第9話 移ろい、変わる世界

 ガラス越しに外を見る。雨は中々止みそうもない。


「そろそろ説明して、オリバー」


 ただ僕は今、外の天気を心配している様子はないらしい。

 リリーは、僕に対して、説明を求めていた。声は、少しだけ怒気を孕んでいるように聞こえた。


「説明って何を?」


「私、恥ずかしいからここには来ないでって言った」


「そうだっけ?」


「今朝の話だよ?」


 うん。そうだな。とぼけても無駄らしい。


「君の職場に来たのは偶然だよ。散歩していたら、雨が降ってきたんだ。それで、手頃なお店に飛び込んだら、偶然ここだったんだ」


 嘘ではない。偶然雨に打たれたことも。飛び込んだお店がリリーの職場の花屋であったことも。

 ただ僕はわかっていた。彼女がそんなことを知りたいわけではないことを。僕は本質をずらしている。意図的に。


「そうじゃないよ」


 リリーは、僕がどうして家の外に出たのかを聞きたいのだ。彼女は僕が仕事場に来るのを嫌がったのではない。僕が外に出るのを嫌がったのだ。

 しかし、リリーは核心を突こうとはしない。家から出るな、だなんて、家主である彼女とて一方的に突きつけていい命令ではなかった。


「外の風景を見たかったんだよ」


 しばらくの沈黙の後、僕は言った。言い訳は、外に出ようと決めた時から決めていた。


「昔住んでいたらしいこの街を見れば、何か思い出せるかもと思って。無駄だったようだけど」


 肩をすくめると、リリーは酷く寂しそうな顔をしていた。


「私、あなたに街を見てほしくなかったの」


「え?」


 観念したのか、リリーは心境を吐露した。どうやら僕を人体実験に使うとかではないようだ。ただ、イマイチ彼女の言うことがわからない。

 首を傾げていると、彼女は「店の奥へ行こう」と促した。


「仕事は?」


「言ったでしょう。お客なんて滅多に来ないの。物音がしたら見に来れば大丈夫だよ」


 花の間を通り、カウンターを過ぎ、休憩室に二人で入った。こじんまりとした部屋に、少し古びた机と椅子二脚が置かれていた。


「他に店員は?」


「いないよ。店主だったロックウェルさんも、先月亡くなってしまったの」


 だから、椅子が二脚あるのか。


「ロックウェルさんの旅立ちの間近、色々と引継ぎはしたんだけどね。卸業者の方も人手不足みたいで、結構切り盛りが大変なんだ」


「卸業者の人も、疫病で?」


「勿論。どんどん皆いなくなる」


 椅子に腰掛けて、リリーは窓越しに外を見ていた。幾度も葉に水が打ちつける音が耳に入る。その音は断続的に続き、どんどんペースが速くなっていっている。


「雨、止みそうもないね」


「そうだね」


 雨音だけが響く。どれだけ無言でいただろう。判別する方法は何もなく、ずっとそうしていたような錯覚すら覚える。


「どんどん変わっていってしまう」


「何が?」


「ここ、昔三人でよく来たんだよ。少女趣味はないって、あなた嫌がったんだけど、私達に文句も言えずに渋々着いてきてたの」


「そう」


「楽しかった。ロックウェルさん優しくて、売り物に出来ない粗悪品を裏でこっそり私達にただでくれてたの。もらった色とりどりの花で冠を作って、エミリーと自慢しあったり、押し花にしたりして」


 窓の外を見ているリリーは、随分と遠くを見ているように見えた。


「花って、心を穏やかにしてくれるでしょう? もらうと、幸せな気持ちになれるでしょう? だから私、皆を幸せに出来る花屋になろうと思ったの。でも、皆いなくなってしまった。お父さんもお母さんも。エミリーも。皆、幸せになんてなれなかったみたい。最近思うんだ。私、なんで花屋になったんだろうって」


 リリーの声は、少しだけ震えていた。


「大切な人を亡くして、この街を見ると、昔見た街と全然違ってた。昔はあんなに鮮やかに見えた花が、少しくすんで見える気がする。夜はあれだけ人の声でうるさかったのに、今じゃ誰の声も聞こえてこない。公園の大きな風車も、管理者がいなくなってさび付いてしまった。もうここは、私のいた街ではない気がしてしまうの」


「そんなことないんじゃないかな」


「だったら、オリバーはここに来て、何か思い出せた? ここに来るまでの商店街で、何か思い出せた? 馴染みの街を久しぶりに見て、どうだった?」


 僕はオリバーなんかじゃない。だから、何も思い出せはしない。だから当然の結果だった。僕は口を閉ざす。


「だから私、見せたくなかったの。オリバーにこの変わってしまった街を」


 リリーはそれだけ話して、苦笑した。


「ごめんなさい。変なことを話してしまって。よく考えれば、あなたをずっと家に閉じ込めるだなんて、イケナイことだもんね」


 僕は思った。リリーは本当は、この街が変わっていっていることを認めたくなかったのではないか、と。童心を過ごしたこの街が変わっていくことが耐えられないのではないのか、と。

 僕を外に出したがらなかったのは、僕に変わってしまったこの街を見せたくなかったからではなく、僕がこの街を見て何も気付けずに、否が応でも街が変わったことを認めなくてはならなくなる状況を作りたくなかったからではないのか。

 この街は彼女にとって生まれ育ち、大切な人と共に過ごした街なのだ。それが変わっていくことが、彼女は耐えられなかったのではないだろうか。


「……っ」


 ふと、僕は思った。ここで僕が、この世界の住人でなかった僕が、何かを思い出した振りでもしてみればどうか、と。彼女の気持ちも少しは晴れるのはないのか、と。

 でも僕はそれが出来なかった。それをしたことで、後々整合性が取れなくなることが目に見えていたからだ。目先の結果に囚われて、後先考えず動くことが怖かった。

 それでも、悲しみ彼女を何とか慰める術はないのかと考えた。用いる手段を全て検討した。

 そして、気付いた。僕は、彼女を慰める術を、何も持ち合わせていなかった。


 無言の時間が続いた。雨音だけが、世界を支配した。

 静寂を切り裂いたのは、店の扉につけてあるベルだった。カランカランと乾いた音と共に、拉げた老婆の声が店内に響いた。


「誰もいないのかい」


「お客が来たみたい。ちょっと待ってて」


 そうして彼女は、接客に向かっていった。

 僕はただ、走り去る彼女の背中を見つめることしか出来なかった。

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