◆Episode.28 突き刺さるもの◆

 朝の鈴蘭高校では、部活動の掛け声にはじまり、音楽科の歌声や楽器の音、登校する生徒たちの笑い声などであふれかえる。

 今日も、音楽室から力強い歌声と、発声練習が聞こえてくる。

「や、わりーね市村」

「いいってことよ。ていうか、樹上っていつもこんなもん持ち運びしてんの?」

 樹上きがみと市村の腕の中には、大量の紙の束やファイル、分厚い本などがあった。

「まーな。これがオレたち音楽科の宿命よ」

「すっげえなあ。これ全部、頭に入れるのか?」

「そそー。だから頑張んないとな。俺も音大進みたいし」

 進学。

 進学という概念に、市村はとらわれる。進む道の中に、学びという道がある。そうでない道もある。どれを選べば正解になるのかは、明日というものを生きられない以上、未来の中に身を置けない以上、何を解と成せばいいのかは、誰にもわからない。

 けれど、とらわれてしまってはそこから抜け出すことができない。市村は堂々巡りの中で、解どろか答をだすことさえもできなくなっていた。

「なあ、樹上」

「んー?」

「進路ってそんな大事なもんかな」

「どうしたんだー一体。そんな深刻そうな顔しちゃってさ」

「はぁ、まぁ、その」

「何だ何だー。気になるぞー」

「少し、気になる人が何人かいてさ。俺はその人たちのことをどうこう言えないし、どうにもできないんだけど......やっぱ、気になっちまってさ」

「あーあー出たよ、市村のお節介。オレがどのコース進もうか悩んだときも、おんなじようなこと言ってくれてたじゃん?」

「まぁな。そりゃ、気になるし」

 それは市村の本音だった。道を進む本人が道を選んで成功すればそれほどいいことはないが、一度自分の身に降りかかったことだ、よかれと思って進言したことが仇となったとしたら、市村に攻撃が向いても仕方がない。

 相談される立場にある市村だったが、相手に情を持ったことは一度もなく、むしろ相談事は身に降りかかる災厄とさえ思っていた。

(本当は俺もそれくらい考えなくちゃいけないのかもしれないんだけどな)

 市村は自身の身の振り方をぼんやりと考える。自分のやりたいことは何だろうか。何をしたら満足なんだろうか。何に身を置いたら落ち着くのだろうか。何に愛情を持てばいいのだろうか。

 何に、愛情を――

「あい、じょう」

「んー? どした、市村」

 ぼう、と市村の顔から表情が抜けていく。まるで、どこかに意識が解離していってしまう直前のようだ。

「市村ー? おい、市村」

 樹上の声に、市村は意識を取り戻す。

「あ、はぁ、ごめ」

「どしたー? 顔色悪いぞ」

 市村の脳内で、何か、嫌なものが見えたような気がした。それを考えると気持ちが悪い。考えるべきではない。少なくとも、今は。

 大きく深呼吸をして、市村はしっかりと自分の中に心があることを意識した。

「ん、大丈夫」

「そかー。無理すんなよ」

 市村の無事を確認して、樹上は歩き出す。目的地は第三音楽準備室だ。そこには先に大山がいるはずだ。三人でこの大量の資料を整理するために集まろう、という手はずになっていた。

 第三音楽準備室に近づくと、中から、低く太い声で歌う声が聞こえた。大山の声だ。大山はきっと鼻歌程度にしか思っていないだろうが、音楽の素人である市村にとっては十分にプロの領域に踏み込んでいる歌声だと感じた。

 しかし。


「――ぐ、かぁっ!」


 突然、軽い悲鳴とともに歌声がやんだ。何事か、と市村と樹上は顔を見合わせる。

 当然ながら、第三音楽準備室のカギは開いている。二人はただ事ではない、と感じ取り、両手の資料をばらまいてドアを開けた。

「大山先輩!?」

 どちらともなくそう叫ぶ。中に入ると――大山が、うつぶせに倒れていた。その喉に、矢を受けて。

 今まさに、頸椎を損傷して死んでいく。その最中だった。

「ちょ、どうしよ、市村」

「今すぐ先生、呼んで来い! 早く!」

「お、おう!」

 市村の指示で樹上は走り出す。足音がどんどん遠ざかっていく。

「大山先輩、大山先輩、しっかりしてください」

「かっ......かかっ......き......」

 死体になりかけている人間を介抱できるようなスキルを、市村は持ち合わせていない。そのため、背中をゆすって大山のことを気づかせようすることしかできなかった。

 だが市村の行為もむなしく、がくがくと大山の瞳孔が揺れ、息が細くなっていく。

「先輩、大山先輩!」

「市村っ」

「樫村? 先生って来たか?」

「いや、市村の大きな声が聞こえたから、何事かって......って、大山先輩......?」

 樫村が茫然と見つめるその先には、たった今、死体になったばかりの大山がいた。

「どうして、何で」

 思わず、樫村は後ずさる。背後にあるロッカーに身体が当たり、その場に崩れ落ちた。

「ま、さか。市村、お前が」

「そんなことするわけないだろ! 先輩、しっかり、お願いです、死なないで」

 市村の声はもはや大山の耳に届かない。どうしようもなかった。


がたん


 樫村の背後にあったロッカーの中から、何かの音がした。

 ちょうど人が一人、入れるか否かの狭いロッカー。中には音楽に関連するものではなく、この周辺を掃除したり管理したりするものが入っているはずだ。

 樫村は飛び起き、そのロッカーを思い切り開ける。

!」

 何者かが潜んでいるか、と思い叫んだ樫村だが、期待通りの結果はロッカーの中に入っていなかった。

 代わりのように、ただひとつ。凶器であると思われる小型のボウガンが入っていた。



*****



 理宮真奈は思考する。

 どうしてこうなってしまうのだろうかと。

 どうして理宮真奈という人間は矮小で、全くの無力なのだろうと。

 何度も何度も、試算したそれは結実することなく、胸の痛みを酷くするばかりだ。

 いつものように、理宮は『第二書庫』の窓際、背の低い本棚の上に足を組んで座っている。

 神妙な面持ちで、座っている。

 ――否、どこか、苦しそうな表情で座っている。

 それは理宮らしからぬ表情で、いつもの余裕は全くない。

「【カミサマ】なんて、いないと。誰か言ってくれ」

 理宮は、祈る。

「【運命】なんて、ないんだと。誰か肯定してくれ」

 その声はただ『第二書庫』の中だけに響き、誰の耳にも届かない。

 まるでこの場所が結界のようなもので囲われているかのような、そんな錯覚に陥りそうになる。

 ここには誰も来ない。

 そう、主たる理宮真奈ではない人間は、誰も来ない。

 少なくとも、今まではそうだった。『魔女』を名乗り始め、本格的に『魔法』を使い始めてからも、ほとんどの人間はこの『第二書庫』に足を踏み入れることなく去っていく。

 この場所は理宮の根城で、檻で、棺桶なのだ。

 理宮真奈の青春は、この場所で死んでいく。

 それを悲しいと思ったことはない。それを寂しいと思ったことはない。

 ――彼が、来るまでは。

 遠くから、乱暴に走る足音が近づいてくる。理宮はそれに気づいて、軽く首を振って今までの表情を洗い流した。



ごんごんごん!


 いつもよりもかなり乱暴なノックの音。

「どうぞ」

 凛とした声が、扉の向こうにいる人間に届く。それと同時に、扉が勢いよく開かれた。

 結界が破れたかのように、人間の息遣いがなだれ込んでくる。

 それは、市村のものだ。

「はぁ、はぁ、はぁ、理宮さん、理宮さん、大山先輩が!」

 理宮は、笑う。にんまりと、笑う。笑うことしか、理宮にはできない。

「やはり、ね」

 【運命】となってしまった『魔法』。

 その現実にから目をそらすということを、理宮は選択しなかった。


【Continue to the next Episode】

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