第8話 天体観測

 シフトが終わり、暇となったオレは廊下を意味もなく歩いていた。


 手に持った文化祭パンフレットを眺める。オレには友達という友達がいないのでこういうイベントの日は正直言って“暇”の一言に尽きる。別に普段の授業が楽しいと感じたことはないが、こうも何もすることがないとほんの少しだけあの退屈な授業を恋しくなってしまうから不思議なものだ。


 周りを見渡せば楽しそうに友達とはしゃいでいる連中ばかりだ。いくら独りを好む俺だって何も感じないわけではない。もともと独りに固執しているわけではないし、誰かと話すことだって嫌いじゃない。ただ、現状は一人でいる方が楽だ、というだけなのである。しかし、今現在この瞬間的な話をすると一人でいる方が居心地が悪いな。


 周囲と違い自分だけ一人でいることに劣等感を感じることがある。それはだれしも生きていれば一度くらい感じたことのある心情だろう。だが少し冷静に考えてみよう。他人からの目を気にするのであれば、本当は自分がどう感じているかなんて考える必要などないのだ。それよりも他人からどう見られているかを考える方がよっぽど重要だ。


 そして現在、周りの連中はオレを見て、どんなことを感じているかを考える。いつも一人でいる寂しいヤツ?誰とも話すことのない人の形をしたオブジェ?いやいや全く違う。そもそも彼らはオレのことなんて何とも思ってないし、まず第一にオレを誰だか知らないし、もはやここにオレがいることさえきっと認知していない。


 彼らは話すのに夢中で前から来る人に気づかずにぶつかるほどだ。おまけにぶつかった相手に逆ギレ。


 そんな人たちがオレに気が付くなんて到底思えない。目立つものに目を引かれ見えてるものを見落とし、見えないものを見ようと努力することなどしない。望遠鏡を担ぎ出すなんて夢のまた夢だろう。


 話をまとめると、他人の目が気になる?ならまず他人から目を向けられるほどの存在感を出せっていうことよ。気にしているのは自分で自分自身を見る目の方だ。他人の目なんかじゃない。


 自分が変われば世界は変わる。よし。オレの論理武装は完璧。パーフェクトアイディア。叡智の結晶。もう何も恐くない。


 オレはパンフレットに一通り目を走らせ終わると、あることに気づく。それはパンフレットに記載されていない空間、会議室という存在だ。これが何を意味するかというと、会議室は文化祭において使われることのない空間、つまり誰もいない自由に使うことのできる穴場スポットだということを意味する。


 オレは懸命に望遠鏡を覗き込んでしまうタイプの人間らしい。残念ながら待ち合わせしている相手はいないのだが。


 特にすることもないし、ぼんやりと文化祭エンジョイ勢でも眺めて時間でも潰そうか。


 のんびりとオレは足を進める。




 オレは会議室の前まで来ていた。


 会議室は1階に位置し、ちょうど外ステージが後ろから見えるようになっている。舞台裏を見るのはなんとなく周りが知らないことを知っているような気になって気分が上がる。


 心を躍らせながらオレはドアに手をかける。どうやら鍵はかかっていないようだ。なんの用途にも使われていない部屋ではあるので、鍵が空いてなくてもおかしくはなかったが、そんな心配は杞憂で終わる。ラッキー。


 ドアを開けると期待していた外ステージの裏側が・・・目に入るのではなく、オレの視界に飛び込んできたのは水色のドレスを着たポニーテールの少女だった。なぜか背中のファスナーが閉まっていない。


 その少女が首だけ振り向き、目が合う。そのまま世界の時が止まってしまったかのように静寂だけが空間を埋め尽くす。


 この異様な光景にオレはフリーズして表情筋がピクリとも動かせないまましばらく何もできずに呆然と見つめていると、口が開いたままの少女の方が先に状況を理解し、赤面し始める。


「い・・・今着替えてるから・・・」


 ドレスの少女、三島はきれいにたたみ終わっていたブラウスに顔をうずくめて恥ずかしそうに告げる。


「え、あ、うん」


 オレはとりあえずドアを閉める。


 んっと、あれは三島だよな?なんでドレスなんか着てんだ?いくら文化祭だからっていいのか?というかそもそもなんで会議室にいるんだ?ここはパンフレットから除外されてる虚空の場所だぞ?それに・・・


 コンコンとオレの思考を遮るようにドアがノックされ、そのあとに頭一つ分だけ開けたスペースから顔を出す。


「ちょと入ってきてほしいんだけど・・・」


 気まずそうに何度も視線を外しながらうつむいている姿はとても可愛らしい。


 三島に促されるままオレは中へと入る。


「えっとー、とりあえず謝ったほうがいいよな」


「いや、私が悪いと思うし」


 お互い視線が泳ぎまくりぎこちない空気が続く。


「なんでそんな格好してるんだ?」


「これはコスプレの衣装。私仮装大会に出ることになっちゃたからさ」


「ああ、だからか。そんなのもあるのか。で、それは何のキャラクターなんだ?」


「シンデレラなんだけど・・・どうかな?」


 胸元は大きくあいていて三島のその豊かな胸が強調されている。えっ?これで出て大丈夫なの?これ絶対優勝だわ。頭に乗っているキラキラと輝いたティアラとかめっちゃ光ってる。


「いいと思うぞ。うん」


「うん・・・ありがと」


 また恥ずかしそうに三島は視線を外す。なんだこれ。これほんとに現実なんか?


「仮装大会か。この学校ってそんなこともやるのか。さっきから思ってたけど結構レベル高いよな。この文化祭」


「浅間くんもそう思う?私もさっき回ってたんだけどいつもと違いすぎてびっくりしちゃった」


「でも仮装大会の参加は詳しくないがたぶん有志だろ?三島ってコスプレとか興味あるのか?」


「そういうわけじゃないんだけど友達に勧められちゃって。この前の話し合いの時に決まったんだけどそのとき浅間くんは教室の外見てるふりして寝てたもんね」


「そんなことがあったのか」


 その友達が勧めたくなる気持ちはわかる。そりゃあだってあの三島だもんな。そのままでもかわいいと評判なのにさらにドレスとかヤバいもんな。ヤバすぎて語彙力もヤバいな。ヤバいヤバい。


 さりげなく三島さんオレのことめっちゃ見てませんかねぇ。まあ、周りをよく見る三島ならきっとどんな人でもしっかりと見てくれているのだろう。普通の男子なら勘違いしてもおかしくないんじゃないか?もちろん、これは三島の持ついいところではあるのだが。


「ここは会議室だけどなんで浅間くんは来たの?ここには何もないけど」


 何もすることがなくて暇すぎるし、いつもボッチでいるから周りの視線がちょっと気になったから一人になりたかったなんて言えないんだよなぁ。


「大したことじゃないんだがパンフレットに載ってない教室とかってどうなってるんだろうなっと少し思ってな。ちょっくら調べに来たんだ」


「やっぱり浅間くんっておもしろいよね。ちょっと変わってて」


 クスクスっと楽しそうに笑う三島は面白そうで何よりだが、オレってそんなに変わってるんですかねぇ。何回も言われるとそうなのかなって思っちゃうんですけど?今回は苦しい言い訳だったから弁明することもできるが、このままいくと変な人ってイメージで固まってしまいそうなんだよな。ていうかめっちゃ笑うじゃん。


「三島の方はどうなんだ。しまっててもおかしくない部屋だと思ってるんだが。着替えるなら更衣室があるだろ?」


「私も最初は更衣室に行ったんだけど、いろんな人がいっぱいいて狭かったからここで着替えるのは無理そうかなって思って」


「更衣室ってそんな混むもんなのか?男子は教室かベランダしか使えないからよくわからない」


 スペースの都合上この学校では女子にしか更衣室は与えられていない。体育のときは女子が更衣室で着替えている間に教室で着替えをいつも済ましている。


「今日は特別で着替えてる人は少ないんだけど、更衣室のなかでおしゃれとかしてる人が多いんだよね。私の衣装結構場所とるし邪魔になるのとか悪いなぁって思っちゃって」


 なるほど。女子は更衣室で身だしなみを整えているのか。今日は文化祭だし気合を入れている生徒はかなりの数いるだろう。メイクなんかはトイレとかでやるイメージが強いが、この学校のトイレちょと臭いもんな。男子であるオレが気が付いてしまうのだから敏感の女子はなおさらだろう。ちなみに男子トイレだから臭いだけなのかもしれない。一応否定しておくが、女子トイレの匂いを嗅いだことはないぞ。


 純粋に用を足しに来る人は一定数いるだろうし、その人の邪魔にならないようにしているのかもしれない。ともあれ、三島はそんな空間は着替えづらくて誰もいない場所を探した結果ここに行き着いたのだろう。


「それにしても不用心なんじゃないのか?オレみたいに間違って入ってくる人とかいるかもしれないだろ?」


「確かにそうだよね。何にも使われてないから普通の人は入ってくるはずないと思ってた」


 うん。さりげなくくるね。悪気はないんだろうけど。


 三島は望遠鏡を覗き込んでまでここを見つけた。見えてるものを見落としてしまうような人には絶対にここに来ることはないだろう。


「そういえばなんかあったからオレをここに入れたんじゃないのか?」


「あっ、そうそう。背中のファスナーがなかなか閉められなくって・・・手伝ってくれる?」


 ポニーテールを横にずらした三島はオレに背中を向けお願いしてくる。


「ファスナーを閉めればいいんだよな」


「うん」


 近づいた三島からくる甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。目の前には色白肌のうなじにそこから延びるきれいな背骨のライン。こう見ると三島はやっぱり異性なんだなと感じてしまう。別に男だとは微塵も思ったことはないが、男ともとても距離感が近いため自分たちと同じように見えやすかった。


 あんまり見てると変だよな。気を付けよう。


 銀色に輝くファスナーはまるで夜空に光る星のように見えた。そうか。これは星だ!ほうき星だと思うんだ。これが探していたほうき星なんだ!


 決してこれはいかがわしいことではない。オレはただほうき星を追いかけているだけなんだ。周りの目が気になるのは本当は自分の目が気になっているだけだ。まずここに周りの目など存在しない。


 煌めくほうき星が流れていく。


 今というほうき星、大切に胸にしまっておきます。


 オレはファスナーを閉め終わる。


「これでいいか?」


「うん。ありがと。あっ。時間ヤバいかも。遅れちゃうかな?急がなきゃ!」


 そう言って三島は慌ただしく荷物をまとめ始める。


「あっ!これ持っててくれる?」


 そう言って三島はオレに向けて雑に制服を手渡す。


 ドタバタと会議室を出ていく三島を見送るとオレだけが取り残される。


 シンデレラはあんなに急いで大丈夫だろうか?ガラスの靴を忘れてないといいんだがな。


 オレは無意識に三島から手渡された制服に視線をさげる。まだ三島の体温が残っていてあったかかった。きれいにたたまれたブラウスの下からピンク色の布切れが顔を出している。なんだろう?


 ブラウスをめくり確認すると・・・ピンクのかわいらしいブラジャーの存在があらわとなる。なんだと!なんでこんなものが!?三島さんってピンクなんですね。似合いそう。なんならどんな色でも似合いそうな気もするけどね。というかこれ社会的にまずいのでは?誰かに知られたら相当ヤバいんですけど。


 ん?まてよ・・・ブラがここにあるってことはもしかして今三島はノーブラってことなのか!?えっ?それまじすか。オレが会議室に入ってしゃべっているあいだもってことだよな。これは事件です。


 ヌーブラの存在を1ミリも知らないオレはただただ興奮と困惑と驚愕の渦に飲み込まれていた。

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