やりたいこと、やらなければいけないこと

 数日が経った。


 期待していた揺り戻しは起こらず、皆の顔は暗い。


 亮栄から移動をお願いされたが、新型コロナに感染している可能性がある以上隔離が必要だと滝川が強く主張し、種痘も受ける事を要求。


 草刈り等雑事を引き受ける事と引き換えに、種痘接種後の経過期間も込みで滞在延長が認められた。


 先方はコロナとコレラを勘違いしていたようだが、転移者が人目に付かないという点で双方は一致。


 厠も別とする事は動線を分ける以上当然と受け取られたが、男女別にすると述べた時には妙な顔をされた。


 所持していた飲料は尽き、食品は飴のみ。


 特に塩飴が目立った。


 何故かというと提供される精進料理そのものは兎も角、塩気を旨味で補う現代の食品に慣れた舌には塩辛い漬物や味噌汁は夏とはいえキツイものがあり、あおりを受けて敬遠されたのである。


 大量の白米と併せて医療班は今後も同じような食生活が続くと脚気、高血圧、胃がんのリスクが上がると懸念。


 食事、衛生指導を行いながら自活を模索し始めた。

 

 脚気対策にと一時玄米に変えたものの味、香りが改良される前のそれは不味く、ビタミンB1が最も豊富な豚肉は寺では口に出来ないので蕎麦や豆腐、炒り胡麻、ぬか漬け等で補う事に。


 食事だけでなく内装の洗濯、消毒中に間借りする部屋での就寝は硬く高い枕が不評だったが、座布団に変更。


 ベッドや座席と違い手足を伸ばせる事は救いだった。


 朝食を済ませた後、寝具を洗いながら司はボヤく。


「洗濯というか水仕事をすると手や指が染みて辛い、せめて洗濯機を作れないですかね?」


「だねえ。 そういえば食器洗いの方でも昨日の夜、似たような話があったみたいだよ」


 応じたのは初日の夜に蒔田と会話していたスタッフだった。


 太い眉毛が特徴で関と名乗った彼は洗濯物を絞りながら尚も続けた。


「茶漉しに残った茶葉の掃除が面倒だという事でそれならティーバッグを作ろうという話が。


 灰色の帽子の人でもない、トラブルメーカーでもない献血しに来た眼鏡掛けてる……名前……」


「白井さんですか。 お茶や海苔、椎茸を取扱ってたと言ってましたね」


「そうそう、その人。 白井さん」


「滝川先生が食生活の改善を提案した時に椎茸を栽培しようと言ってましたが、そんな事があったんですね」


 生活習慣病予防の為、二日目の午後に滝川が出汁の効いた食事を推奨した際、先方から昆布も椎茸も値段が開国前の五倍以上に上がったと聞いて白井が昆布は無理でも椎茸は三ヶ月から半年で出来ると発言。


 ちょっとした騒ぎになっていた。


「生活を楽にして少しでも周りに還元しないとね。


 直ぐに出来る事は少なくても現代の知識と経験はあるんだから」


 先に行ってると言い残した関を見送ると栄助がやって来た。


「ああ栄助さん、丁度良い所に。 実は欲しい物が──」


 時間は進み夕方。


「洗濯機か……動力はどうする? 電源有ってもベルトもチェーンも無いぞ」


「人力で。 


 Amaz○nで見た物の大きさや蓋の事を考えると、轆轤にお櫃載せて蹴るのではなく踏む形に変えてクランクでグルグルと」


「それじゃ布団とか大物は無理か」


「そこは諦めます。 ただ小物を一つ一つ洗うのは面倒なので……脱水は最悪麺棒二本で挟んで何とか。


 轆轤とお櫃は栄助さんに今日頼んでます」


 夕飯を済ませ、司はクレーマー男……工業系ライターの武田と洗濯機について話していた。


(逆回転させないと生地が絡んで痛むがペダルの可動範囲外にラチェット機構……足の側面で切り替え……回転軸に虫歯車付ければ要らないか)


 両足で交互に踏んで回転を切り替える形式も考えたが、足が悪い人や部品が増える事を考え断念。


「置く場所風呂場だろ? なら増築して蒸気で回せないか?」


「あっ確かに」


 良い案だと思ったが直ぐ問題点に気付いた。


「いつ出来るんでしょうね……」


「そうだった、悪い」


「コロナの自主隔離が後十日、椎茸が出回るのがその頃で種痘の経過観察期間がプラス一ヶ月。


 消毒や調理時間の短縮に必要な圧力鍋も届くのは早くて今から二ヶ月後。 まだまだ先は長いね」


 雰囲気が暗くなった二人に声をかけてきたのは灰色キャップ……SEの板倉だった。


「白井さんのティーバッグもそうだけど作業が楽になるのは賛成」


「圧力鍋と違って既に存在してる物を頼んだので月単位で時間はかからないと思います」


「来たら手伝うよ、寺側と要相談だけど」


「俺も……」


 自覚症状と熱がない限り居住空間内外の清掃を任されていたが、夜は栄助との情報交換や楷書体、行書体の再履修に充てていた。


 崩し字の最たる草書体は蒔田を除く全員が匙を投げた。


 草書体は知識のない人にとっては暗号にしか思えず、成人後にまともな光源もない中での勉強は苦痛でしかなかったのである。

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