」

「ちょっとは君も人間らしくなってきたか?」

 分からないと再び言って中央にそびえる柱を見た。あの天辺てっぺんの先に朋然ノ巫女・紗也の命があるのだろうか。

「あっ、あんたも来とったん! ほら吾作、こっちこっち」

「やあどうも、おやっとさあ!」

 人混みの中で声が聞えた。訛り言葉を話すのはあの夫婦だ。

「吾作くんじゃないか、ソヨカさんも一緒だ」

 人の波を掻き分けて吾作夫婦が出てきた。妊婦の方は……そうだ、ソヨカと言っていた。目が合ったソヨカは、にこっと笑みを浮かべて吾作の横に来た。

「お腹の子は大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。この子も今夜は楽しみにしとるみたいよ」

 今夜の出来事に興奮しているのか頬を赤くしてソヨカは腹部の張り出したところをさする。それを見て吾作はあきれた様子だ。

「今夜は人が多いから、腹の子に障ると言っても聞かんのじゃ」

「なーんね、ウチも御倶離毘を見るのは初めてやけん、見ときたいと。それにしてもびっくりしたわ、明日のはずがいきなり今夜になるんやもん」

 唇を尖らせ支度に急いじゃった、とこぼすソヨカの背を吾作はさすって「紗也様の最後のお告げじゃ、それだけ大きか意味があっとよ」などと宥めようとする。ソヨカはさほど気にしてないようだが吾作が一生懸命に背中をさすっているのが嬉しいらしく、彼から見えないようににやにやしている。

「二人とも、吾作達が頑張って作った御柱をしっかり見て行ってな」

「そうそう、御柱は村の衆が丹精込めて設計した、渾身の出来ですけん」

 若夫婦は誇らしげに言う。更に吾作が進み出る。

「ゲイツさん、エリサさんも村の巫女様が果たされるお務めをよぉーく見ていってくださいね! オイたっがお組み申し上げた御柱の上で紗也様がお焚き上げされるなんて、こらぁ一生もんの名誉ですけん!」

「は、はは、ありがたく拝見するよ……」

 吾作は目を輝かせて熱弁を振るうがさすがのゲイツも引き気味だ。やがて広場の奥から声が上がった。人混みの雑踏は喧噪の波となってエリサ達の元へ瞬く間に伝播する。

 紗也が運ばれてきた。

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