◆Episode.23 これで、もう◆

 理宮と市村のもとに優樹子が最後に訪れてから、三日が経った。

 よく晴れた、春の日差しがあたたかい日だった。

 穏やかで、初夏に向かう清々しい風が木々をざわめかせる。そんな日だった。

 愛音夢見子が、首を吊った状態で見つかったのは。

 風に揺らされる枝葉に混ざって、愛音の身体も揺れる。血の気の無い顔。だらりと伸びた四肢。口の端は歪めたときに切ったのか、血液が垂れている。

 あまりにも完璧な首吊り死体。

 綺麗に、死んでいる。とても綺麗に死んでいる。いっそ作り物にさえ見えた。しかし、それは本当に死体なのだ。

 愛音の身体はまた風に揺れる。

 それを、理宮真奈は遠く、『第二書庫』の中から見ている。真白に塗り替えられた肌の色を、理宮は見ている。『魔女』は見ている。

 『魔女』はただ、愛音の死体を観察する――



*****



「理宮さん! 愛音さんが、愛音さんが」

 ノックも無しに、市村が理宮の根城である第二書庫に飛び込んできた。

 そんな市村を一瞥したのは、いつも通り窓際の背の低い本棚の上に脚を組んで座った理宮真奈だ。ひとつ違うところと言えば、今日はどこか退屈しているような表情をしていることだ。

「そんなに騒がなくとも知っているよ。死んだんだろう? 彼女らしくない死に方、首を括ってぶらぁりと揺れていたみたいだね」

「は、ぁ、どうしてそんなこと」

「この窓から見えていたんだよ。彼女の身体がね。講師なり教員なりに教えてやってもよかったが、根城から出ていくのが厄介でね。そのままにして観察していたという訳だ」

「という訳だ、じゃないですよ! 人が死んでるんですよ、それを何てのんきに」

「のんきにしてなかったら喪われた命は戻ってくるというのかい?」

「う......」

 その言葉に、市村は言葉を飲み込まざるを得ない。大きい違和感は喉につかえそうになったが、無理やり肺に押し戻した。

「でも、どうして愛音さんは死んだんですか。愛音さんなりの理由がなきゃ、俺は納得できないですよ」

「ふん。彼女の死というのは誰にも納得がいかないものだと思うけれどね」

「はぁ? どういうことですか」

「彼女の遺体はね、他殺されたものだからだよ」

 え、と。再び市村は言葉をつまらせた。今度は、何かを吐き出したくても吐き出せない、というふうにだ。

「愛音くんはね。誰かの手によって殺され、あの場所に吊られたのだよ。自ら望んで首を括ったわけじゃない」

「そんな、誰が」

「さてね。僕はなんとなく見当がついているけれど......まだ、不確定だからね」

 そこまで言うと、理宮は本棚の上に座ったまま半身をひねり、窓の外を見た。

 愛音がぶら下がっていた桜の樹の周りには規制線が張られており、生徒は近づくことができないようになっている。

 しかし理宮の視線の先には、まだ。愛音の死体が揺れているような気がした。



*****



(やった。やった。これでわたしは逃げることができる。これで盗むことをやめることができる。よかった。これで安心できるんだ)

 木下優樹子は、心から安心していた。もう怯えながら愛音のバッグの中に手を入れることはない。否、できない。その持ち主が死んでしまったからだ。

 その持ち主を――殺してしまったからだ。

 インターネットを用いて殺し方も吊り下げ方も学んだ。その通りにやった。やった通りにできた。すべてがうまくいった。

 人生最大の隠し事ができてしまったことを除けば、この方法は間違いなく優樹子の盗み癖は直ることだろう。少なくとも、相手を愛音だけに限れば。

「愛音ちゃん、どうして死んじゃったんだろう」

「自殺?」

「遺書はなかったって」

「でも証拠もない」

「何が起きたんだろう......」

 クラスでは生徒がざわざわと、木の葉が擦れる音を立てるように静かに噂をささやいている。


「意外とやらなさそうな人がやってたりして」


 その一言に、優樹子の肩が震えた。

 自分ではない。そうわかっていても、答えがわからない限り確信は持てない。

 ストレス。

 優樹子の心にそれが生まれた。精神の鬱屈。優樹子の身体を突き動かすには十分だった。

 隣の席の女子のバッグの外ポケットに、可愛らしいハンカチが少しだけ出ているのを見つけた。そっと、ハンカチに触れる。引き抜く。自分の机の下に隠し持つ。

(......またうまく、やれた)

 興奮。性的ともいえる興奮。ぞくぞくと背中に熱く冷たいものが昇り、脳を痺れさせる。甘い痺れのあとに、朗らかな安堵が待っていた。

「あ、れ」

 一連の行為をして、優樹子は初めて気が付いた。

(わたしの癖――直っていない)

 理宮に、『魔女』に『願い』をかけたはずなのに、直っていない。

(どうして)

 今度は怒りが頭に蔓延する。理宮への怒りが飽和する。

 気が付けば、優樹子は教室を飛び出して、増築を繰り返した複雑に絡み合った廊下の中、『第二書庫』への道のりを足早に辿っていた。



*****



 私にとって、買ってもらったものっていうのは私のものだし。

 いつもいつも私は、親に見放されて生きてきた。これ以上ないくらいに面倒を見てもらわないで生きてきた。

 学校から帰ってきたら両親がいないことなんて当たり前だ。両親が帰ってくるのは私が寝静まる頃か、いっそ学校に行ってしまったそのあとだ。

「そんなの、もういつものことだし」

 呟いても、私は独りだ。

 私が夢見る子、なんて可愛らしい名前を付けてもらっても、むしろそれは皮肉にしかなっていないし。

 両親と暮らすことを夢見る子、なんてね。

 学校にいることと、親からもらえるそれなりのお金が私の生きがいだった。

 珍しいものを学校に持っていくと、褒められたり、「いいな」なんて羨まられたりした。これが私の虚栄心と自己肯定感を高めていた。

 お金と珍しいものが私の取り柄だったけれど、それだけのことでしかなかった。実際は母親と父親からもらえるお金が成し得たものなんだ。私のものじゃない。

 よくわかっていた。自分でも、よくよくわかっていた。

「わかってるし......でも、これしかないし」

 そんなふうに自分に言い聞かせて、鈴校に進んだ。中学生の頃に寮に入った。もちろん、特別にいい一人部屋だし、お金も手紙も仕送りもふんだんに送られてきた。

 私はこうやって生きるしかないんだ。

 だから私は、この日曜日も無理やり街に降りる。



*****



 市村が目覚めたのは、今度は教室の自席だった。机につっぷして、そのまま眠っていたらしい。

 体育の授業があるはずの時限で、二クラス合同で行われる必修の授業だ。誰もかれもがこの教室から出ていき、外のトラックで外周を走っている。

「はぁ、出そびれたか」

 ぼんやりと、市村は外を見る。理宮も、こんなふうに外を見ていた。

 桜の樹には規制線が張られている。あの場所で、愛音は死んでいた。それを思うと空寒い心地がした。

「理宮さんには、何がわかっているんだろう。んで、何がわかってないんだろう」

 呟いてみても、応える者はいない。

「さっきの記憶は......口調? は愛音さんみたいだったな」

 本当に愛音のものだったのならば、今回の事件はあまりにも残酷だ。虚構の満足を強いられた上に、殺されてしまったのだから。

「はぁー......ま、理宮さんとこ行くか」

 市村は席から立ち上がり、ひとつ伸びをした。

「あの人なら、そろそろ何かわかる頃だろうし」

 そう決めた市村は、机のわきにかけてあったスクールバッグを肩にかけ、理宮のもとに向かった。


【Continue to the next Episode】

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