◆Episode.20 癖◆

 優樹子は、今日も同じ罪を繰り返していた。

 同じクラスの人間である、愛音夢見子の持ち物を盗んでしまう。

 どうやっても自制がきかず、何度も繰り返す。そのたびに、愛音は言うのだ。

「大丈夫、またお母さんに買ってもらうし」

 どんなに高価そうなものを盗んでも、必ずそう言ってのけるのだ。

(悔しい。悔しい。悔しい。悔しい)

 優樹子の心は徐々にむしばまれていく。自分で抑えることができない。抑えようと思う。しかしまた繰り返してしまう。

 嫌な癖は、まだ続く。



*****



 そもそもの起因は、優樹子の書いた脚本にあった。

 優樹子は文系特別進学コースの授業を受けている。その中の選択授業の一環で、演劇コースの授業に使われる脚本を書く、というものがあった。

 その授業にきちんと出席し、脚本を完成させた優樹子は、演劇コースの人間が実際に演じるときの様子を見学させられることとなった。

 優樹子の悲しい癖は、そこから始まった。

「えー、私この脚本、演じるの? 私に向いてないし」

 カリキュラムこそ違えど、同じクラスであった愛音にストレートにそう言われた。

 はっきりと、ショックであった。彼女のために書いたとは言えずとも、自分の力を最大限使って作り上げた脚本を「自分に向いていない」という一言で一蹴されてしまったのだから。

「あ。の。わわたしの脚本、何、か」

「え? ああ、優樹子ちゃんが作ったの、この脚本。ごめんねー、でもやっぱ、主役もらったけど私に向いてなさそうだし」

「な。にが、わるか、った?」

「何、なんか言いたいことあるんだ。ちゃんと言ってほしいし」

「わわわ、たし」

 吃音持ちの優樹子にとって、思考することをそのまま言葉にするのは難しい。結果、黙り込むことしかできなかった。

「ま、いいや。私もプロの卵だし。ちゃんと演じて見せるし」

「う。ん」

 優樹子はただ頷くことしかできない。

「愛音さーん、出番でーす」

「はーい」

 愛音は荷物をそのままにして、その場を離れた。スクールバッグの口は半開きになっており、中からメイクポーチからもれたのだろう、高価そうな口紅がのぞいていた。

(悔しい。悔しい。悔しい。悔しい......困って、しまえ)

 そして優樹子は、決行した。皆がステージの上の愛音に注目している瞬間を狙い、スクールバッグに入っていた口紅を奪い、ポケットにねじ込んだ。

 やってしまった。やってやった。二つの気持ちが優樹子の心の中に同居した。それと同時に、興奮している自分に気が付いた。

 少しして、愛音のステージ練習が終わり、バッグのもとへと戻ってくる。優樹子は気づかれないよう、少し離れて見守った。

「あれ、口紅がないし」

 がさがさ、と愛音はバッグの中をかきまわす。それでも出てくるはずがない。その口紅は今、優樹子のポケットの中に入っているのだから。

 優樹子はほくそ笑む。困っている愛音を見て、優越感に浸る。

「どうするの? 今度の演目までに必要なんじゃない?」

「大丈夫、大丈夫。もともとお母さんからの仕送りから買ってるものだし。明日、ちょうど遊びに行こうと思ってたから、そこで買えばいいし」

 それを聞いて、優樹子の頭の中は沸騰した。

(また買えばいいって、そんな)

 化粧をする習慣のない優樹子にとっては、その口紅がどれくらいの価値があるものなのか見当がつかなかった。だが、そんな優樹子でも見たことのあるロゴの入っている口紅だ。決して安いものではないだろう。

(わたしの、決意は)

 優樹子の心がぶち壊された。悲しみに暮れ、苦しみにあえぎ、辛さに涙を流した。

 それからだ。愛音の持ち物から、少しずつ物を盗むようになったのは。

 段々と優樹子は自分がおかしくなっていくのは理解していた。しかし、止められない。もう戻ることはできない。

 覚悟を決めることすらできず、ひきずるようにおかしくなっていく。



*****



 理宮真奈は今日もそこにいた。『第二書庫の魔女』はいつもそこにいた。

 『第二書庫』の窓際、背の低い本棚の上。脚を組み、優雅に座っている。顔には、意地悪そうな笑みを浮かべている。

「ねえ、市村くん。君はどうしてこのお菓子を買ってきたんだい?」

 片手にチョコミントケーキの袋を持って、軽く振りながら市村へ、にやにやと圧をかけている。

「え、はぁ、あの。俺、何かしましたか」

「何がって、何かをしたからこうして言っているんじゃないか。あーあーあーあ。まったく、悲しい。まったくもって悲しいなぁ。どうしてこんなに悲しい思いをしなくてはならないのだろう。市村くんがこんなに僕に悲しいことをしてくるなんて、本当に胸が痛くて仕方がないよ」

「いやいや、だから俺が何をしたっていうんですか」

「これだよ」

 理宮は再び、菓子の袋を振った。

「こ、れ。これをどうして買ってきたのか知りたいんだよ」

「どうしてって。理宮さんチョコレート好きでしょ? それならチョコミントも好きなんじゃないかなって思いまして」

「だ、か、ら!! なんでチョコ〈ミント〉を買ってきたんだ!?」

「は、はぁ?」

「どうしてこうも最近はミント、ミントとメンソールを推してくるんだ。そんなにメンソールが好きなら湿布でも嗅いでおけばいいんだ! それが嫌? それなら練り歯磨きをお勧めするね。どのみち、チョコレートの仲間にメンソールは必要ないのだ!」

「って、チョコミントそんなに嫌いなんですか? それなら食べなきゃいいのに」

 そう市村が言うと、理宮はさらにむっとした。眉間にしわを寄せ、市村の方をじっとりと睨んでいる。

 様子を見ていると、理宮はどうやら好きじゃないものを買ってこられた挙句、好きじゃないものを食べさせられて立腹しているらしい。

「......せっかく、君が買ってきてくれたから」

 ぼそりと呟かれた理宮の言葉を、聞き間違えたのではないかと市村は何度も反復する。それからきょとん、と一拍置いて、驚きがひしひしと追い付いてきた。

「え、えええええ!?」

「いいじゃないか、そんな風に思うくらい。君のことを好いてみようという気持ちを踏みにじられた僕のことをごらんよ。ああ、惨めだ。悲しいよ。君に愛されたくて好かれたくて、こうして好物じゃあないものまで食したというのに」

「だからってそんなに無理しなくてもいいじゃないですか!」

「無理だってするよ。君が好きなんだから」

「だから、好きとかなんとかって」

「ほいほい言うなって? 素直な僕は要らないっていうのかい?」

「そう、ですよ」

「君はまだ、わかっていないだけだよ」

 理宮は言って、悲し気な顔をした。

 市村はその言葉に、再度、首を捻る。理宮が何を言いたいのか、言われた通りによくわからなかった。

 どうしたら良いのかわからなくなって、市村は黙り込む。それを見て、理宮は少し慌てた素振りを見せた。

「い、市村くん?」

 ぐっと押し黙っている市村に、理宮は話しかける。それでも、市村は顔をあげようとしない。

「どうしたんだい、市村くん。いつもの君の威勢がないじゃないか。常々そうするように、反論してみせたらいいだろう」

 しかし、市村はそれをしようとしなかった。市村は、一連の失敗を〈これ以上ないほどの失敗〉だと思っていたからだ。市村は、以前にもこんな失敗をしてしまった気がした。

 もう取り戻せないだろう。覚悟したときだった。

「......まったく、君はそろそろわかった方がいいのに」

「はぁ?」

「君はね。君は、僕にちょっと言われたくらいでしょげてしまうような人間じゃないんだよ。君は、もっと気丈に振る舞うべきだ。そうじゃないのかい?」

 そこまで言われて、市村は初めて気が付いた。

(そうだ。俺は理宮さんに対して対等でなくちゃいけない。それでこそ『第二書庫の魔女の助手』だ)

 そう気が付いてからが早かった。

「......は、俺もあんたにそんな風に言われちゃおしまいですね」

「むっ」

「俺はあんたのおもちゃじゃないんですよ。俺はあくまであんたの『助手』なんですから」

「むむむっ」

 市村がそうまで言って初めて、理宮は機嫌を直したようだ。眉間にしわを寄せながらも、いつもの意地悪そうな笑みを浮かべ、やっと嫌味を言った。

「まあ、僕の好物だと思ってチョコミントケーキを買ってくる時点で、『助手』としてはワンランク下がったようなものだけどね」

「何ですかその理不尽な理由は!?」

 その反応に、理宮はあはは、と朗らかに笑った。

 この光景は昼下がりに相応しい、明るいものだった。



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