第3節 -朝食はカフェへ-

 しばらくネットテレビを眺めていたフロリアンだったが朝日が昇る頃には見るのをやめ、シャワーを浴びて身支度を整えた。

 現在時刻は午前8時半を回ろうとしている。少し遅めになるが朝食をとる為に外出する事にした。

 その前にどこに向かうかである。非常に良い天気なので実際に歩き回って探すのも楽しそうではあるが、初めて訪れる地という事もあったので今回は自分好みの店をAIにリストアップさせ、その中から選ぶことに決めた。

 ブダペストにはモーニングを簡単なコース料理で楽しめるカフェや世界各国の多種多様な料理を楽しめる店が多くあると事前に聞いている。それを踏まえた上でAIに自分好みの店をいくつか提示させる事にした。

 手元の腕時計型携帯端末のマップ機能を呼び出しホログラムの地図を表示する。


 スマートデバイスの一種であるこの腕時計型小型端末は、手持ちのスマートフォンと無線通信により連動している。スマートフォン本体で出来る事はこの端末を介してほとんど全てを行う事が出来、本体を手に持たなくても話し掛けるだけでAI機能により調べ物をしてくれたり、電話をしたりする事が可能だ。

 尚、調べ物の結果はホログラムとして空間に投射されたものを確認する事になる。

 VRやARといったxRの技術が格段に進歩して以来スマートフォン本体の進化も著しく、十年以上前と比べると比較にならない程の発展を遂げている。最新のものではディスプレイそのものを搭載していない機種まで存在する。

 それらはマクスウェル視を利用し、目の網膜に直接映像を投影させる技術を用いている網膜投影型のものや、レーザー光を用いた網膜走査型を採用しているものだ。

 目そのもののピント調整機能に頼らず機械により自動ピント調整を行うこれらの技術は、弱視の人でも非常に鮮明で美しい映像を見る事が出来るとあって需要は高い。


 フロリアンはスマートデバイスを使用してお目当ての朝食が楽しめそうなカフェがある場所をリストアップする為にAIに話しかけた。

「朝食をとりたい。近くのカフェを探してほしい。」

 するとAIが近隣のカフェをリストアップし、既に表示していた地図に場所や詳細を表示してくれた。

 この端末に搭載されているAIは、持ち主が予め登録した好みの情報や過去の使用履歴と現地の最新情報を元に、条件として最適と思われる検索結果を返すように出来ている。加えて今の気分や体調を付加情報として与えてやれば即座に検索結果の修正も可能だ。

 世界中のどこにいても自分に必要な情報をすぐに呼び出してくれるこの端末はフロリアンにとって、旅の相棒と呼ぶに相応しい。


 今思えば、自身が幼い頃のスマートフォンは目的の場所を一つ探し出すにも苦労したものだ。

 AIも今ほど発達していたわけでもなく、話し掛ける事で目的の情報を調べる機能においても、AIの音声処理のミスよって目的と異なる情報を表示させる事も多かった。

 またインターネット上にある膨大な情報を本体の小さな画面の上に表示し、そこからさらに自分自身の目的に応じてひとつひとつの情報を取捨選択する必要があった為、今と比較するととても効率的とは呼べない代物だ。

 実際、フロリアンの両親は過去、自分を旅行で色々な場所に連れて行ってくれた際にそういった方法で地図を調べていたが、限られた画面内で目的の場所を探す事に少し苦労していた事を覚えている。

 あの当時から十年の歳月が経過し、今では進化したスマートフォンと連動した小型端末を世界中の多くの人々が活用し日々の生活に役立てている。

 何もかもAIが調べてくれるというのは味気ないと思わなくも無いが、そう感じた時はデバイスに頼らずに行動すれば良いだけの事だ。


 フロリアンは検索結果の目的地候補の中から今の気分に合いそうな場所をひとつに絞る。好みに合わせた結果を複数返してくれている為、候補を絞り込むのにやや悩んだが、見た瞬間に一番興味を惹かれた場所に行く事に決めた。

 目的地まで徒歩で十分程度の場所だ。美しい街並みを眺めながら朝の散歩も兼ねて行くには丁度良い。

 ハンガーに掛けたお気に入りのコートを手に取り、必要なものだけを詰めた小さなウエストポーチを身に着けると部屋を出た。


                 * * *


「マリー。朝食はホテルのレストランに行きますか?」身支度を整えながらアザミがマリアに尋ねる。

「レストランの素敵な朝食も捨てがたいけど、近くのカフェに食べに行こう。外の空気が吸いたい。」マリアが返答する。

 表面上は笑顔で受け答えをしているが、アザミにはマリアの心の内にまだ憂鬱な気持ちが残っている事が伝わってくる。いつもより言葉数も少ない。

 アザミはマリアの髪を丁寧に梳かしながら鏡に映る彼女の表情に目を向ける。するとアザミの視線に気付いたマリアが鏡越しに視線を合わせて微笑みながら言った。

「私の顔に何か付いているかな?」

「いえ、そういうわけではないのですが。」アザミは返答に困って言葉を濁す。するとマリアは視線を戻して穏やかに返事をした。

「ありがとう、アザミ。私の事を気にしてくれているんだろう?でも大丈夫。心配いらないよ。それに明日の夜までに例の予定は終わる。」

 難民狩り。その問題が片付くまでおそらく彼女の気持ちが晴れる事は無い。終わった後でも晴れるかどうか。現にマリアは今も心此処に在らずといった様子でぼうっとしているように見える。

「昨夜は犯人には何の動きも無かったようです。メディアから新たな犯行の情報は流れてきません。」

「そうだろうね。私の視た未来における規定事項だ。次に犯人が動くのは今日の夕方になる。」

 アザミの報告にマリアが答える。表情は先程と変わらずぼうっとしたままだ。


 マリアには既に未来とその結末までもが視えている。そのはずだが、しかしこれほど憂鬱そうな表情を浮かべるという事は何か気がかりになる事があるのだろうか。

 例えば “未来の中に予測できない、見えない何かがあった” など。

 アザミは彼女の様子にいつもとは明らかに違うものを感じ取っていた。

 余計な詮索はしないが、本当にそうだと仮定して彼女が予期できないものというのがどういったものなのかは気になるところだ。

 ただそれを気にし過ぎて本来自身が為すべき事がおろそかになってはいけない。

 アザミはいつものように彼女の庇護という自身の役目と彼女との契約を忠実に守る事に意識を戻した。


「マリー。出来ましたよ。」

 アザミの言葉でマリアは現実に引き戻されたようだった。そして髪に結ばれたものを見つけて不思議そうな表情を浮かべる。

 マリアの髪には小さめのオレンジ色のリボンが結ばれていた。

「おや、アザミ?このリボンは?」

「オレンジ色は太陽を示します。今日の貴女に幸せな出来事がありますように。」


 アザミの返事を聞いたマリアは、ハンガリーを訪れる前に二人でガイドブックなどを見ながら伝統芸術のハンガリー刺繍について話をして盛り上がったときの事を思い出した。

 ハンガリーの刺繍文化にはカロチャ刺繍とマチョー刺繍という代表的な刺繍がある。

 その内、ハンガリー東部のマチョー地域に伝わるマチョー刺繍は黒い生地にプンクシュディロージャ、通称マチョーのバラをモチーフにした色とりどりで濃密な刺繍を施すことが特徴だ。

 モチーフのバラの中にはクジャクの目と呼ばれる更に特徴的な刺繍が施されるが、その形は丸であったりハート型であったりしてとても可愛い。

 先程アザミが言った太陽とは、この刺繍で使われる糸の色に込められた意味を指す。赤は幸福や喜び、黒は大地、青は悲しみ、緑は追悼、そして橙色、オレンジ色が “太陽” である。


「ありがとう。とても温かい気分だ。」マリアは彼女の意図を汲み取って笑顔で礼を言う。

「それと、今日のドレスはこちらを。」

 差し出されたドレスはいつもの自分好みのゴシック調ドレスではあるのだが、袖や胸元などにあるワンポイントのリボンがオレンジ色に変わっていた。

 これもアザミなりの気遣いなのだろう。

「良いコーディネートだね。ただ…」マリアはそこで言葉を濁す。

「ただ?」アザミが不思議そうな顔をして聞き返す。

「これはいつも以上に目立たないかい?」

 笑いながらそう言うマリアの言葉にアザミは何も答えず、ただ静かに微笑みだけを返した。このリボンの変更はマリアの未来予測には含まれていなかったらしい。

 そして午前8時半頃。身支度を整えたマリアとアザミは朝食をとりに行く為部屋を後にした。

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