第15話 好きなものは?

「サービスの向上、改善のため、アンケートにご協力ください」


 学校帰り、舞果がとうとつにそんなことを言った。


「はい?」

「『サブスクリプション彼女サービス』のこと」

「いいけど」

「『サブスクリプション彼女サービス』のことだから」

「なんで二回言ったの?」

「い、いいでしょ、べつに。発言する自由は憲法で認められてる」

「そういう壮大な話?」


 舞果は返事をせず、スマホを操作した。


「はい、URL送った」

「URL?」


 LINEに送られてきたリンクをタップするとブラウザが立ちあがってWebページが表示された。タイトルは『サブスク彼女 サービス向上・改善のためのアンケート調査』。その下には質問が列挙されている。


「仰々しくない?」


 久々にこの台詞を吐いた気がする。前の文字びっしりの契約書のときも思ったが、舞果は適当に見えて意外と几帳面なところがある。


「カジュアルなアンケートだよ」

「Webページを準備されている時点で圧がすごいんだけど……」

「質問は軽いから」


 俺は半信半疑で質問文を読む。


『Q1.好きな食べ物はなんですか?』


 思ってたやつの十三倍は軽かった。


「こんなの口頭で聞けばいいだろ!?」

「口頭では、ちょっと……、聞きづらいじゃん」

「好きな食べ物とか今日の天気って一番聞きやすいだろ。コミュ障御用達の話題だぞ。俺なんか親しくないひととは食べ物と天気の話しかしない」

「それはそれでどうなの」


 舞果は眉をひそめた。


「いいから答えてよ」

「ああ。ええと――」

「あ、言わなくていい。打ちこんでおいて。あとで見るから」

「分かった」


 記入欄をタップして、はたと手が止まった。


 ――あれ? 俺、なにが好きなんだ?


 思いつかない、わけじゃない。しかし、とくになにが好きかと尋ねられると答えに窮する。


 しょっぱなからこの調子ではいつまでたっても回答が終わらない。ひとまず一問目をスルーして二問目に移った。


『Q2.なにをしているときが一番楽しいですか?』


 ――……なんだろう。


 これも、思いつかないわけじゃない。でも一番はなんだと聞かれると答えられない。


『Q3.彼女としたことで一番楽しかったのは?』

『Q4.彼女になにをしてもらうのが一番嬉しいですか?』

『Q5.彼女と一緒に行きたいところは?』


 つぎの質問にも、そのつぎの質問にも、俺は答えることができなかった。


 黙りこんだ俺に舞果は言った。


「あのさ、そんなに難しく考えなくてもいいよ」

「いや、難しくっていうか――」


 なにを記入したとしても、しっくりこないのだ。


 前に舞果と喧嘩したときのことを思い出す。あのとき花丸の答えだったのはシンプルで率直な気持ちだった。だから今回も、率直な気持ちを書くしかない。


 俺は記入欄に素直な気持ちを書きこんでいった。





「ちょっと!」


 シャワーからあがってきた俺に舞果が詰め寄ってきた。


「な、なに?」

「なにこの回答!」


 舞果はスマホを突きだす。ディスプレイに表示されているのは先ほどのアンケートのページだ。


「なにって……、思ったままを書いたんだけど」

「『Q1.好きな食べ物はなんですか?』の回答――『なんとも言えない』」


 舞果は叫んだ。


「なんとか言え!」

「でも、本当になんとも言えないし……」

「『Q2.なにをしているときが一番楽しいですか?』の回答――『楽しいという感情は定量で測れるものではないので、順位をつけることは難しい』」


 舞果は地団駄を踏んだ。


「なにこの玉虫色の回答。日本人なの!?」

「日本人ですけど!?」

「『Q5.彼女と一緒に行きたいところは?』の回答――『とくになし』」


 舞果はスマホをクッションに投げた。


「この直司が!」

「ひとの名前を罵倒のように!?」


 でもなんとなく意味が分かるのが悔しい。しかし、この『とくになし』というのも、まったくないという意味ではなく、なにを書きこんでもぴんとこないということだった。


「全然アンケートの意味がないじゃん!」

「でもこれが俺の素直な気持ちだから。――というか、なんでそんなに必死なんだよ」

「は、はあ? べつに必死じゃないんですけど。契約継続のために顧客満足度を向上させようと思っただけなんですけど」


 舞果はきょろきょろとせわしなく目を泳がせる。まるで世界水泳だ。


「とにかく、もうちょっとちゃんと答えて」

「考えてはみるけど」


 なぜ一番好きなもの、一番楽しいことが答えられないのか。このアンケートは俺にとって、本来の内容以上に難しい問いだった。





『く・す・りのえびす~♪』


 ドラッグストア『くすりのえびす堂』店内にCMソングが流れている。ここでバイトを始めて四ヶ月強。ふとした瞬間につい鼻歌で歌ってしまうくらいには耳になじんでいる。


「いらっしゃいませ~」


 通路を正面から歩いてくるお客さんに向かって俺は挨拶をした。


 人見知りでコミュ障の俺ではあるが、ふつうに接客はできる。お客さんから『店員』以上の期待をかけられない安心感があるからだと思う。


 新製品の食器洗剤を棚のプロモーションスペースに陳列していく。大量に納品された新製品を並べる作業は大変ではあるが、俺は嫌いではない。むしろ、みっちり隙間なく積んでいくのはテトリスに似た快感がある。


 美しく陳列された食器洗剤を眺めてひとり満足感に浸っていると、横合いから「すいません」と声がかかった。笑顔を作り、振り向く。


「はい、いらっしゃいま――」


 俺は固まった。


 無造作ボブの、黒いパーカーを羽織った、まあ要するに舞果だった。いやらしい笑みを浮かべて立っている。


「うちの彼氏、言うことがはっきりしないんですけど、なんか思いっきりのよくなる薬とかありませんか?」

「そんな薬はない……! というかなにしに来たんだよっ」

「ええ? ひどい口の利き方。わたしお客なんですけど」

「この……!」


 にやにやする舞果をにらみつける。


「なんですかその目つき。お客様は神様ですよ?」


 俺は無理やり笑顔を形作った。


「あいにく無神論者なもので」

「なにうまいこと返してやったって顔してるんですか~? 神様はたとえに決まってるじゃないですか~?」

「うう……、も、申し訳ありません……」

「え? よく聞こえないんですが?」

「申し訳ありませんでした……!」

「まあいいですけど」


 うんうんと頷いたあと、舞果は急に真顔になった。


「このくだり、飽きたんだけどやめていい?」

「そっちが始めたんだろ……!」

「なんか思ったより面白くなくて」

「自由かっ」


 ほかのお客さんが歩いてきて、俺は慌てて「いらっしゃいませ」と会釈した。


「ふ~ん、ちゃんと店員さんやってるね。偉い偉い」

「金がもらえるからな」

「その金で女の子も買えるしね」

「や、やめろよ、誰かに聞かれたらどうするんだよ……!」

「大丈夫、誰も聞いてないよ。まあ聞かれてたとしたら――」

「したら?」

「そのときはごめん」

「事前に気をつける方向性で頼む。――というか、本当になにしに来たんだよ」

「……買い物だけど」

「ならLINEで連絡くれればいいだろ」


 舞果は目をそらした。


「頼みづらいものもあるじゃん」

「え? ……あ。す、すまん」

「うちの彼氏はデリカシーもないなあ」


 と、笑った。


「そろそろ上がりだよね? 外で待ってるから」


 手を振って去っていく舞果。


 退勤前の十分は長く感じるものだが、今日はいつもより余計に時間がたつのが遅く、もどかしかった。

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