◆Episode.14 浮かぶ、浮かぶ◆

 その日、市村は珍しく文芸部の部室に顔を出していた。

 何をするわけでもなかったが、週に一回以上は顔を出さないといけないというルールに縛られ、早く理宮のところへ行きたいという気持ちを抑え文芸部室にいた。

 退屈を持て余して帰ろうと思っていたが、その矢先に先輩から「原稿の仕分けを頼む」と言われ、仕方なしにそれを行うことにした。

 同じ部屋には、黒い髪を二本の三つ編みして両肩に垂らした、いかにも大人しそうな女子がいる。

「木下さ......優樹子さん」

「は。はい」

「優樹菜さんの原稿、まだもらってないんだけど」

「え。と。なーちゃんの。確認して、おおお、おきます」

 木下優樹子。彼女は優樹菜の二卵性の双子だ。二人は同じ学校に入り、ときに仲良く過ごしている姿も見られる。

 だが、吃音持ちの優樹子と〈不良〉の優樹菜の二人が姉妹だと知る人は少なく、優樹菜が優樹子に同情で接していると思っている人間の方が多い。

「はぁ。幽霊部員だってのに、何で俺が原稿の整理なんかしなくちゃならないんだ」

「いー、ちむらくん、は。優しいから」

「そうかな」

「そそ、そうだよ」

「ありがとう。あ、その人の原稿は見終わったから、そっちに置いて」

「は。い」

 市村は手際よく、原稿の整理を終わらせていく。読んだことのあるような物語ばかりが並んでいるため、徐々に飽きてきていたが、飽きが来るよりも先に仕事の方が片付いた。

「はぁ。やっと終わった」

「おおお、つ、かれさま」

「うん。優樹子さんもね」

 優樹子は不器用に笑う。優樹子が内向的な性格であることを市村は知っていたので、それ以上を追求しようとしなかった。

 しかし――気にならないことが無いわけではなかった。

 どうして優樹子と優樹菜はこの学校を選んだのだろうか、ということだ。

 優樹子の方は明白だ。障害や病気に理解が深いこの学校だ。さらに、優樹子の望む特別進学コースもある。入学時の偏差値は高いものの、入学してしまえばその後を過ごすのは楽だろう。

 では、優樹菜の方は?

「なーちゃんは。ね」

 市村の疑問をくみ取ったかのように、優樹子は優樹菜のことを話し始める。

「わたし。と、違って。高校か、ら入った、んだ」

「そうなのか」

「う、ん。大山先輩の、こと、好き。だから」

「追って入学してきたの?」

「そう。なの」

「うーん......なら、なんか不憫だなぁ」

「深山、ちゃんの、こと?」

「優樹子さんも知ってるんだ」

「いいい、一応。なー。ちゃん。が、教えてくれ、るから」

「ていうか、嫌でも耳に入るよな」

 そう言って、市村は「はぁ」とため息をついた。椅子に全体重を預ける。あの関係を考えると、頭痛がするような気がした。

 深山の自覚のない浮気性。中島の諦観。大山の無抵抗。

 それらの関係性に、何か、物語性を感じていた。

〈人魚姫〉

 そう、まるで中島が悲恋に身を浸す人魚姫のように見える。大山の無抵抗は王子を奪い取った他国の姫のように、浮気性の深山は人魚姫を裏切る王子のように。

 そんな関係性を重ねてみたところで、この歪さは変わることがない。

 それどころか、このままいけば、中島は――


「きゃあああああああああああっ!」


 突如、文芸部室に悲鳴が響いた。

 何事かと市村が悲鳴の主である優樹子の方を見ると、がっくりとその場に崩れ落ちていた。

「どうしたの!?」

「あ、あ。あれ......」

 優樹子の指さした方。そこには、グラウンドとプールがあるはずだ。

 一体、窓の外に何を見たのか。市村は窓の外を見下ろす。

「ひ――人――......!」

 プールに、白い背中が浮いていた。

 透明度の高い水に浮いているせいで、空中に浮遊しているようにも見えたが、その背中がてらてらと夏の日差しに怪しく光っているのと、髪の毛が水の中に揺らめいていることで、水の中に浮いているのだとわかった。

「た。たた、助けなきゃ」

 優樹子はそう言ったが、市村は諦めていた。

 白い背中は風に揺れる以外には動かない。もう数十秒、数分、あるいはそれ以上の時間、水の中で身じろぎもしていない。

「もう、駄目だ......。死んでるよ」

「しっ、しし、し......」

 その言葉が衝撃だったのか、優樹子はとうとう糸が切れたように力なく、文芸部室の床に倒れ込んだ。

「おい、大丈夫か」

「先輩......すみません、優樹子さんを頼みます」

 市村は名前も知らない先輩が偶然、部室に足を踏み入れたのを見て、脱力した優樹子の介抱を任せることにした。

 



*****



 死体が見つかってから一夜明け、学年集会が開かれた。

 各学年で行われた集会。そこで、あの死体が〈誰だった〉のかが明らかにされた。


 死体は――深山魅音のもの、だ。


「ひっ......か、は......」

 それを聞いた中島は息をひきつらせ、過呼吸の寸前にまで陥っていた。顔を、黒い手袋をした両手で覆っている。

 市村はそんな中島を見て、市村はこのまま中島が倒れてしまうのではないかと危惧して、そっと手を差し伸べた。

「中島、大丈夫か」

「......が」

「え?」

「木下が......殺したんだ!」

 中島は一切ふらつくことなく、その場から疾走したかと思うと、次の瞬間には木下優樹菜の上に馬乗りになり、拳を振り下ろしていた。

「お前が......! お前が......!」

「ちげェよ、放せモヤシ!」

「な、なーちゃん!」

 最初こそ、中島が優勢を保ち、優樹菜を殴り続けていたものの、数回殴り、息が切れたところを見計らって優樹菜が形勢を逆転させた。もともと力があまりない中島を、優樹菜が組み敷く。

「てめェ、よくも」

「な。なーちゃ、やめて」

 そのまま喧嘩が始まるかと思われたが、さすがに教員たちが強制的に仲裁に入り、その場を収めた。

 中島は別室に隔離され、保健委員の市村と少しの時間を過ごした。

「魅音......う、く......魅音......」

 市村は、ひきつるような声で泣く中島の肩に手を置き、慰めるように優しく、リズムを取った。

「とりあえず落ち着けって、中島。今は寮に帰って、休め」

「ありがと......市村......」

「でも、何でプールで死んでたんだろうな。服は着てなかったみたいだから、プールに忍び込んだ、とか?」

「わからない......魅音、プールに......強い憧れがあった、から......」

「勝手に泳いで死んじゃった、にしてはちょっとおかしい気もするしなぁ」

「魅音は......良い子だったよ......ぼくの、この両手のやけども......気にしないで、いてくれたし......」

「ああ、それやけどだったのか」

「うん......ケロイドになっててね......直に触ると少し痛いときがあるから......」

「なるほどな」

 他愛もない話。今はそれが最前の薬だろうと、市村は会話を絶やさないようにした。

 次第に中島も落ち着きを取り戻し、顔にも笑顔が浮かぶようになった。

「はぁ。よし、もう大丈夫そうだな」

「うん......ありがとう、市村」

「いいって。お礼なんか」

「でも、言いたいよ......ああ、それと。」

「何だ?」


「......『魔女』さんに、ありがとうって伝えて」


 市村は、耳を疑った。

 深山が死んで、中島が悲しんで。それなのに、理宮に、感謝。

「どういうことだ」

 市村は思わず問いただす。そこにどんな意図があるのかわからない。〈普通〉であるのならば、泣いている最中に、まして、恋人を失ったその次の日に、誰かに礼を伝えてほしい、などという気持ちが起こるだろうか。

「ううん......魅音は、お願いが......叶ったのかなって、思って......」

「あ、ああ、そういうことか」

「もう......魅音はお礼が......言えないから」

 中島の言葉に納得して、市村はさやを納める。

「わかったよ。伝えておく」

「ありがとう......」

 もう戻ろう。市村がそう声をかけると、中島も教室に戻る意思を見せ、緩慢に立ち上がった。

 そして、人生ひとつ分が欠けた世界が、いつもの日常のように始まった。



*****



「願いが、叶ってしまったようだね」

 理宮真奈は、今日もいつものように第二書庫の窓際、背の低い本棚の上に脚を組んで座っていた。

 そっと半身をひねり、背後の窓からプールを見下ろす。現在、そこには水が入っておらず、綺麗に清掃されていた。さらに、消毒をしたあとだ。知らない人が見たら、ここで人が死んだとは思わないだろう。

「だが、また僕は【運命】に勝てなかった」

 悲しそうに、理宮は言う。

「......どうしたら、良いのだろうね」

 切なそうに、苦しそうに、理宮は顔を歪める。

 ふ、と。

 誰かがこの第二書庫に近づいてくる足音が理宮の耳に入った。

 体勢を直し、出迎える準備をする。足音の特徴で、来る人間はもうわかっていた。


こんこん


「入りたまえ」

「失礼します、と。またあんた、そんなところに座ってるんですか。はぁ。いい加減、椅子に座るってことを覚えましょうよ」

 入ってきたのは、市村だ。

 あいさつ代わりの小言に、理宮はなんだか嬉しくなる。

 このまま日常が続けばいい。もう、何も起こらないでいてほしい。

 『魔女の願い』を叶える方法は――あるのだろうか。



【Continue to the next Episode】

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