暗雲

「あれから、戻ってないのか?」


「うん。戻ってないよ」


 寝起きというのもあるのだろう、朝倉の返事は弱々しい。髪は寝癖で明後日の方を向き、しまいには大きな欠伸をする。あまり眠れなかったようだ。


「そうか。実はうちの平田先輩も昨夜から戻ってないらしくてさ」


「え」


 次の瞬間、水風呂に入ったかのように顔を引きつらせる朝倉。構わず続ける。


「とりあえず顧問に連絡しよう。お前は寺坂顧問に、俺は堂場顧問の所に行くから」


「…………」


「……朝倉?」


「あ……うん。わかっ」


「おいどうしたんだ?」


 新城が朝倉の背後から割って入ってきた。事情を話すと、寺坂顧問に連絡する役を買ってくれた。顔に似合わずいい奴かもしれない。


「じゃあ、お願いな」


 俺はすぐに行動を開始した。二人もすぐに行動を開始するかと思いきや……。


 ぴしゃり。


 背後でドアが閉じられる音がした。周囲の静寂が内に生まれた不安を研ぎ澄まして、今にも胸を突き破りそうな感覚にとらわれる。それをひとまず抑え込む。連絡が最優先だ。


 堂場顧問がいるのは西館南の体育館。そこの一階教官室だ。ここからだと、まずは中央館を通って西館に行かないといけない。ひとまず中央館に行こうと歩み出したとき、階段を降りてきた女の子と鉢合わせになる。


「あ」


「あ、お、おはよう」


「あ、部長さん。おはようございます」


 それは寝間着姿の上巣さんだった。上から下まで敬語。確か同級だった気がする。もう慣れているから気にならないけど。


「あ、あのさ……」思い切って訊いてみた。「東村……知らないよね?」


「……綺羅くんがどうかしたんですか? というか、私も昨夜から探しているの」


 俺と上巣さんはしばし黙り込んでしまった。もはや親密な関係を隠す気もないようだ。どうせ二人でいちゃついて(先輩曰く)いるのだと思っていた。


 けれど、それは間違いだった。


 何を隠そう、目の前の上巣さんの不安を押し殺したような、心の隙間から溢れ出るそれを止められなくて表情が死んでいくさまを間近で見て、とても演技には見えないから。


 体育館一階。教官室は体育館の隅に設けられている。途中、渡り廊下を歩いて気づいたが今日はすごく風が強い。


「おう伊野神か。おはよう」


「おはようございます」


 ノックをすると、堂場顧問が姿を見せた。


 さすが教師、眠そうな表情は一切ない。部屋からむあっとする空気が押し寄せた。暖房でもつけているのだろう。顔に似合わず寒がりらしい。


 チラッと中を覗くと、ソファーやテレビがあり、快適そうだ。テーブルの上にはエナジーバーとプロテイン(どちらもチョコ味)。


 すぐに事情を話す。俺の話を聞きながら、段々と眉間にしわを寄せていく顧問。


「そうか……報告ご苦労さん。すぐに点呼、その後手分けして探そう。先生は尾形さんに知らせてくる。あとは頼んだぞ!」


「はい。わかりました!」


 そう言うやいなや、堂場顧問は教官室を飛び出していった。部屋の主がいなくなってもテレビは健気にニュースを伝える。


『引き続き……台風関連のニュースをお伝え……現在非常に勢力を強めながら……高波などに警戒……大時化のため観覧船などは全てキャン……』


 教官室のドアを思い切り閉めた。俺は何も聞いていない。そう、なにも――。


 ぽつりぽつりとナニカが体育館の屋根を叩く音を半ば振り切るように駆けだした。まるでそのナニカから逃げるように。

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