『魔女』はそっと囁くように

◆Episode.26 徐々に、徐々に、少しずつ◆

 その日、市村は告白をされた。

「市村くん、付き合ってください」

 市村は過去、中学生の頃のものであるこの情景を、スクリーン越しに見ている。鑑賞はできても、干渉はできない。

 結果はわかっていた。このあとに起こることも知っていた。けれど、映像は止まらない。

「ごめん。俺、そういうのよくわかんないから」

「えっ......」

 女子は、絶句する。市村の発した理由に意味を見出せないようだ。

 市村は自分の心の中をよく知っていた。友人たちが色恋沙汰に興味を示していても、自分だけは〈恋愛感情〉というものを抱けないのだ。話題を合わせるために、アイドルやクラスの女子に点数や付き合いたいか否かなどに参加することもあったが、それはうわべだけのものだった。

 〈恋愛〉

 市村の中にないその感情。これをどうにかしようと、その当時は思っていなかった。

 だから、女子に対して酷なことをした。

「もう部活、始まるからさ。ごめんな」

 市村が女子の肩をぽんと叩くと、女子はどこかへと走り去っていった。

 何回か告白という行為をされたが、何回も好意というものを持たれたが、何度、繰り返してもこのような結果になった。

 市村の中に、感情がない。

 過去を見ている市村の胸に、ずきり、と何かが刺さる。この光景に、嫌なものを感じている。

「俺、は」

 冷や汗が市村のひたいに浮かぶ。これは、この光景は、あまり見たくないものだ。

 ぐ、と目をつぶった。夢だ、と悟っていた。覚めろ、覚めろ、と願った。

 覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ――



*****



 保健室のベッドの上で目を覚ました。市村は、ぬるいシーツの中を泳ぎ、右腕に着けたスポーツウォッチで時刻を確認する。ちょうど昼休みに入るところだった。

「はぁ。なんか嫌な夢見たな」

 否。あれは夢ではない。あれはきっと。

「......俺の、記憶のかけらなのかな」

 市村が取り戻したいと願う、記憶。一部分だけでも戻ってきたのだろう。証拠に、覚醒している今、中学生の頃のことを考えると酷い頭痛がした。

「やっぱり、まだ」

 すべてを思い出すことはできないのだ。諦め、市村はベッドに座り伸びをする。

 保健教師はいなかった。利用記録を見ると、市村の名前と、二時間前にここに運ばれたことが書かれていた。

 市村は記録名簿に自分が保健室を使い終わったことを記し、理宮のいるであろう第二書庫へ向かった。

「はぁ。カバンもあそこにあるんだろうな」

 憂鬱なため息を吐いて、市村は増築を繰り返されて複雑な構造になった廊下を進む。

 目的地には、『魔女』がいる。



*****



「失礼しまー......って、大山先輩?」

 理宮はいつもの場所、窓際の背の低い本棚の上に腰かけ脚を組んでにやにやと笑っていた。その笑顔を向けられていたのは、大山だ。

「おう、市村か」

「やぁ市村くん。遅かったじゃないか。君がなかなか目を覚まさないから、大山くんに保健室まで運んでもらい、そのあとちょいと雑談をね」

「なるほど......? でも、どうして大山先輩がいるんですか?」

「そりゃ、『魔女』に『願い』を、と思ってな。だが、オレの場合はちょっと特殊な『願い』なんだ」

 大山は神妙な顔をして、理宮に向き直る。

「さて、オレはどうしたらいいんだろうな?」

「その前に、市村くんにも経緯を話してやってくれないか。彼も一応、この『第二書庫』の住人だからね」

「ん、そうなのか、市村」

「はぁ、ま、一応というか。『魔女の助手』ってことになってます」

「ふむ。なら話さないということはしないほうがいいな。よし、話そうか」

「お願いします」

「簡単な話なんだかな。オレが進むべき道はどっちか、って考えているだけだ」

「どっち、ってどいういことですか」

 大山は、真剣な表情で話を続ける。

「オレは今まで、テノール歌手を目指してきた。だから、音楽科のあるこの学校に進学した。だが、俺は柔道でもそれなりの成績を残した。だから、いろんなところから声がかかっていてな」

「それで、大山くんは自分の道を見失いかけているというわけだよ。夢を取るか、現実を取るか、といったところだね」

 理宮が先を続けて、大山がうなずいた。

「こんなところだ。お前はどう思う、市村」

「そうですね、俺は柔道で生きていけるならその方が良い気もしますけど」

「何故だ?」

「うーん、現実的な話になっちゃいますけど、テノール歌手で一躍有名、っていうのは難しいと思うんですよ。いや、大山先輩の実力がない、って言ってるわけじゃあないんですけど」

「いや、わかるぞ。正直に言って、音大に進んでテノール歌手という道で生きていける人間はひと握りだ。一般職に就く人間の方が多い。それに、俺は母親のことを養っていきたい、という気持ちもあるからな......だから、本当なら現実を見た方がいいのも、わかっている」

 大山は何度もうなずいて、市村の言うことを呑み込んでいく。だがその瞳には闘志が燃え、夢を諦めたくないという気持ちが見て取れた。

「無理して諦める必要もないと思いますけどね。俺は、夢を追いかけるのもいいことだと思いますよ」

「ありがとう。そう言ってもらえると心が軽くなる。しかし、『魔女』はな」

「僕は現実を見るべきだと思うね」

 理宮は堂々と、そう言った。

「『キジも鳴かずば撃たれまい』だよ。君の才能に嫉妬している人間は大勢いる。そんな中、君は選り取り見取りをし放題。他人から見てこんなにうらやましいことはないだろうね。音大進学コースの人間はたくさんいる。彼らに叩かれたくないのなら、あるいは波風を立てたくないのなら、もしくは堅い人生を送りたいのなら、おとなしくスポーツ推薦を受けるのがいい」

「だとさ」

 大山は肩をすくめて見せた。

 市村は、この会話にほんの少しの違和感を覚えた。いつしか感じるようになった、理宮の言葉の中に混じる、違和感。

(あ――)

 そう、市村は気が付いてしまった。理宮が『魔法』を使ってしまったのだということに。

(理宮さん、は)

 理宮の方は気が付いているのかいないのか、飄々とした態度で大山と向き合っている。

「まあ、『魔女』の言うことも耳に入れたってことにしておくよ。俺はキジなんかになれそうになれないし、鳴いたところで撃ち落とされるようなことにはならないさ」

 言って、大山はきびすを返す。『第二書庫』から外に繋がる扉に手をかけ、最後に理宮を一瞥した。

「僕は忠告したからね。君も答えはわかっているだろう」

 理宮の言葉に返事はせず、大山は第二書庫から出て行った。

「理宮さん。あの」

「......僕は、また失敗してしまうのかもしれないね」

 どちらともなく口に出した言葉は、どちらも理宮の『魔法』についてのことだ。

「やっぱり、使ったんですね」

「使った、と言った方がいいのかな。僕にはもう止められないんだ。僕の一言が、『予言』になり【運命】になる。止めたくても、止められない」

 酷く寂しそうな顔をする理宮に、市村は眉を吊り上げ言った。

「――守りますから」

「え?」

「俺が、あんたを守るって言ってるんですよ。何が起こっても、あんたに害が無いように、俺が東奔西走、駆け回って役に立ちます。だから、そんな顔しないでください」

 理宮の顔をじっとみる市村の表情は、真剣そのものだ。

 しばし市村の表情を見つめていた理宮は、市村の表情と言葉に安心したのか、いつもの、おとぎ話に出てくる意地悪な猫のような笑みを浮かべる。

「まったく、君にそんなことを言わせてしまうんじゃ僕もまだまだだなぁ。あーあーあーあ。全くもってツマラナイ。君の真剣な表情ほどツマラナイものはないよ」

「はぁ!? ちょ、な、そんな理不尽な!」

「ははは! そうそう、君はそうやって百面相をしている方が似合っているよ。言ったからには僕のことをしっかり守って、毎日のように面白い表情を見せてくれたまえ」

「あんたねぇ!」

 そして、理宮と市村は笑った。今の瞬間だけでも楽しいと言えるように。悲しみの思い出に上書きされようとも、いずれ思い出されるものになるように。

 二人の『願い』は、おそらく同じものなのだろう――『魔女』も『助手』も、口に出さないだけなのだ。

 二人の秘めた『願い』。それが【運命】に変わる日は、遠くない。



【Continue to the next Episode】

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