第11話 助けたい理由

 ここ数日、リリーの帰宅はめっきりと遅くなった。帰宅後の話を聞くに、仕事帰りにかの老婆の様子を毎晩のように見に行っているらしい。疫病発症後は、自棄になる感染者が少なくないらしく、自決をしないように住民が各々協力しあって見守る決まりらしい。

 どうせまもなく死にに逝く命、感染者の好きなタイミングで逝かせるべきでは、と僕は無粋な質問をまたリリーにぶつけたことがあった。

 リリー曰く、


「前、まだ小さな子があなたも迷子になった森から出られなくなったの。その子は疫病に感染したわけじゃなくて、ただ遊んでいて森の中で迷ってしまっただけ。でも、私達は勘違いをしてしまった。てっきりその子に疫病が発症して、自棄になって行方を眩ませたんだろうって、勘違いしてしまったの。だから、誰もその子を探さなかった。その子、数日後に木こり職人が森の深部で発見したの。痩せ細った四肢に、内臓はハイエナに食い散らかされてて。見るも無残な状態で発見されたわ」


 という事件があったことで、村民間での疫病感染の報告、連絡はタイムリーになり、感染者、健常者含めてその子のような無残な死を遂げさせないような計らいがなされた。特に感染者は、先に語ったように自棄になっているケースが極めて高いため、見張りなんていう行いまでする羽目になっているそうだ。

 

「ただいま」


「おかえり。今日も遅かったね」


 生き残っている住民達も寝静まるような時間に、リリーは帰宅してきた。顔は、少しだけ青い。疲れがあるのだろう。


「大丈夫かい?」


「うん。まあね」


 疲労困憊でも、リリーは音を上げることはしなかった。微笑を作って、僕に問題ないことをアピールする。その様子がすでに、痛々しく見えた。


「他の住民の方々にも手伝ってもらった方がいいんじゃないかい?」


 リリーに優しく諭した。現在、かの老婆の見張りはリリー一人で担当しているそうだ。何でもリリーが住民の反対を押し切って決めたそうだが、僕は強い疑問を抱かずにいられなかった。本来は、数人であたる見張り。それをたった一人でやる無茶を、何故リリーは買って出たのか。

 当初否定的な意見を出した僕に対して、断片的だが本人が語ったことをまとめると、曰く、理由は二つ。

 一つは、前回エミリーを失踪させてしまったことに彼女が負い目を感じていること。

 そしてもう一つ。

 リリーと老婆がそれなりの深い関係を持っていること。どんな関係かは、リリーは結局最後まで教えてくれなかった。ただ、リリーの親族は既に皆、疫病で亡くなっている。つまり、リリーと老婆は親族以外で深い仲ということ。条件はほぼ限られているのだが、未だ何も思いつかない。


「お腹空いたよね。ちょっと待ってて」


 僕が家主の身を案じていると、彼女はこんな時間から夕飯を作ると言い始めた。


「いいよ。今日はもう。明日の朝たらふく食べたら大丈夫だよ」


「でも」


「君も疲れているんだろう。今日は早く寝よう。明日の朝食は僕が作る。仕事で出掛けるまでゆっくり寝ててくれ」


 飯がまずいからと厨房に立たせてもらえない僕だが、さすがに今のリリーの様子を見かねて提案をした。最大限の譲歩のつもりだった。


「大丈夫。大丈夫だから。ちょっと待っててね」


 しかし、リリーが僕の案に同意することはなかった。おぼつかない手元で、ご飯を作って、食べて、皿洗いに移ろうとしたところで、僕は彼女の手を掴んだ。


「もういいだろう。洗い物は僕がするから」


 リリーは黙って頷いて、二階の自室に行った。


「困ったことになったな」


 洗い物をしながら、僕は呟いた。出会ってから数日経つが、ここまで家主が意固地な性格とは思わなかった。それも、自己を犠牲にするタチの悪いタイプだ。このままでは彼女がつぶれてしまうことは目に見えていた。ただそれは困る。僕にとって彼女は、今や生きるための資本なのだ。彼女なくして、この街で僕は暮らしていくことなど出来ないだろう。


「なんとかならないか。なんとか」


 とにかく、家主は今、寝る間も惜しんで花屋の仕事と老婆の面倒を見ている。どちらかを定期的に休むことさえ出来れば、精神的にも体力的にも余裕が出来ることだろう。


「……そうだ」


 洗い物をさっさと終わらせて、僕は明日の準備を始めた。妙案、とまではいかないが、一つの案が浮かんでいた。


************************************************************************


 翌朝、いつも通りの時間にリリーは目覚めてきた。あれだけギリギリまで寝ていろ、と言ったのに。まったく。


「朝ごはん、出来ているよ」


「……大丈夫なの?」


 不安げな彼女に、僕は微笑んだ。「勿論さ」

 しばしの抵抗をした後、リリーは諦めて食事を取った。不満そうな顔はしていない。が、絶品に舌鼓をしている様子もなかった。それでも僕は、心の奥で安堵していた。またまずいと一蹴されなくて良かった、と。

 洗い物を手早く済ませると、リリーが仕事に向かう準備を始めていた。


「今日も、仕事の後にあのおばあちゃんのところへ?」


「うん」


「大丈夫かい?」


「うん」


 僕の心配も生返事でリリーは返した。どこが大丈夫なんだ。まったく。

 ならば、仕方ない。やるしかない。


「なら、行こうか」


 僕は先日使用したベレー帽を目深に被り、リリーに言った。


「うん。……うん?」


 鞄に入れた荷物を確認していた視線が、玄関で待つ僕の方へ寄せられた。


「行くって、どこへ?」


「どこって、花屋さ。君の職場の」


「どうしてオリバーも行くの?」


「どうしたの。早く行こう」


 彼女の問いかけにも答えず、僕はさっさと家を出た。


「ちょっと待ってよ」


 リリーは慌てた様子で僕を追いかけてきた。鍵を閉めたり何なりとリリーがして間に、僕とリリーとの距離は結構広がっていた。


「待ってってば」


 早足で僕は歩く。彼女が諦められるようになるべく遠くまで進みたかった。先日の通った商店街の前で僕はリリーに腕を掴まれた。


「ちょっと、オリバー!」


 リリーの声に、珍しく怒気が混じっていた。

 僕はリリーのほうへ振り返った。


「どういうこと。どうしてあなたも花屋に行くのよ。説明してよ」


「簡単なことさ。僕が店番をするから、君はその間少しでも寝ていてくれ。本当は僕が接客まで全部出来たら君を家で休ませられたんだけど。なにぶん、花への知見はなくてね。固い椅子で寝ることになるけど我慢してくれよ」


 作戦。とまではいかないが、僕の考えはそれだった。少しでもリリーが休める時間を作れるように、彼女のヒモに近い僕が取り計らわないでどうする。


「な、なんでそんなことする必要があるのよ」


「君、いっぺん鏡を見たほうがいいよ。酷い隈だ。全然寝られていないんだろう」


 そういうと、リリーは醜態を晒したと思ったのか頬を染めた。しかしすぐに、俯いた。


「そんなの大丈夫だよ。花屋の仕事も、おばあちゃんの面倒も私一人でなんとかなるもん」


「今はね。でもそのうち破綻するよ」


 いくら老婆の去るまでの時間が定まっていると言っても、それまで彼女は一人でそんな激務をこなさなくてはならない。既に限界が近く見える現状で、残りの時間もやり遂げられるとはとても思えなかった。


「……私は大丈夫。大丈夫だから」

 

 これだけ言っても、リリーは頑なだった。彼女が何を思って、ここまで一貫した姿勢を貫くかはわからなかったが、それでも間違った考えを正す必要はある。それは他でもない、彼女と同居している僕がすべきことなのだろうという自覚もあった。


「リリー、そんなに僕は頼りないかい」


 リリーは言葉を噤んだ。半分答えである気もして悲しくなったが、表面に出さずに僕は言葉を続けた。


「確かに僕は料理が出来ない。記憶を失くしてして君に何度も悲しい思いをさせた。でもね、僕は君を助けたいんだ」


 歯の浮いたような台詞を口にしてしまった。女性にこんなことを言った経験はこれまでありはしなかった。ただ、思った言葉が口に出てしまったのだから仕方がない。


「助けたい?」


「今の君、酷く辛そうだ。僕にだってわかるくらいにね。だから、何か出来ないことはないかと思ってしまうんだ」


 リリーはまた黙ってしまった。もう一押しだ。


「今は君に頼りっぱなしで情けない僕だけど、店番くらいなら完璧にこなして見せる。だから、頼むよ。君の手助けをさせてくれ。お願いだ」

 

 僕は必死に懇願した。必死なあまり、彼女の手を鷲づかみにして、真剣な眼差しを彼女に向けた。

 リリーは最初驚いた顔を見せていたが、少しづつ顔を赤くさせていった。まるで茹蛸のように真っ赤になる頃には、


「わ、わかったから。手、離して。恥ずかしい」


 と逆に懇願されてしまった。

 過程はどうであれ、彼女の許しを得れたことで、僕はとびきりに喜んだ。そして、安堵した。


「ありがとう。リリー」


「う、ううん。とにかく行こう。お店に」


「そうだね。お客さんを待たせるわけにもいかないしね」


 心を躍らせ、僕は花屋のほうへ歩き出した。しかし、背後に気配がないことを察して、足を止めて振り返った。

 リリーは、随分と遠く、むしろ先ほど話した位置から進んでいなかった。


「どうかしたの?」


 何かあったのかとリリーに詰め寄ると、特段体に異変が起きた様子は見られなかった。ただ、悩むように俯いていた。


「……ねえ」


「ん?」


「私がオリバーの助けを借りなければいけない状態ってことはわかったの」


 と、リリーは前置きをした。


「でも、どうして、私を助けたいって思ったの?」


 どうして、か。

 そんなの……。あれ、なんでだろう?

 そういう関係だから? いや、僕と彼女は、同居人と家主の関係。人助けをするような間柄では決してない。

 ならば、何故?

 ……いや、よく考えれば当然ではないか。

 だって、彼女は……。


「命の恩人だから、かな」


「恩人?」


「うん。あのまま森にいれば、僕はいつか話してくれた少年のように、ハイエナの餌にされていただろうからね」


 それに今は、無賃で家に住まわせてもらっている恩もある。手助けしたいと思うのは、至極当然ではないか。


「そっか」


 しかし、僕の返事にリリーは寂しそうな顔を見せた。なにが気に入らなかったのかはわからない。そして、彼女がそれを教えてくれることもないのだろう。

 とにかく今は、彼女の体を少しでも休めたい。それだけでの一心で、僕はリリーと共に彼女の職場の花屋に歩いた。

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