第31話

疲れるまで無駄なやり取りを繰り返した後、僕たちは再び歩を進め始め、ベンチにたどり着いた。大きさは小さく、僕と蓮が何とか座れるぐらいだ。


 蓮は崩れ落ちるようにベンチに腰掛け、大きく息を吐いた。


 足をぶらぶらとさせている。考えてみれば、それなりの時間歩きっぱなしだったわけで、疲れて当然だ。

 

 軽く咳をした後、蓮は「おいでよ」と手招きをする。


 一つ分空いたベンチの席に、ゆっくりと腰掛けた。僕の右腕と蓮の左腕が、密着する。


「あはは、近いねー」


 頬を赤らめながら、蓮は言った。確かに近い、といよりも狭い。

 

 左手に持っていたたこ焼きの入ったビニールを膝の上に置き、たこ焼きのパックをビニールから取り出す。パックのフタを空け、既に冷えたたこ焼きの姿が露になった。

 

 僕は蓮に文句を言う。蓮は軽く謝罪する。今更どうなるものでもないので、冷たくはなったが仕方なく食べることにした。

 

 しかし、ここで気付いた。僕は右利きである。


 けれど、その右腕は蓮の左腕と密着していてうまく動かすことができない。どうしたものかと考えていると、ふと爪楊枝が目に付いた。


 なるほど、たこ焼きは爪楊枝を刺して食べるものなのだと理解する。それなら、左手でも造作なく行える。

 

 僕は左腕を動かし、パックの隅においてある爪楊枝を手に取った。


 手に取った爪楊枝を、たこ焼き目掛けて突き刺す――はずだったのだけれど、爪楊枝は既に僕の手の中から消えていた。

 

 右に座る少女が、強奪したのである。


「左手じゃ食べにくいでしょ、食べさせてあげる」


「いや、別に食べにくいこともないんだけれど……」


「――食べにくいでしょ?」


 頷くしかできなかった。

 

 なんというか、蓮は時折恐ろしいほどの迫力を見せる時がある。まるで鬼のような……。


 けれど、不快感はない。微塵もない。確かにたじろぐ事はあるけれど(現に今もそうだ)一種の心地よさのようなものを感じる事がある。


 それが一体何であるのかは見当もつかないが、分かっていることはある。僕は、蓮と共にいることで明らかにおかしくなっているということだ。


蓮の手によって、爪楊枝に刺さったたこ焼きが口の中に運ばれる。また、妙な心地よさに包まれた。

 

 目を閉じると、口の中はソースの味で満たされているのにも関わらず、鼻の奥ではあの庭園の穏やかな香りが漂った。


 まぶたの裏に、一面に咲いた花が映し出される。その中で笑顔を見せる、白いワンピースを身につけた一人の少女。


 僕は、目を開ける。目前では、瞼の裏に見た少女が、同じ表情で出迎えてくれていた。


「おいしい?」


「ああ、とっても」


 夜風が通る。


 涼しく優しい一時。


 永遠にこの一時の中で過ごしていたいと、そう思った。僕は恐らく――心の底からそう思った。


「ねえ、欄君」


「何?」


 笑顔から一変して、蓮はしおらしげな表情を見せる。


「望みの事なんだけど……」


 僕は、はっとして我に返った。


 一番重要なことを、あろうことか忘れていた。


 蓮の望みを叶えて、彼女に幸福をもたらす、それが僕のやるべき事だったのだ。


 幸福をもたらし、そしてまたはじめから生をやり直す無限サイクル。それが僕の役割、生きる意味なのだ。

 

 なるほど。


 この蓮のしおらしい表情は、ついに望みを言う決心をしたということか。これまでと比べると随分長く、そして随分と面倒だったけれど、どうにか丸く収まりそうだ。


 連が望みを言って、僕がそれを叶える。それだけ。それだけだ。


 それだけなんだ。


「やっぱり、言いたくない」


「――え?」

 

この期に及んで何を言い出すのか。脈絡もなく、突然な発言だけに余計意味が分からない。

 

 僕は語気を強く、半ば怒った口調で言った。


「約束が違うじゃないか! この祭りが終わったら、望みを言ってくれるはずだっただろ!?」


「そうなんだけどさ……でも……」


「――でも?」


「望みを言って、叶えてもらったら……欄君はいなくなっちゃうんでしょ?」


「それは……そうだけど」

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