この鉄槌で誰の頭を砕けばいい?

「え……部長、何言ってるんですか? 僕が犯人?」


「お前、森川さんの死体が発見されて全員が集まった時、掃除用具入れの前に仁王立ちしていたよな? あれは中に血がついた砲丸が入っていたからじゃないのか?」


「いや、たまたまですよ。僕が犯人なわけないじゃないですか」


 後輩は頑なに認めようとしない。彼の絶対的な自信はどこから湧いてくるのか。


 中学時代からインハイ常連、それどころか高校生で彼より砲丸を遠くに飛ばせるものはこの日本において誰一人としていない。その優越感があるいは自信の源泉かもしれない。


「じゃあ森川さんが殺された日の十四時頃どこで何をしていた? ?」


「えっ? 私? 昨日だよね、うーんと」


「確か」と助け船をだしたのは佐々木さん。「私と辻センパイと部屋にいました。三‐五です」


 それに辻さんも頷く。


 昨日の十四時というと森川さんが死体で見つかる一時間前。朝から二人の死体が見つかり、まるで通夜振る舞いのような食事をした後だ。全員が意気消沈していたので自室で過ごしていたのも頷ける。


「うん。わかった。ありがとう。じゃあ岡本、お前は?」


 前へ倣えと言わんばかりに後輩は逡巡することもなくさらりと言った。


「僕も自室で過ごしていました。出歩くのは怖かったので」


「そうか。それは嘘だ」


「え……?」


「俺は十四時頃、お前の部屋に行った。しかし誰もいなかった。なんで嘘をついた?」


「…………」


「答えてくれよ岡本? 俺の考えが間違っているなら言ってくれよ? お前が仕掛けをつくってそれが失敗してあろうことか砲丸で森川さんを殺したなんて信じたくないんだよ」


 どうか森川さんの死が嘘であってほしい。犯人が同じ部の後輩だなんて嘘であってほしい。そんな願いは後輩の次の言葉で無残にも引き裂かれた。


「…………失敗? ですよ。だって頼まれたことは実行できましたし」


「…………!」


 何言って――。


「おい、じゃあマジなのか?」と深川。天海山が噴火したような真っ赤な顔で。「お前が森川さんを殺したのか?」


「だって、断れなかったんですよ! 出来ないとは言いたくなかった。から。それなのに仕掛けが誤作動して本当なら砲丸を使うつもりはなかったでも使わないと騒がれると思って――」


 深川が岡本の胸倉を掴んだ。拳を振り上げたときに大人二人(堕落顧問を除く)が止めに入ったが数秒遅かった。


「……っ!」


 乾いた音が職員室に響いた。岡本は床に跪き、深川の拳は小刻みに震えている。


「お前、なんでだよ? マネさんに散々世話になっただろ! 練習の時、記録取ってくれたのは誰だ? お前の掛け声に元気に応えてくれたのは誰だ? お前の汗だくのウェアを洗濯してくれたのは誰だ? 誰のおかげでインハイ行けると思ってんだよ!」


「それは記録出したからに決まってるじゃないですか。マネージャーなんて雑用係ですよ」


 その瞬間、俺は『探偵』から『部長』になった。大人二人は深川を抑えているのでこのクソ恩知らずトロール野郎への道のりに邪魔なんて皆無。そして真正面から向かい合う。


「岡本、今までそんな風に思ってたのか?」


「だってそうじゃないですか。インハイに行けるのは僕が練習して結果を出したからであってマネージャーの有無は関係ないと思います」


「応援もサポートも必要なかったと?」


「はい。声援があっても記録には何の影響もしないです。というより、いつも能天気に楽しそうに部活に来ているのが少しウザかったです」


「だから……」と俺。この断罪の鉄槌でお前の頭を砕きたい。「殺したのか?」


「違いますよ。これは上巣先輩に頼まれたんです」


 衝撃的な一言が場に投下された。当の上巣さんはバツが悪そうに表情を歪める。

「ちょ……嘘でしょ? 沙耶?」


「はは……嘘よ。嘘に決まってるじゃない……」


 辻さんの問いかけにそう答える上巣さんだがそれ以上は何も言わなかった。そういえば森川さんの死体が発見されて全員が集まったとき、……。


「先輩、嘘つかないで下さいよ。言ったじゃないですか。綺羅を奪ったあの女が憎いから殺してって」


「やめてやめてっ!」


 それを合図に修羅場と化す。


 あっちでは上巣さんがヒステリックに『だって、あの女が綺羅を! 綺羅を!』と叫び。こっちでは岡本が『だから僕の意志じゃない』とかふざけたことを垂れ流す始末。


「意志なんか関係ねぇよ!」


 胸倉を掴むがびくともしない。


「お前が殺したんだ! 謝れ! 謝罪しろ!」


 深川は今にも岡本に飛びかからん勢いだ。大人二人がいなかったら被害者が増えるかもしれない。しかし俺の中にも沸々と『殺意』が芽生えている。それは抱いて当然のヒトとしての感情。マネさんを悪く言う奴に同情しろと?


「……部長」


「あぁ?」


「マネさんですよ?」


「……?」


?」


 生憎だが、そんな奴に今一度チャンスを与えるほど俺の心は広くない。


 ヒトを殴ったことなどない温厚な部長だけど。


「――――っ!?」


 こんなに誰かを殺してやりたいと思ったのは初めてだ。


 ありったけの力を込める。頭が真っ白になる。殺してやる、本気でそう思う。

 しかし、それは叶わなかった。


「…………」


 振り上げた拳。それを振り下ろして岡本の顔面をめちゃくちゃに殴ってやろうと決意した右腕が、ピクリとも動かない。


「……伊野神」と俺の右腕を抑えている誰か。「……暴力は、やめなさい」


 大人二人は深川を抑えている。つまりこの声の主は、まさか……。


「……顧問」


 それは我が陸上部の堕落した顧問、堂場仁。この期に及んで何を言うかと思ったら。


「深川が殴ったときは止めなかったのに、俺の時は止めるんですね」


「悪いと思っている。だから今度は見て見ぬふりはしない。私の生徒だから」


 なんという身勝手さか! その手を教え子の血で染めておきながら。


「あなたに……」と俺。「そんなことを言う権利はない!」


「わかっている! 先生はとんでもないことをした!」


 覇気と一緒に何か水滴が飛んできた。正体は考えないことにする。


「だから伊野神! お前には先生みたいになってほしくないんだ!」


「めちゃくちゃですよ! そんな綺麗事」


「伊野神手をおろしなさい。そして『探偵』として事件を解決しなさい。これはお前にしかできないことだ」


「あなたにそんなこと言わ――」


「堂場先生の言う通りだ、いのかみ君」


「なっ! 寺坂先生?」


「今ここでおかもと君を殴っても事件は解決せん。時には一歩引くことも人生においては重要だぞ」


「くっ……」


 目の前の岡本を見る。視線は斜め下に向けられて。


 反省の色すら浮かべていないこいつを前にして一歩引けと? けれど確かに殴ったところで森川さんは戻ってこない。それなら事件を明るみにすることで少しでも手向けになれば。振り上げていた拳をおろす。


「……わかりました。仕方ありません。話にもどります」


「うむ。よろしい。堂場先生も必死で罪滅ぼしをしようとしているんだ。起こしてしまったことは変わらん。しかしな、人間これから何をするか、その気持ちが一番大切なんだ」


 寺坂顧問は得意げに人生観を語るけど、俺にはさっぱりわからない。教え子を殺して罪滅ぼしをすれば許されるのか。それなら反省すれば人を殺してもいいってことにならないか?


「続きを話します」


 胸倉を掴んでいた手を放す。


 ここで上巣さんの様子が気になって見てみると、彼女は顔を隠して泣いていた。辻さんと佐々木さんが彼女の背中や肩をさすっている。


「えっと、森川さん殺害事件について、実行犯は岡本。それを指示したのが上巣さん。


 岡本が当該仕掛けをセットしたのが当日十四時頃。午前中はバタバタしていたからセッティングの時間はなかったと思う。そうなると、昼食後から死体発見の十五時の間。俺は十四時に部屋を訪ねたけど岡本はおらず、本人は部屋にいたと嘘をついたことから、この時間帯にセッティングを済ませたのだと考えます。仕掛けに使ったものは恐らく物置などから調達したのでしょう。そして森川さんを殺害。色々あって、凶器は砲丸を使った。殺害後に偽装工作。凶器は掃除用具入れに隠し、その後回収した。


 次に上巣さんから指示されたという点について。


 いつ、どのような話がなされたのかはわかりませんが、岡本は上巣さんから森川さん殺害をもちかけられ、断れずこれを引き受けた。上巣さんが森川さんに殺意を抱いた理由だけど、これは東村と森川さんが付き合っていたからだよね?」


 半ば予想していたけど彼女は答えない。顔を上げようともしない。


「……二股ってことか。東村の奴」と深川。「最悪だな」


「綺羅、くんを……」と上巣さん。「悪く言わないでよ……」


「岡本に頼んだのは、後輩で体格も良いからうまくいくと思ったから?」


 その言葉に対する返答はなかった。


 代わりに唸るような嗚咽が、堰を切ったように聞こえてきた。

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