第12節 -示された決意-

 午後6時。国際会議場では特別総会が進行中である。たった今、六番目の発言国の演説が終わり、次はレオナルドが演説を行う順番となった。

 ついにその時は訪れた。議長から世界特殊事象研究機構が指名される。レオナルドはゆっくりと立ち上がり、堂々とした足取りで演壇へと向かう。

 全世界が注目している。紛う事なく、今からレオナルドが行う演説の内容に対してだ。今回の特別総会はこの時の為に用意されたと言っても過言では無いかもしれない。

 巨大な勢力を持つ機構がどのような施策を打ち出すのか世界中が固唾を飲んで見守っている。

 ある者は期待を寄せているだろう。またある者は、発表内容に対してどう攻撃しようかと手ぐすねを引いているかもしれない。


 演壇までの通路を一歩、また一歩と胸を張って前へ進む。ステージへと上がり、演壇の前に辿り着くとレオナルドは用意した原稿を手元に置いて前を見据える。

 輝かしいスポットライトが自分を照らし出している。大勢の人々が集っているはずの会場内は静寂が支配していた。

 レオナルドは視線を一度手元の資料へと落として深く深呼吸をし、今一度観衆の方を見据えてから演説を開始した。


                 = = =


 今この場に集まり、私の演説を聞かれる皆様にまずは深く感謝を申し上げます。

 私は世界特殊事象研究機構の最高責任者を務めますレオナルド・ヴァレンティーノです。

 ご存知の通り、我々機構は世界各国で起きる災害などの緊急事態に対処する為、皆様の支援を賜って今日まで活動を続けています。

 我々機構は、今日この場の話し合いにおいて皆様にお伝えしたい事があり馳せ参じました。この総会における参加と発言を認めて頂いた国際連盟及び関係各所の皆様にも改めて感謝を申し上げます。


 西暦2031年現在。世界の総人口は八十億人を超え、この先の未来においてもその数は増え続けるだろうと言われています。

 その人口の増加と比例するように、今後も増え続けていく事が予想されているのが、本日議題として取り上げられた難民です。

 戦争やテロで祖国を追われた者。人種的迫害によって暮らせなくなった者。食糧問題、貧困、あらゆる困難によって生きる為の基盤を奪われた人々。

 祖国からの援助を満足に受ける事が出来ず、生まれ育った地に留まる事が困難となった人々。

 そうした人々は自由を求め、自立を求め、別の国々の入り口の門を叩きます。彼らにとっては、そうするしか生きる道が無いからです。


 門を構える世界の国々は、彼らの困難を理解し、共有し、自国が出来る限りの援助を行う意思を持って手を差し伸べてきました。

 難民条約に基づき、世界各国は人道的観点から問題に対する責務としてこれを受け入れてきたのです。しかし残念ながらそこには既に限界が訪れています。

 増え続ける人口に比例して増え続ける難民を、一国が持つ限りある許容量の中で際限なく受け入れる事は到底不可能です。

 各国は、第一に自国民の生活を守るという責務があり、自国の発展と安定を永続できるように国家運営をしなければならないという責任があります。また、彼らが難民を受け入れた場合、その後の事があります。保障の問題です。

 食料、住居、医療、労働、教育の提供など、彼らの生活を支える為に行われる努力にも限界が訪れようとしています。


 およそ二億人。この数字は今世界にいるとされる難民の数です。この十年の間でおよそ二倍に増えました。残念ながら減少に転じたことは過去一度もありません。

 では増え続ける難民に対して世界はどうあるべきなのか、私達機構が出来る事は何かあるのか。私は今までずっと考えてきました。その答えを今日ここでお話しようと思います。


 その前に、一つ指摘しなければならない事もあります。この場で批判を行うつもりでは無いという事をご理解頂いた上でお聞き願いたい。

 私は世界が現在理想として掲げる “難民解決策” というものには致命的な矛盾があると考えます。

 その内容とは、ひとつは難民が自らの意思をもって祖国へ戻り保護を受ける事。ひとつは受け入れ国の保護を受ける事。ひとつは第三国へ移住する事。この三つです。

 考えとしては素晴らしく、理想としては間違っていない。

 しかし、先にも申し上げたように、この解決策は前提からして既に破綻していると言わざるを得ません。

 なぜならこれらの方法は巨大な問題を一時的に緩和する為の対症療法としか成り得ないからです。木を見ている者は森を見る事が出来ないという事の体現でありましょう。


 増え続ける難民の数を止める為には元になる原因を根絶する必要があります。

 ただ、その原因は単一ではありません。戦争、紛争、テロなどの暴力。信仰、信条、人種、ジェンダーに対する偏見や差別。貧困問題。食糧危機。

 全世界や世界中の人々一人一人が共通の倫理観を持って今すぐに解決に挑むべき問題の数々。こうした不特定多数の要素のひとつひとつが難民を生む原因となっているのです。

 これらの問題を先に限りなく根絶に近い形まで持っていかなければ難民問題というものが解決の日の目を見る事は無いでしょう。ただ、全てを解決する為には相応の時間と想像を絶する努力が必要です

 今日の議題ではありませんが、発展途上国や新興国に対する継続した支援もますます必要となってくるでしょう。紛争解決の為に安全保障の話を全世界が互いの主張を乗り越えた上で協力して進める必要もあります。

 又は信仰、信条、人種やジェンダーに関わる事は世界中に生きる全ての個人の倫理観へ訴えかけなければなりません。

 このように、人が人として生きる為に解決すべき課題は山積みです。


 では、山積みとなった問題を目の前にして途方に暮れるしかないのでしょうか。

 助けを求める者と手を差し伸べる者。難民と受け入れ国という関係性が破綻しているこの世界で、果たして我々はその手が繋がれる事を諦めるべきなのでしょうか。私は違うと確信しています。

 ほんの少しずつでも前進していく事で、この危機を乗り越えられると私は確信しております。


 前置きが長くなりましたが、ここで皆様に我々機構がこの問題に対してどのような施策を取るのかについてお話をしていきましょう。

 これから申し上げる話を聞くと、先程お話した世界が掲げる理想論に対する矛盾の話に対して、私達自身が矛盾した行動を取る事になるとお思いになるかもしれませんが、その理由についてはまた後程説明させていただきます。


 一つ。我々機構は我々が受け入れる事が出来る範囲で難民の受け入れを開始します。

 規模は二十万人を想定しています。まず最初に五万人、次にさらに五万人、そこから段階を追って受入れをしていく予定です。

 我々が保有している公海上に展開するメガフロートや、各支部で調整しながらになりますが、決して不可能ではありません。


 二つ。必要な医療、食料、住居の提供を行います。元々我々は自然災害などに対処する為の国際機関です。医療の提供、食糧の提供、住居の提供は専門分野の一つとなります。

 生活基盤として必要な支援は惜しみません。彼らの基本的人権が尊重されるように、我々が持てるものを惜しみなく分け合っていく所存です。


 三つ。受け入れた難民を雇用します。これは希望性です。素晴らしい才能や秘められた力があるならば、それを活かす為の環境を提供すべきだと考えています。

 当然、希望者の雇用に際して一定の雇用試験は設けさせていただきますが、多くの人々が理念を持って我々と共に活動してくれる未来が訪れる事を願います。

 また、労働の提供以外にも教育の提供として子供たちの学習支援も行う予定です。


 これらの施策の為にまだ調整をしなければならない事がある為、今すぐに実行は出来ませんが、準備が整い次第すぐに実行に移していきます。


 以上が我々機構がこの場でお伝えする難民問題に対して行う施策となります。

 この話をお聞きになった皆さんは、おそらく先程の私の話を踏まえて “根本的な解決策にならない対症療法の提示しかしていない” と考えられる事でしょう。

 当然、私もこの施策が根本的な解決策に直結するとは考えておりません。しかし、今我々に出来る事の究極でもあります。


 先程、私は世界が根本的な問題解決を図る為には “時間が必要だ” と申し上げました。

 そこで、増え続ける難民を保護しつつ、問題解決を話し合う為に必要な時間を捻出するための一助になると信じてこれらの施策をまずは提示する事にしたのです。

 各国の受け入れ状況が限界に達している中、話し合いの時間を作る為にはどこかが各国の代わりにその責任を引き受けなければなりません。

 故に、我々も国際社会の中で生きる組織としてその責任を受け持つという決断を今この場で表明いたしました。

 次に必要なのは諸問題の根本的解決です。簡単な事ではありません。想像を絶する苦難が待ち受けている事でしょう。ですが、今私達の時代で解決を目指さなければなりません。

 

 欧州を揺るがした難民危機から十五年の歳月が流れました。あれ以来、未だに有効な解決策を我々国際社会は話し合う事が出来ていないのです。

 一刻の猶予もありません。互いの利益や既得権益を守る為の打算を止めるべき時が来たのです。


 世界全ての人々が平等を享受する事が難しく、人として生きる為の最低限の権利すら保障される事も難しい時代が続いています。

 しかし、有史以来、数々の歴史的難題を抱えて来た我々人類は、その難題を多くの人々と手を結び助け合う事で克服してきました。

 この先にぶつかる難題もそうした努力によって世界が一つとなって克服できるものと私は信じています。


 我々は独立国家ではない一国際機関です。故に今までこの問題に対して直接介入することはなく、常に行く末だけを見て参りました。

 それも今日という日が最後となります。世界の状況は常に流動的です。差し伸べられる手がありながら、国家ではないという理由でただ傍観する事はもはや出来ない状況にまで達したと判断致しました。

 多くの国々が、我々の掲げる理念に賛同して下さり、多くの国々が我々の活動を支援してくれています。我々も自然災害や様々な事故などの人為災害、特殊災害に対する救助支援活動を行ってきましたが、この問題に対しても人為災害のひとつとして動くべき時が来たと感じています。


 この施策は世界にいる難民の人口から見ればほんの僅かな手助けにしかならないかもしれません。海洋を本拠地とする我々に提供できる支援には物理的な限界があります。先にも申し上げた通り、その中で出来る最大の支援をこの場で発表させて頂きました。

 この施策が解決の糸口に繋がる一つになる事を願います。


 行動にこそ意味があると信じて。我々が踏み出す一歩が、多くの人々の救いになる事を期待しています。

 そしていつか戦争、紛争、貧困、差別、無知、不正などの問題が解決されて、世界中の全ての人々が等しく人としての営みを送る事が出来る日が訪れる事を切に願っています。

 多くの麦を実らせるために、無関心という一つの暴虐を捨て、たった一つできる最大の事を行う。その積み重ねがこの世界をより良き未来へ導くと信じて。

 以上です。ご清聴頂きありがとうございました。


                 = = =


 会場から拍手が巻き起こる。およそ十分。短い時間ではあるが機構の立場と考え、機構が行うべき選択や可能な施策、その結果として願う未来を全世界に向けて発表した。

 演壇から一歩下がり深く礼をした後、レオナルドは所定の席へと向かって歩みを進めた。


 受け入れを表明した以上後戻りは出来ない。さらに、これで終わりではなくここからが始まりである。

 予定されている演説が終了した後の討論で各国から受け入れ時期や受け入れ対象についての質問、又は予算的な質問、或いは追及を受けるだろう。それに対して正確に答えなければならない。

 特に、既に難民問題に関して限界のところまで来ている国々からは、今すぐに行動を開始する事を望まれるだろうし、世界が掲げた理想に対してはっきりと “破綻した理想。矛盾した解決策” と言い切った姿勢に対する言葉は厳しいものになるに違いない。

 全て承知の上だ。万一、次の対応を誤れば機構の将来的な存続に関する重大問題を引き起こしかねない。


 発表を終えたばかりのレオナルドが所定の席へ戻るとフランクリンが労いの言葉を掛けてくれた。

「お疲れ様でした。総監。」

「ありがとう。しかし、この後が大変だ。」

「はい。既に問題に直面している当該国からの厳しい追及があるでしょう。この場で理想的解決策を非難した事に対する追及も有り得ます。」

「そうだな。これで我々は後戻りする事は出来なくなった。求められる役割と、実現できる事を天秤にかけながら慎重に判断を下さなければならない。」

 そう言うとレオナルドは深く深呼吸をした。舞台では次の発言国代表が登壇し、演説を行おうとしているところだ。

「ところで、ゼファート司監。今日登壇した発言国全ての演説内容は記録しているな?」

「はい。」

「事前にこちらが予想した質問内容と、それらの演説を踏まえた上で新たに予想される質問内容をすぐに精査するぞ。」

「承知しました。」

 演説が終了したからと言って立ち止まる余裕などない。発言国演説が一巡して、討論が開始される前に回答を用意しなければならない。一刻の猶予もない状況だ。

 二人は現在進行中の演説も含めて、すぐに内容の精査にとりかかった。


                 * * *


 時計の針が午後7時を指そうとしている。

 ブダペストの聖イシュトヴァーン大聖堂付近。フロリアンが宿泊するホテルの前に三人が乗る車は停車した。

「ありがとう。ここが僕の宿泊しているところだよ。」

 アシュトホロムからブダペストへ戻り、さらに宿泊先まで送ってくれたアザミとマリアにフロリアンは礼を言う。

「こちらこそ、今日は一日付き合ってくれてありがとう。」マリアが返事をする。

「良い勉強になった。いや、考えさせられたよ。僕は知らない世界を見たいと言いながら、見ようとするものを意識的に選別していた。見ようとしていなかった事がよく分かった。」

「君だけではない、私だってそうだ。自身の興味関心を際限なく幅広い方向へ持っていける人間などそうはいない。誰だってそうだよ。でも、今日の出来事が君の役に立ったのなら私は嬉しく思う。フロリアン、これは私からの提案だ。先程公園での帰り際にも言った通り、私達は明日の午後から国境沿いの町リュスケに向かうけど、一緒に来ないかい?」


 マリアの提案を受けてフロリアンは考えた。

 彼女の提案は自分にとってこれ以上ないほど魅力的だ。しかし今日一日にしてもそうだが、何から何まで面倒をみてもらっている事や、彼女たちの素性について詳しい事が今一つ分からないという事が気にかかった。

 悪い意味で怪しいなどという事では無く、違和感があるという印象だろうか。どうにも言葉では言い表しづらい感覚だ。

「今すぐに結論を出すことは無いよ。君の素直な気持に従ってくれたら良い。もし私達と一緒に来てくれるなら、明日の朝九時に私たちの宿泊するホテルの前に来て欲しい。場所はセーチェーニ鎖橋の前にしよう。あと、これは私の電話番号だ。何か話したいことが出来たらかけてくれ給え。」

 しばらく考え込んでいたフロリアンにマリアは穏やかな表情で言った。さらに彼女はフロリアンの考えていた事を見透かすかのように言葉を補足した。

「それと、もし自分が同行する事が私たちの迷惑になるのではないかとか、全部用意してもらう事に抵抗があるとか考えているなら、そんな事は気にしないで欲しい。全ては私達がそうしたいからこそやっている事だからね。」

 まるで人の心を読んでいるようだ。マリアの言葉を聞いてフロリアンはそう思った。

「ありがとう、マリー。よく考えてみる。今日はこれで失礼するよ。おやすみ。」

 笑顔でそう伝えるとフロリアンは車を降りた。

 マリアは何も言わず、ただ笑顔と手ぶりでフロリアンを見送る。その後、二人が乗った車は静かに走り出し鎖橋の方へと消えていった。

 車が見えなくなるまでの僅かな間、フロリアンはその後ろ姿をずっと見つめていた。

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