第29話 赤木城悲話



 「高虎様…なぜ皆武装しているのですか?」



 藤色の紗合さあわせ地の掻取かいどり。暁光を受けた裏地に染められた初夏の花が絹の主の動きに合わせて模浮かんでは消えた。

 城の落成祝いで慌ただしい台所から準備が整ったと報告に来た絹の主…朝子は夫藤堂高虎の姿に目が釘付けになった。


 高虎が作り上げた『赤木城』は北と西の山を堀で切り分け郭を置き、複雑な虎口や堅固な石垣を用いた、近世城郭の技術を集めた城だった。


 だが、その城を領民に披露する晴れ晴れしさは夫には一つも無く、その鋭角的な頬から緊張が滑って、腰に差した刀に落ちて行くように見えた。


 武士だから平服の時も刀を帯びて不思議はない。

 しかし近習の家臣たちや兵らが鎧姿なのが引っかかった。


 「…お前は民を油断させるために来てもらった。一揆衆を一匹残らず根絶やしにする。」


 高虎は周辺の村々に城の完成を祝いに登城せよと触れを出していた、その祝儀の手伝いのために朝子や女房衆は粉河城から呼ばれていた…はずだ。


 「えっ…?」


 赤木城が造られた奥熊野は、現在の三重県と和歌山県の間にある。

 古くから地侍や修験者たちが住み着き、また良質の熊野杉の生産地のため資金も潤沢で、大名を置かずに領地経営を行っていた。

 それ故に国人衆は天正14年からの豊臣政権のいわゆる太閤検知に強い反発を見せており、約三年間に渡る鎮圧計画を歴戦の武将たちでさえ完了出来ないでいた。


 「…関白殿下がいよいよ痺れを切らされた。畿内きないの統治も完全に終わっていないのに、東国も相変わらずきな臭い。

大納言家は先日横領事件で目をつけられている分、結果を出さねばならん。

小一郎様の…豊臣家のためだ。」


 高虎は、城の窓から外を見つめていた。朝靄あさもやが立ち込めて、かすかにしか山の稜線は見えない。

 きっと外から見たらこの城も濃い靄に包まれているだろう。


 「……騙し討ちをなさるのですか?」


高虎は何も言わなかった。ただ、朝子にも何も言う権利はないと言う答えがその広い背中から伝わってきた。



 ▽


 「わぁ…奥方様や、きれいやなあ、うちもそんなお掻取着てみたいわぁ」


 「ありがとうございます。かわいい赤ちゃんですね」


 「ほんまに?よかったなぁ、奥方様に褒めてもらえて」


 目の前の母子はそれは幸せそうだ。登城した人々に酒を振る舞う朝子はつとめて穏やかに笑っていた。


 祝儀に登城してきた地侍や村人たちは油断し切っていた。

妻や子を伴う者たちもいて、振る舞われた菓子や酒を楽しんでいる。

そんな村人たちは朝子の目には『普通の人』しか見え無い。

 (それでも…一揆衆は秀長様の重臣を討ち取ったというし、多くの兵が亡くなった…)

秀長様も、この時代の民は武器の扱い方がわからぬものはいない。ただ一方的な被害者では無い、と仰っていたが……

 (高虎様……)

『答え』があるなら、誰か教えて欲しい。



 「ぎゃああっ」


 城の奥の間から絶叫が響いた。奥の間に数人ごとに挨拶に来いと言われ、控えている間では村人たちが騒ぎ出した。


 「今の悲鳴はなんや?」

 「何が起こってる?」


 困惑はさざなみのように控えの間に迫り、たちまち村人たちは恐怖に包まれた。


 「お、奥方様、なんなんです?

お殿様、うちらをお許しくださったんと違いますのんか?」


 朝子の目の前にいた乳飲み子を抱えた若い女が、瞳に涙を溜めて問うてくる。朝子はたまらなくなり、その母子の手を取ってそっと座敷を抜けた。


 「えっ?!奥方様、あかん、あかんのや、奥の間にうちの夫がいってるんや…!」


 「だめ、だめです!貴女は逃げなさい。」


 朝子は久しぶりに走った。後ろから村人たちの悲鳴が朝子の髪を恨めしそうに引っ張った。



 「……ごめんなさい…ごめんなさい…私は、…一揆の鎮圧のために、殺すと知っていながら何も出来なくて…ごめんなさい…」


 赤木城の麓には街道が伸びている。遠くに夕日に照らされた峠道が見える、あそこを行けば、違う国。…時の隙間に飛び込んで、“帰りたい“と願ったが、どこまで走っても電柱もビルも見えて来ず、朝子は深い諦念に足を止めた。

 後ろの母子は息を切らして朝子を見ていた。


 「……奥方様が謝ることちゃう。

妻と言え、どうしてあんな恐ろしい関白の手先の武将に逆らえるというのや…。」


 「……違う、違うんです…」


 夫は恐ろしい人では無い、違うの、そう言いたくても「あんな事をするのに?」と聞き返されたら納得させられる答えがなくて朝子は黙って俯いた。

 胸元から、路銀を女の手に握らせる。

女はしばし呆然と朝子の白い手を見ていた。


 女の手は畑仕事や水仕事であかぎれだらけだった。

 そして今日この日から、たった一人で腕の中の赤子と生きていかなければならないという現実が

路銀とともにその白い柔らかな手から押し付けられた。


 「……堅固な垣根の中から、たまに慈悲を下々に投げてやるんはたのしおすか?」


 若い女は、低く地を這うような怨嗟を込めて言った。


 朝子は顔を上げる。女の悲哀に満ちた恨めしそうな視線に貫かれた。



 「……ほなな、天下様によろしうおたのもうします。」


 女は城を一瞥して、峠を越えるべく歩き出した。


 女の小さな背から赤子が顔を覗かせる。

赤ちゃんは私と目が合うと、火がついたように泣いた。

ああ、この子は父の仇が私だと知っているのだ…。



 「帰りましょう、奥方様…」


 いつの間に追いかけて来たのだろう。九助が、心配そうに朝子のことを見つめていた。

すぐ慰めてくれる存在がいるのも、朝子は情けなくて仕方がなかった。


 「…大丈夫です。殿を責めたりなんてしません。笑顔でいますから。」


 「朝子様…。」


 私の帰るところは、あの城だ。夫が作った、誰も寄せ付けない堅固な石垣と、人を逃さない複雑な虎口に囲まれた…あの城だ。



 夕雲に包まれた城は赤く空に浮いて、まるで浮遊しているように見えた。

 


一揆の首魁は城内で討ち取られ、一揆に参加していた村人たちは捕縛された後、田平子峠で処刑されたと伝わる。

 その数は300人に登った。



《※》


赤木城の一揆鎮圧は、

「行ったら戻らぬ赤木の城へ、身捨てどころは田平子じゃ」と地元の歌にも残っているそうです。

道路工事で大量の人骨が出土し、戦国の統治と一揆衆の生々しい攻防を現代に伝えてくれます。



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