第17話

 モニカがホットドッグに齧りつくのを、ジェラールは楽しそうに見守っていた。

「きみはB級グルメが好きなんだね」

「……B級って?」

「庶民派ってことさ。この間のホットケーキも可愛いとは思ったけど」

 その人差し指がモニカの唇に触れ、ソースを拭う。

「ついてるよ。お姫様がいけないなあ」

「あ、ありがと」

 不思議と悪い気はしなかった。

さっきも会議に散々干渉され、腹が立っているはずなのに。こんなふうに彼と穏やかに過ごすうち、モニカは嫌なことを忘れてしまう。

「はあ……全部、あなたのせいなのにね」

「うん? なんのことだい」

「気にしないで。それで……あなたは午後、どうするの?」

 急にジェラールが前のめりになって、瞳を輝かせた。

「それだよ! 実は城の主であるきみに、ひとつ許可が欲しいんだ」

 悪い気はしなかったが、嫌な予感はする。

「……なぁに?」

「二階に遊技場があるだろ? あれを、おれに少し改装させて欲しいのさ」

 ソール城の一角には王侯貴族のためのゲームホールがあった。亡き父の趣味であり、ビリヤードやダーツ、ルーレットなどが一通り揃っている。今では数少ない父の形見のひとつとして、昔のまま保たれていた。

 最近はセニアとジェラールが遊び場に使っているらしい。

「きみのお母上は了承済みでね。できれば、きみにも」

「どうかしら……お爺様はあんまり興味がないようだったし、あたしは構わないけど」

 わざわざジェラールがモニカの許可を得ようとするのは腑に落ちなかった。それこそ遊技場の改装など、誰も反対しないはず。

「王国騎士団みたいに、あなたの好きにすればいいじゃないの」

「そうはいかないよ。きみのお父上をないがしろにはしたくないからね」

 そのように父を尊重されるのも珍しかった。モニカは食事も忘れ、顔をあげる。

「お父様を……?」

「何年か前にお亡くなりになったんだろう?」

 もともと病気がちだった父は、即位の二ヵ月前、急逝してしまった。とうとう世継ぎには恵まれず、モニカを女王とするための法案が審議中となっている。

 国王になれなかった男。跡取りに恵まれなかった男。残念ながら、父の評価はそれ以上でもそれ以下でもなかった。

 あの父が何を考えていたのか、今となってはわからない。娘のモニカでさえ距離を感じていたほどで、妹のセニアはすっかり忘れている。

「心配しないでくれ。お父上の遊技場を無下にするつもりはないさ」

「ええ……」

 妙なところでジェラールは律儀だった。

 しかしそれとは別に、モニカには注文をつけられる。

「そうそう。今夜は部屋に行くよ、モニカ。準備をしててくれ」

「……わかったわ」

 怖気に襲われながらも、モニカは彼の『命令』に従うしかなかった。


                 ☆


 その夜、メイドのアンナには調査を依頼しておく。

「今夜のうちにまたジェラールの寝室を調べておいて。お部屋にはいないはずだから」

 アンナはぽっと顔を赤らめた。

「ま、まさか、モニカ様がジェラール様をご招待に……?」

「そそっ、そういうわけじゃないのよ?」

 墓穴を掘ってしまったらしい。ジェラール王子が今夜は部屋にいないことを、モニカ王女が知っていては、当然の推測だった。

 アンナは念入りに(余計なお世話として)ベッドを調えてから、席を外す。

「それでは失礼致します」

「お願いね、アンナ」

 一端のメイドであれば、ジェラールの部屋に忍び込ませる真似などしなかった。しかしアンナには護衛としての技術も充分にあるため、頼りにできる。

あれでクリムトより強いんだものね。

 ひとりになったところで、モニカはおずおずと『支度』に取り掛かった。

 じきにジェラールが部屋にやってくる。モニカを好きにするために。

「あのひととこんな関係になっちゃうなんて……」

 彼には命令される一方で、歯痒い状況が続いた。だが、今や城の者はふたりを恋人同士とみなし、歓迎する動きまで出始めている。すべてはジェラールのてのひらの上で。

 こんな調子で本当にソール王国を守れるの? あたし……。

 不安に駆られつつ、モニカは下着を新しいものに替えた。その上からドレスを重ね、髪を櫛で梳いておく。

 それだけのことで早くも落ち着かなかった。緊張してしまい、胸が高鳴る。

 今夜ジェラールに求められようものなら、受け入れるしかないのだから。そのために自分は下着まで新調し、彼を待っている。

 男のひとを部屋で待つのって、変な気分だわ……。

九時半をまわった頃、ノックの音がした。

「……いるかい? モニカ」

「え、ええ。空いてるから、入って」

 男子禁制の区画へジェラールがこそこそと忍び込んでくる。

「きみというやつは……警備も遠ざけておいてくれよ。睨まれちゃったじゃないか」

「え? そのはずよ」

「この部屋の前にはいなかったけど。騎士団長の仕業かな」

 ブリジットの指揮のもと、城の警備は徹底的に強化されていた。騎士団の部隊編成まで口出しされている以上、これだけは譲れないのだろう。

 ジェラールがお部屋に帰ってたら、アンナが危なかったわね。

 今夜もジェラールはモニカを弄ぶつもりに違いない。しかしモニカとて、いつまでもやられっ放しではいられなかった。

 ここで彼を引きとめておけば、その間にアンナが彼の寝室を探ってくれるはず。

 ジェラールはベッドに腰掛け、寛いだ。

「今夜はもてなしてくれるんだろうね? モニカ」

「せ、急かさないで。ほら……こういうのは、順序ってものがあるでしょ?」

「ありがちな言い訳だね。まあいいさ、時間はたっぷりある」

 まごまごしながらも、モニカはあらかじめ温めておいたカップにアッサムを淹れようとする。ところが、ジェラールから『待った』が掛かった。

「コーヒーのほうがいいな」

「こんな時間に? 眠れなくなるわよ」

「夜更かしするんだから、いいじゃないか。きみもね」

 夜更かしの意味するものは聞くまでもない。そのために今夜のベッドは至極丁寧に調えられ、枕元にはルームランプまで準備されていた。

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