第18節 -齎された確証-

「少し早いが、そろそろ昼食にしよう。」

 午前11時過ぎ。ホテルの一室で総会向け資料の確認を行っていたレオナルドはフランクリンに言う。

「そうですね。外に出られますか?」

「ホテルのレストランでウィーン料理にしよう。出来る限り静かにゆっくりしたい。」

「承知しました。では、参りましょうか。」

 手元の資料を厳重なロックがかかる金庫へと片付け二人は部屋を後にする。


「ところで、例の件についてセントラルから報告は来たかね?」

「いえ、まだ解析中のようです。午前中には終わる見込みとの事ですが。」

「結構だ。彼女の意図がどういうものであるにせよ、我々も確認はしておかなければなるまい。こちらの予想が事実だとして、あれは日常の中に溶け込むにしては些か物騒に過ぎる。」

「はい。しかし彼女達の意図、目的、考えとは何なのでしょう。」

「それが素直に読み取れる相手なら苦労はしないのだがね。全く。彼女が私に本心を明かした事など、おそらく今までただの一度だってないのだから。」

「まったくですな。」

「何にせよ、解析結果報告を待って直接確認してみよう。きっと私からの連絡が入る事そのものが彼女の目的なのだろう。それがデータを受領した段階であれ、解析結果を確認した段階であれ、それを求めているとみている。」

「その時に彼女らの意図と考えが初めて分かると。」

「おそらくな。回りくどいが、そうした方が良い理由があるのかもしれない。何かの確認…言葉は悪いが試しているのかもしれん。我々の動き方を。」

「この件については、セントラルから報告が入り次第お伝えします。」

「頼む。」


 重要な総会期間の最中に飛び込んできた不安の種とも呼べる出来事だが、それについては送り主である彼女達も重々承知のはずだ。

 わざわざこのタイミングで送ってきたという事は、その行為が必要だからという事に他ならない。故にここで無視を決め込むのは悪手である。

 彼女達のやり方は一見すればただの横暴のようにも見えるが事実は異なる。なぜなら必要の無い事は絶対にしないからだ。

 このやり方が最適だと考えるだけの…言い換えればこうしなければならなかった根拠となる理由が必ず存在する。

 それが予想通りに例の事件に関わりの有る事なのか、別の理由なのかは現時点では不明ではあるが時期に分かるだろう。

 胃の痛むような落ち着かなさが続く。だが待つしかない。今からの食事が気分転換になればいいのだが…

 せめて食事の時間くらいはゆっくりと過ごしたいものだ。そう思いながらレオナルドは深く溜め息をついた。

 そして二人はレストランへと向かう為、エレベーターへと乗り込み階下へと降りて行った。


                 * * *


 ケーブルカーでブダの丘からたもとまで降りた三人は目的の店へと向かって歩みを進めていた。

 アールヌーヴォー様式の駅舎から乗り込むレトロな雰囲気のケーブルカーでの移動は短い時間ではあったがとても新鮮であった。

 三つの箱を段差に分けて重ねたようなケーブルカーの車窓のほぼ正面に鎖橋などの風景が見えるが、そこから眺められたドナウの景色も素晴らしかった。


 そして談笑を続けながら歩く三人はついに目的のレストランへ到着する。

 外に置かれている立て看板だけで肉料理をメインとしたレストランである事がよく分かる。

 店は一面ガラス張りになっており、中の雰囲気や明るさが外にまでよく伝わってくる。昼食には早い時間ではあるが、店内は観光客らしき人々で賑わいを見せていた。

 店舗の前にテラス席も用意してあるが、そちらも人で一杯だ。たまたまこの地を通りがかったという人も含めて、誰もが気軽に立ち寄る事が出来そうな店の佇まいであった。


 外の明るい雰囲気を一通り楽しんだ後、三人が店内に入るとすぐにスタッフが声を掛けてくれた。

「こんにちは。」

「こんにちは、三名ですが席はありますか?」

「もちろん。こちらへどうぞ。」

 スタッフとのやり取りはアザミが行う。三人は待つことなく空いている席へと案内された。

 今回も例によってマリアとフロリアンが並んで座り、対面にアザミが座る。これは当然、記念撮影の為である。

「メニューが決まりましたらまたお呼び下さい。ごゆっくりどうぞ。」

「ありがとう。」

 手渡されたメニュー表には様々な料理が掲載されており、聞いていた通りのステーキやハンバーガーなどの肉メニューが並ぶが、その中でとりわけ珍しいのはやはりラーメンがある事だろう。鴨ラーメンと記載がある。

「ラーメンか、珍しいね。」マリアが興味津々にメニュー表を眺めている。


 楽しそうにメニューを眺める彼女を見ながらフロリアンはふとアザミと共に二人が何を頼むのかが気になった。

 特にゴシックドレスを優雅に纏ったマリアがラーメンを食べる姿というのはなかなかに気になる光景だ。本音を言うと見てみたい。


「僕はビーフバーガーにするよ。あと、シャルキュトリープレートと…」

「私はブラータとフィレミニョン、ローストポテトにしよう。それとデザートだね。」

 それぞれが思い思いにメニューを選んでいく。デザートを選ぶ時のマリアの目は相変わらず輝いている。本当に甘いものが好きらしい。

「私はブルガーサラダとポークチークにしましょう。」アザミもメニューを決定する。

 そして全員がメニューを決めた後、スタッフを呼び正式に注文を行った。


 注文を受け付けたスタッフが席を離れた後、フロリアンはアザミに話しかけた。

「そういえばアザミさん、先程の写真を見せて頂けませんか?」

「構いませんよ。どうぞ。」

 そう言うとアザミはカメラを手渡してくれた。料理が運ばれてくるのを待つ間に今日撮影された写真を三人で見てみる事にする。

 イシュトヴァーン騎馬像前で写真、漁夫の砦やマーチャーシュ聖堂での写真、三位一体の像の前で三人で撮影した写真やブダ城での写真の他、鎖橋での自分とマリアの後ろ姿の写真などかなり多くの枚数の写真が撮影されていた。

 フロリアンがカメラのデータフォルダ内にある画像データを順番に表示していく。

 ブダ城の写真の中にはオイゲン公の騎馬像を眺める自分とマリアの画像があったが、これはいつの間に撮影したのだろう。

 小さな庭園で座ってマリアと自分が語らっている写真などは特に良い表情をしていると感じられた。


「さすがだね。凄く良く撮れてる。」マリアが写真を眺めながら言う。

 フロリアンはカメラを覗き込むマリアの顔が自身の顔に凄く近付いている事に内心で動揺した。彼女の事なので自分をからかう為に意図的にそうしているのかもしれないが、分かっていてもやはり緊張してしまう。

 昨日から思っていた事だが、彼女がすぐ近くにいる時というのは決まって花の香りのようなとても良い匂いが漂う。

 柑橘系のような爽やかさがあり、それでいてほのかに甘くて心地よい。色で表すと濃い黄色や金色のようなイメージだろうか。柔らかい太陽の日差しを浴びているような暖かさを感じる香りだ。

 ほんの一瞬彼女から漂う良い香りに意識を奪われかけたが、今見ている写真について素直に思った事を言葉にした。

「どの写真も凄いです。いつの間にという写真もたくさんありますが。」

「それは私も同感だね。私達が座っていた時もずっと隣にいたと思ったんだけど。」フロリアンの言葉に笑いながらマリアが同意する。

「二人がとても良い顔をしていましたから。隙を見て撮影させていただきました。」してやったりという顔をしたアザミが答える。


                  *


 写真による思い出と言うのは良いものだ。アザミは今この瞬間もそう思っていた。

 時間が経てば人間は記憶の中にあるものを忘れていく。それが美しいものであっても、そうでないものであってもいつかきっと。

 記憶に残り続ける景色や経験と言ったものもあるだろうが、その鮮明さは例外なく徐々に失われていくものである。

 しかし、こうして日常をそのままの形で切り取った写真と言うのは意図的に消してしまわない限りはいつまでも残り続ける。

 いつの日か、本人たちが消え去った後でも、確かにそこにいた証として残り続けるのだ。


 本来、命は有限だ。自分とマリアのように無限の時間を生きる者と彼らは違う。

 いつか、彼が定命を全うしてこの世界から消え去った時でも、こうして写真を残しておけばいつでも見返すことが出来る。

 彼女は記憶の中の彼にいつでも会いに行く事が出来る。

 自分は彼女が楽しいと思った時間を残したい。彼女が心から嬉しいと思った瞬間を残しておきたい。彼女が自ら声を掛けた相手との時間を残しておきたい。

 そして、この写真がある事で彼の記憶の中にもまた、マリアの存在が残ってくれれば良いと思う。

 今回の観光で自分が写真撮影に拘るのはそう言った気持ちからであった。


                  *


「お待たせしました。ご注文の料理です。」

 三人が写真の事について雑談に花を咲かせているとスタッフが出来たばかりの料理を次々に運んできてくれた。

 どれもとても美味しそうだ。アザミは料理を運んできてくれたスタッフに写真撮影が可能かを聞き、それを聞いたスタッフは快諾してくれた。

 全員分の料理が運ばれたところで早速食べ始める。

 フロリアンは自身が注文したハンバーガーをどういう風に食べようか迷った。なかなかにボリュームがあり、そのままかぶりつくと中身が少しこぼれそうな気がしたからだ。

 そして結局、いつもそうするように豪快にかぶりつく事に決めた。

 隣でマリアが珍しそうにじっと眺めてくる事もあって変に緊張してしまったがなんとか具材をこぼす事無く一口目を食べる事ができた。

「すまない、ハンバーガーをあまり食べる事が無くてね。珍しくてつい見つめてしまった。」フロリアンの緊張に気付いたのかマリアが笑いながら言う。

 やはり意図的だったのだろうか。彼女らしい悪戯心だ。

 続けてマリアがステーキをナイフで切り、フォークで口に運ぶ様子をお返しとばかりにフロリアンはじっと眺める。

 最初は悪戯のお返しだと思っていたが、その手先から口元までに至るまでの一連の動作があまりに綺麗で本当の意味で見惚れてしまっていた。

 これも昨日から思っていた事だが、何より彼女は食事を本当に美味しそうに食べるのだ。あまりに美味しそうに食べるのでつい目で追ってしまうほどに。

 ステーキを一口食べてからその視線に気付いたマリアが口元を押さえながら笑い出す。

「ごめん、とても優雅で綺麗だったからつい見惚れてしまったよ。」

「これでお相子だな。」

 マリアとフロリアンの仲良さそうな様子をアザミは微笑ましく眺めながら食事をしている。

 そんなアザミからは大人の女性が醸し出す上品さが溢れていた。


                  *


 とても賑やかな食事だ。マリアはそう感じていた。

 普段アザミと共に食べる食事も美味しいし、自分自身の何が変わったわけでもないはずだが、昨日からの食事はいつも以上に美味しく、そして楽しいと思う。

 これも彼の影響だろうか。今の状況は心から幸福なものであると感じられた。

 かつてパンの一切れ、水の一滴すら口に出来なかった自分が、こうして今の時代で出会った人と食事を共にしている。その一点においてだけでも特別な事であるというのに。


 私は間違った存在だ。人の器という概念で考えるならば、間違いなくここに存在してはならない人間。

 人の寿命、定命という概念を超越してここに在る。人によって悪魔へと貶められた神であったものの力で此処にこうして存在している。

 間違った存在。そう、私は本来ここにあるべきではない間違った存在なのだ。何度でも繰り返し自分自身に言い聞かせて来た。

 その思いがあったからこそ、今までの人生においてアザミ以外の他者に心を開くなどという事もしてこなかった。

 それでも、こうして共に笑ってくれる人がいる事が今はただとても嬉しく感じられた。


 ふと考える。もしあの時、両親以外に一人でもそんな存在がいてくれたなら何か変わっていたのだろうか。

 千年前、あの残酷な景色の中でたった一人でも私の傍にいてくれたなら。

 私が村人から殴りつけられているときに守ってくれる存在がいてくれたなら。

 私が伸ばした手を迷う事無く取ってくれる存在がいてくれたなら…

 心の中で彼に問い掛ける。叫びにも似た感情が湧き上がる。全ては過ぎ去った日の出来事。もはや夢の中に消えた過去の景色。

 未来を視通す目を持ち、未来を変える力を手にして尚、己の “過去” に拘っている。


 どうしてあの時、君が傍にいてくれなかったんだい?


 問い掛けても仕方のない事。意味の無い事。最初から有り得ない事。

 それを問い掛けたところで過去が変えられるわけではない。そんな都合の良い過去に書き換わるわけでもない。

 それでも、願わくばもう少し長くこの時間が続くように。心からそう願わずにはいられなかった。



「いよいよお待ちかねのデザートだ。」運ばれてきたデザートを目の前にしてマリアは目を輝かせる。

 マリアはキャラメルチーズケーキを、フロリアンはクォーククリームとクランブル、フルーツプレートを、アザミはチョコレートムースをそれぞれ食後のコーヒーと共に頼んでいた。

「うーん!美味しいね!」ケーキを一口食べた瞬間から蕩けるような表情をしながらマリアは笑顔を弾けさせた。

 最高に幸せな瞬間である。そして心の中でもう一度祈った。


 願わくば、この幸福な時間がもう少し長く続きますように。


                 * * *


 正午過ぎ。食事を終えたレオナルドとフランクリンの二人はレストランから部屋に戻り総会資料の最終チェックを行っていた。

 二人が資料の内容について話し合っていたその時、フランクリンの端末にセントラルからの報告が入った。

「来たか。」

「はい。セントラルからの調査報告です。こちらをご覧ください。」


                = = =


送信者:セントラル1 マークת ルーカス・アメルハウザー三等准尉

宛先:フランクリン・ゼファート司監

件名:【報告】依頼を受けた画像解析結果について


結論:新技術を応用した光学迷彩機能を持つ軍事兵装の一種と思われる。

詳細:画像及びその付随データ上から確認する限り、指摘の箇所における景色の歪み又は空間の歪みに見える部分に対して合成ソフトのようなもので加工した形跡は無かった。

 クロップ等の痕跡も見受けられないこの画像が撮影されたその場には、空間を歪めている物体そのものが存在しているものと推測される。

 システムによりデータベース内における類似情報の割り出しを行い、この状況を得る為に必要であると想定される技術の解析をした結果、軍事利用を目的とした光学迷彩、新型ステルス兵装に用いられる技術である可能性が極めて高い事が判明。


 従来の戦闘機などに使われるようなレーダー反射型機構とは異なる仕組みを持ち、人間や機械の視覚から完全に姿を隠匿し、赤外線レーダー等による感知も不可能にする効果があると思われる。

 詳細は割愛するが、おそらくは光学特性を過激に変化させることによる電磁誘起透明化現象を再現したものと推測され、赤外線感知も出来ないと思われる事から熱伝導を遮断するニッケル酸サマリウム(SmNiO3)を素材として応用している事も推測される。

 現在、当機構においてこれらを活用した技術製品は存在しておらず、各国の軍事研究共有データベース上にも技術登録はされていない。

 技術開発についての論文はいくつか散見されるが、そのどれもが高度な目的を持って実用化に至る道筋を示したものではない。

 この技術を採用した兵士が戦場において活動すれば、人間の目による目視や機械の目による感知も含めて敵に視認される事なく作戦を遂行する事は限りなく容易となるだろう。


 第一次報告は以上である。追加調査の結果が出次第データを送信するものとする。


                = = =


「まさかそんなものが存在するとは。あくまで推測の域を出ない代物ではあるが、信憑性は高いな。」資料を読み終えたレオナルドが呟く。

「実在するとしても、このようなものを用意できる人間が民間にいると?」訝しげな表情でフランクリンが言う。

「一般の人間にはまず不可能だろう。これほどのものとなれば研究開発にかかる費用も膨大なものとなる。素材の調達も含めて一個人がどうにか出来る範疇を遥かに超えてしまっている。」

「しかし、現実にその代物を活用していると思われる人間が存在すると。それも現在、この国の国境線近くに。」

「なるほど、難民狩りの姿が絶対に見つからない理由か。彼女達が情報を我々に送ってきた理由も概ね理解できた。一つは兵装そのものの存在が技術的に有り得るのかどうかの確認。もう一つはその存在を我々が所持しているのではないかという疑惑だな。」

「まさか。我々は災害救助や研究を主とする機関です。そんなものを持ったところで使い道は無い。」

「その通りだ。疑惑とは言ったが彼女達は最初から我々がそういったものを開発したり所持しているとは思って無いだろう。仮に思っているとしたらこのような情報を流すこと自体有り得ない。つまり彼女達は疑惑の先にあるものを知りたいのだよ。」

「先とは?」

「これが真実であれば、平然と殺人を犯すような人間に対して軍事機密そのものを横流しした人間が存在する事になる。そんな事が出来る人間ともなれば九分九厘に軍を持つ先進国家の中枢にいる人間、又はそれに類似する機関に所属する人間だ。例えば我々のような。そこには当然、国際連盟という組織そのものも含まれるだろう。」

「つまり、機密情報だけでなく機密技術を使用した兵装そのものを流出させた人間が存在し、その存在が身内にいるかもしれないと彼女達は考えていると。」

「直接聞いてみなければ分からないがね。内部の人間に一切頼ることなく、自らこの地に出向いて行動をしている事からも今は身内を信用していないという状況が窺える。このような情報を当該国家、そしてその軍及び警察に流すわけにもいかない。きっかけがどうであったにせよ、結局は直接出向かざるを得なかったというわけだ。仮に我々を疑っているのであれば、昨日エルジェーベト公園で話した会話内容そのものが違ったものになっていたはずだ。」

「しかし、その様子は無かった。」

「その通りだ。何はともあれ、調査結果は伝えてやらねばなるまい。どうやら我々は見えない二つの敵と戦う上で余程頼りにされているようだからな。」

 レオナルドはやや苦笑しながらそう言うと、手持ちの端末を取り出し専用回線を使ってマリアに連絡を入れた。


                 * * *


 正午過ぎ。デザートとコーヒーを楽しみ、昼食を終えた三人は支払いを済ませて店の外に出ていた。

「とても美味しかった。」満足そうな笑みを浮かべてマリアが言う。

「そうだね。肉も柔らかくて美味しかったし、デザートも素敵だった。」フロリアンも同様の感想を述べる。

「はい。満足して頂けて良かったです。」店を紹介したアザミは安心した様子を浮かべていた。

「さて、では午後からの予定についてだけど…」

 マリアが次の目的地について話を始めようとしたその時、彼女のスマートデバイスに着信が入る。

「失礼。少し席を外させてもらうよ。」

 マリアは電話の主を確認するや否やそう言い残し、二人から距離を取って話しを始めた。


                  *


 電話の為にマリアが離れた後、フロリアンはアザミからある事を唐突にお願いされた。

「フロリアン。こんな事を言うと不思議だと思われるかもしれませんが、ひとつだけ。どうか耳を傾けてください。」

 そう言って話し始めるアザミの言葉にフロリアンは静かに耳を傾ける。

「マリーと一緒にいる間、彼女が貴方から離れる事を自ら望まない限り傍にいてあげてください。私が彼女の傍を少し離れる事があっても、貴方はマリーの傍から離れないようにしてあげてください。」

 彼女がなぜ突然そんな話をしたのか理由は分からなかったが、アザミが真剣に話している事は十分に伝わってきた。

「わかりました。そうしましょう。」

「お願いします。私と貴方の約束です。貴方といると、彼女は本当に楽しそうですから。」

 アザミは言い終えると口元を微笑ませながらフロリアンの方を向いた。


                  *


 一方、マリアは予知通りに電話をかけて来た相手と話を始めていた。

『レオナルドだ。マリー、例の画像について話があって連絡をした。』

「やぁ、レオ。アザミがフランクに送った例のものに気付いてくれたんだね?ということはあれについて調べもついたのかな?」

 電話の相手は機構のレオナルドだ。盗聴の恐れが無いよう専用回線で接続してきている。

 話の内容を考えて少し声のトーンを落としている。

『あれの特異性に最初に気付いてくれたのはフランクだよ。しかし、やはり何でもお見通しという訳か。我々がメッセージの送り主に気付く事も。連絡をする前に調べを付けている事も。いつもながらに掌で踊らされているようだ。』

「そんなつもりは毛頭無いよ。心から君達を信頼しているからこそ、あんな回りくどい方法でも伝えるべき情報を伝えようと思っただけさ。結果として私の意図を汲み取ってくれたことは嬉しいね。君の事だ。回りくどい方法を取った理由も察しはついているのだろう?」

『何だかんだと言って君とは長い付き合いだからな。さて、それでは簡潔に結論を述べよう。あれをセントラルで解析させた。結果、 “あれは君達が想像するようなもので間違いはない。” どこの誰かまでは知らないが無粋な真似をする輩もいたものだ。』

「そう言うからには最初はあれが何なのか見当がつかなかったとみていいのかな?」

『解析された結果を見るまで想像したものについて半信半疑だった。存在が露見すればすぐに国際条約で禁止されるような代物だ。それはさておき、君達の一連の行動を考えた上であれの事実を認め、あれが引き起こしている状況を判断した。』

「ひとつ確認をしたい。レオ、これは私の立場上から聞く言葉ではない。一人の友として君に尋ねる。君達はこの一件について何か心当たりはあるかい?」

『無い。誓ってだ。君達も考え及んでいるように、あんなもの我々にはそもそも必要のないものだ。機構の中にもあれの存在を認知しているような人間はいないだろうし、ましてや現物があるなどと言う事は有り得ない。』

「そうか、分かった。大事な総会前に煩わせてすまなかったね。」

『マリー。今回の件で君達が直接出向かなければならないという事情がある事は承知した。これは君と同じく友人としての意見だが、言わせてもらおう。くれぐれも気を付けろ。そんな真似が出来る人間が考える事など分かったものではない。君達が直接出てくる事を狙っているのかもしれない。だとすれば狙われているのは最初から難民ではなく…』

「へぇ、私達の事を心配してくれるのかい?これは珍しい。分かっているよ。そんな輩が身内ではない事を切に願うがね。肝に銘じておこう。良い話を聞かせてもらったよ。礼を言う、レオ。」

 マリアは最後にそう言うと電話を切った。

 専用回線を使用しているとは言え、長話は情報漏洩のリスクがある。何しろ疑わしきは身内にいる可能性があるのだから。

 事情を知らない人間が聞けば何の話かまるでわからない程度にお互い言葉を濁したつもりではある。だが事情を知っている人間が聞けば濁した言葉に意味など無い。


 しかし、これではっきりした事がいくつかある。

 ひとつは犯人が絶対に捕まらない理由。そしてその理由を裏付けるものが現実に存在するという確証。

 ひとつは機構はこの件に絡んで無いという事。その点については最初から疑惑の眼差しを向ける事も無かったが、統括する本人から直接言葉を引き出した事でより安心が出来たというものだ。

 機密を持ち出した人間の所属や目的は分からないが、持ち出された情報と物品そのものの情報が分かればひとまず十分。そしてアザミの調査によって既に難民狩りを行っている犯人については詳細まで完璧に把握済みだ。

 難民収容施設から脱走し、インターポールによって国際手配されている【ライアー】と呼ばれる人物。

 ある国で身柄を拘束寸前までいったが、そこで逃げられて以後は消息不明となっている人物である。国籍も本名も不明だが、顔と経歴などは分かっている。

 アザミの調べた内容と自分達に送られてきた電子メールに記載されていた情報に齟齬は無く偽りも無かった。

 後は “昨日撒いた餌” に喰いついてくれればそれでこの事件は終わる。その件についても既にしっかりと喰いついた事は確認出来たに等しい。

 今朝のニュースで自動車の盗難事件を特集していたが、あの犯行は間違いなくライアーによるものだ。


 全ては計画通りに。予定通りに。何も変更はない。何も変わる事は無い。自身が視た未来に予測できない事など何もない。

 通話を終えたマリアはすぐにフロリアンとアザミの元へと戻った。


「すまない。待たせてしまったね。気を取り直して午後の予定を確認しよう。」


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