第3話

「……モニカ様?」

「ううん、なんでもないの。気にしないで」

 親友まで疑いかねない今の状況が、もどかしくてならなかった。

 とはいえ、のどかな初夏の昼下がり。青い空を眺めていると、気分も上向いてくる。

「どうです? モニカ様、午後は乗馬などなさっては。馬も喜びます」

「いいわね。アンナも誘って、いつもの丘まで……」

 そこへ、ひとりの騎士が慌ただしく駆け込んできた。

「報告いたします、た、隊長!」

「……どうした? 何があったんだ」

「ハッ! それが……」

 訓練中だった若手の面々も押し黙り、緊迫感に包まれる。初夏の空気など吹き飛び、モニカの胸に一抹の不安がよぎった。

「て、帝国が我がソール領内に軍を……しっ、侵攻です!」

「なんだとっ?」

 あってはならない報告にどよめきが広がる。

サジタリオ帝国はソール王国の煮えきらない態度に、とうとう痺れを切らせたらしい。もはや有無を言わせず、ソール王国を合併する腹積もりだろう。

「帝国軍はすでに関所を越え……第一隊は降伏を余儀なくされたとのことです」

「馬鹿な! あのシグムント団長が、降伏を受け入れたというのかっ?」

 報告が確かなら、騎士団を束ねる勇猛果敢な団長さえ、第一隊とともに敵に道を空けたことになる。

ブリジットは鬼気迫る勢いで声を張りあげた。

「ただちに第四隊と連携し、城下町の守りを固めろ!」

 王国の城下に残っている戦力は、ブリジットの第三隊と、あとは第四隊しかない。

 まさか、こんなに堂々と進軍してくるなんて……。

 ソール王国の命運は風前の灯火となった。


                  ☆


 サジタリオ帝国を象徴する『籠手』の旗が、ソール王国の城下ではためく。

 モニカやブリジットには何もできなかった。帝国軍が傲岸不遜に闊歩してくるさまを、指を咥えて見ていただけ。

 城下の民を巻き込んで徹底抗戦など、できるはずがない。

「くっ……我がソールの街並みを、賊まがいの帝国軍に踏み荒らされるなど……」

 ブリジットとともにモニカも痛いほど唇を噛んだ。

 侵攻を許すにしても、あまりに情けない。こちらが兵を退き、城下町へと帝国軍を迎え入れるなど、惨めでさえあった。

 やがて城門のもとへ先頭の一団が辿り着く。

 シグムント団長は両腕を拘束され、無念そうに頭を垂れていた。モニカを前にしても顔をあげるにあげられず、膝を落とす。

「姫様、もはや言葉もありませぬ……私は騎士団の名誉を貶めてしまいました」

 モニカは不安に駆られながらも、前のめりで団長を問いただした。

「何があったの、シグムント!」

「妻と子を人質に取られ……私にはこうするほか……」

「人質だなんて、人聞きが悪いなあ」

 帝国軍の隊列からひとりの青年が歩み出てくる。

 端正な顔立ちにはどことなく見覚えがあった。その大きな手が、動揺を禁じえないモニカの顎を取り、上に向かせる。

「きみとは八年ぶりになるのかな? モニカ=ソール=ウェズムング」

「あ、あなたはジェラール=サジタリオ……」

 サジタリオ帝国の第二王子、ジェラール。今より八年前、モニカはこの城で彼と初めて出会い、さまざまな悪戯に加担させられる羽目になった。

 だが今はもう子どもの時分ではない。十七と二十一、互いに祖国の名を背負い、義務を果たさなくてはならない立場にあった。

「こちらの団長さんは『人質』というけどね、彼は自分の奥さんと子どもだけ、国外に脱出させようとしたんだ。おれはそれを『保護』したまでさ」

 ジェラールにそう仄めかされ、シグムント団長は頑なに口を閉ざす。

 ブリジットは怒りに燃えた。

「でたらめを言うな! 勇猛なる団長が志を捨てて、家族を逃亡させるなど……」

「……だそうだよ、団長さん。部下はきみを信じてくれたのにねぇ」

 しかしブリジットの言葉はむしろ団長を責め苛む。

 ジェラールの話は本当らしい。彼はソール王国がいずれサジタリオ帝国に侵攻されると予見し、自分の家族にだけ便宜を図った。

 レオン王が行方不明となってから一年、折れたのはシグムント団長だけではない。先月も外交官が妻とともに他国へ亡命し、息子のクリムトだけが取り残された。

「民を捨ておいて逃げるのが、王国の流儀なのかい? モニカ姫」

「そ、そんなわけ……」

 モニカが反論できないのをいいことに、ジェラールは含みたっぷりに囁きを続ける。

「ひょっとしたら、きみのお爺様も逃げたのかもねえ」

「き――貴様ッ! 陛下を愚弄するな!」

 ついにブリジットが激昂し、ジェラールに掴みかかろうとした。

 が、護衛の剣士に阻まれ、逆に腕を固められてしまう。

「あぁう? は……放せっ!」

「やめておけ。ここでお前が暴れても、ソール王国のためにはならんぞ」

 ブリジットとて隊長を張れるだけの実力はある。にもかかわらず、彼はブリジットを容易くあしらい、眉ひとつ動かさなかった。

「それくらいにしてやれ、セリアス。『お嬢様』を相手に男がやることじゃない」

「……そうだな」

 ようやくブリジットは解放され、息を切らせる。

「はあっ、はあ……貴様も帝国の犬なのか?」

「さあな」

 セリアスは素っ気ない調子で顔を背けてしまった。

 代わってジェラールがまくし立てる。

「こいつはおれが用心棒として雇ったんだ。無口で愛想もないやつだが、悪気はない。勘弁してやってくれないか」

「え、ええ……」

 窮地を救われたのは、むしろモニカたちのほうだった。

 ここでジェラール王子を掴みあげようものなら、それこそサジタリオ帝国に口実を与えることになる。セリアスという剣士はそれを察し、ブリジットを諫めたのだろう。

「ところで、いつまでおれに立ち話をさせるつもりだい? モニカ」

「……わかったわ。ただし軍の入城は許可できないから、そのつもりでいてちょうだい」

「了解だ。そっちの女騎士と違って、きみは冷静みたいだね」

 本当はモニカのはらわたも煮えくり返っていた。しかしこの場では、たとえ文句のひとつであっても開戦の引き金となりかねない。

 モニカはジェラールと数名の護衛にだけ入城を許し、中へ。

「この屈辱、忘れはせんぞ……胡散臭い用心棒め」

「フッ。威勢のいい女だ」

 ソールの民は不安の色を帯びながら、成り行きを見守っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る