師匠と皇女
「トロール程度に後れをとる師匠とは思ってはいなかったが、まさか本当に倒してしまうとはな」
戦闘が終わると、オルレアは倒れているトロールキングの死体を見て感嘆の声を上げる。とはいえ、それも二人の助けあってのことだ。
「二人も良くやった。オルレアがトロールの支援魔法を解除したおかげで戦いやすくなったし、シオンの支援魔法もタイミングが良かったぞ」
「うむ、初めてだが役に立てて良かったぞ」
「トロールなどさっさと倒して冒険を終わらせたかったので」
そう言ってシオンはオルレアをちらりと見る。トロールは倒した以上、町に戻れば師弟関係は終わりだと言いたいのだろう。シオンの無言の圧力にオルレアの表情が少し曇る。こういうところはやはり年相応の少女だ。
俺も寂しい気持ちがないと言えば嘘になるが、こればかりはきちんと帰ってもらわなければならない。万一オルレアを探しにきた者たちが俺がオルレアを連れまわして魔族と戦っている光景など見れば卒倒するだろう。大きな騒ぎになる前に(すでになっているだろうが)帰ってもらわないといけない。
そんな現実もあって帰り道はいつも元気なオルレアも口数が少なかった。俺も魔物領に目をこらしながらそんなオルレアにどのような言葉をかけてやるべきか考えこんでしまう。
夕方ごろ、俺たちが町に戻ってくると、ちょうど荷馬車を曳いた商人たちの一行が戻ってきていた。彼らはこの前倒したレッドドラゴンの鱗を売りに行って代わりに農業用具を買ってくるよう頼んだ者たちだ。
「あれは何だ?」
オルレアが一行を指さして尋ねる。もしかしたら俺が別れを切り出すのが怖くて自分から別の話題を振ったのかもしれない。
「彼らにはな……」
俺はこれまでの経緯をかいつまんで説明する。それを聞いてオルレアはうーんと難しい表情で唸った。
そこへレッドドラゴンの鱗を運んでもらった冒険者たちがやってくる。彼らは商人たちが買ってきた農具を見て歓声を上げている。
彼らが買ってきたのは皇国の農家では普通に使われているようなものであったが、確かにこの地で見かけた農具は粗末なものや旧式なものばかりだったので、普通のものでも素晴らしいものに見えるのだろう。
「ありがとうございます、これで俺たちはもう危険な冒険に出ずに生活出来るようになりそうです」
「ゲルダムを倒し農具まで揃えてもらって感謝はつきませんや。収穫出来たらおいしいパンを焼くので待っていてください!」
彼らは口々に俺に礼を言う。
「おいおい、礼を言うのはまだ早いぞ。俺はやったことがないが農業も大変らしい。魔物退治と違って体を張ったからと言って何とかなる訳でもない。うーん、やはり道具だけではなく詳しい人も探した方がよさそうだな」
何事も始めたばかりの時ほど熟練者に教わった方がいい。
「何から何までおんぶにだっこで申し訳ないです」
そう言って冒険者たちは頭を下げる。俺は町である程度畑作が出来れば俺は町に襲い掛かってくる魔物や魔族を倒すだけで穏やかな生活が出来るようになる、と思っているだけだ。
そんな俺に対して町の人々だけでなく、隣にいたオルレアも尊敬の視線を送ってくる。
「どうした?」
「いや、最初はオーレン殿に弟子入りして浮かれていたが、己の不明さを思い知ってな。私は皇都周辺ばかりを見て育ったからこの国は豊かなものとばかり思っていたが、辺境ではこのように明日をも知れぬ生活を強いられている者たちが多くいたのだな、と」
確かにここオルステイン皇国は全体で見れば豊かな国だ。特に皇都周辺は反映しており、国の中心部で暮らしていれば一生このような光景を見ることはないだろう。
俺が答えに迷っていると、オルレアはこちらをじっと見つめながらさらに言葉を続ける。
「私は皇女という立場でありながら何も出来なかったが、師匠は一冒険者の立場でありながら町の人皆の生活向上に寄与している。そう考えると私はまだまだ未熟じゃ」
「そんなことはない。俺はたまたまドラゴンを倒し、ドラゴンの鱗が高く売れたからその金で皆の生活を改善出来ているだけだ。それもまだうまくいくとは限らない。せいぜい一つか二つの町を救うのに精いっぱいだろう。言うなれば個人の手柄に過ぎない。だが、皇族という立場であればより多くの人々を救うことが出来るかもしれない。今はそのために見聞を広める時期だと思えばいい」
「なるほど」
オルレアは俺の言葉に真剣な表情で聴き入っている。そこで俺は今こそあの話をすべきだ、と思いながら口を開く。
「だが大勢の人を救うには武勇だけではどうにもならない。どのような政策を行えばどのような結果になるのか。そもそも国はどういう状況なのか。それを知るためにも、退屈な学問もしなければならない」
「なるほど……学問にはそのような意味があったのじゃな」
「もっとも、俺は歴史や政治については無学だから偉そうなことを言えた義理ではないがな」
俺が知っているのは魔物や魔法の知識ばかりである。
だが、オルレアは俺の言葉を噛みしめるように何度も頷く。そこまで真剣に聴かれるとそれはそれで恥ずかしいのだが。
「なるほど、これからは学問もきちんとするとしよう」
「そう思ってくれたのなら嬉しい」
「しかし師匠には何から何まで世話になってしまったな」
「オルレアがこの国をいい国にしてくれればそれが何よりの恩返しだ」
しかし名残惜しいが、いい加減にオルレアとは別れなければならない。
「そうだ、大した物ではないが、餞別にいいものを渡そう」
そう言って俺は素振り用の重いだけの剣を渡す。
寂しそうな表情をしていたオルレアが少し驚く。
「いいのか?」
「最近それでは物足りなくなってきて、もう少し重いものを作ってもらおうと思ってたところだからな」
「そうか……なら会えない間、大事にさせてもらうし毎朝千回素振りするぞ」
早起きして素振りして勉強中に眠くならないといいのだが。
名残惜しそうにしていたオルレアだったが、やがて剣を腰に差すと意を決したように俺の方を見る。
「短い間だが世話になった。しばらく会えなくなるが、皇都に来たときは遠慮なく教えてくれ、もっとも」
そう言ってオルレアは一瞬言葉を切って笑みを浮かべる。
「次会うときは必ずや私の方が強くなっているがな」
「そうか、ならば期待しているぞ」
こうして俺たちはついに別れてしまった。馬に乗って去っていくオルレアの背中は来たときよりも一回り大きく見えた。
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