第13話 本当の気持ち

 甘木は気がついていた。

床伝えに伝わってくるスマホの振動を。

武藤が町田宅で何かに気がついた事を。


身動き取れない状況で、自分が出来る事は「時間稼ぎ」のみ。

なのに、僕はプロ失格だ。つい、感情的になってしまい、説得も何も出来ずに、時間稼ぎも行えなかった。


相方として、本当に申し訳ない。

もう僕は限界の様です。あとは頼みます。


武藤は気絶する甘木の無言の願いを汲みとり、拳を鳴らす。

「さてと、怪我人を痛めつける趣味は無いが、悪い奴を痛めつける趣味はあったりするんだがな。どうする?」

と、武藤なりに最後のチャンスを与えるが、酒井は聞く耳を持たない。


「まだ、間に合う! お前達2人が死ねば誰にもバレない!」

「バーカ。俺とお前は決定的に違いすぎてるんだよ」

ナイフを握りしめ、突進する酒井。

自分に向けられた殺意をただ、眺める武藤。

縮まる2人の距離は残るは1m。刃先は完全に心臓を捉えている。

「死ねー!」

あと一歩踏み込めば、この場は武藤の血の池で終幕する。

「これで、エラー修正は終わる。さぁ、亜香里との夢の生活が待っている。新婚旅行はヨーロッパだー!」

と、一足お先に祝う酒井だったが、突如何かに足を取られる。

「痛っ!」

「だから言ったろ。お前と俺は違うって」

酒井が足下を見ると、そこには割れた大量のガラスの破片が鋭い牙を向いていた。

白い靴下がジンワリと赤く染まり、足裏の痛みを徐々に認識する。


確かに急な事に驚きはしたが、愛する者の為にこんな事で怯む訳にはいかない。

と、決意改める酒井であったが、考え終える頃には、武藤の背負い投げによって庭先に叩きつけられていた。


最早、足の痛みなどない。

それよりも、全身に響き渡る息も出来ないこの衝撃の方が重要である。

酒井は芝生の上で悶い苦しみ、立ち上がろうとするが、足に力を入れる感覚すらない。


「もうダウンか? さっきまでの威勢はどうした?」

酒井を見下す武藤は、一冊のノートを出す。

「4月3日、明日から社会人。会社で仕事を沢山して頑張るぞ。4月15日、酒井さんに怒られたけど、明日も頑張ろう。6月25日、酒井さんはどうして、私だけに意地悪するのかな? 7月15日、スマイリーが無いとやっていけない。でも、酒井さんは私を教育してくれてる。期待に応えよう。7月31日、今日は特別にムカついた。でも、私は負けない。8月5日、まさか告白してくるなんて、本当に気持ち悪いと思った」


反論しようと口を動かす酒井であったが、痛みで声が喉の奥でつっかえる。


「8月10日、酒井が家まで着いてきた。気持ち悪い。8月16日、今日で1週間連続でポストに悪戯手紙が入っていた。犯人は酒井だろう。本当に怖い。8月23日、酒井死ね。8月24日、手を掴まれて何処かへ連れて行かされそうにった。本当に死んでほしい。25日、本当に怖い。誰かアイツを殺して。26日、もう駄目だ。私が殺してやる。27日、殺してやる。28日、殺してやる。29日、殺してやる。30日、殺してやる」


武藤はノートのページを破り、空に投げる。

ヒラヒラと町田亜香里の思いが芝生の上へ舞い落ちる。

酒井は目に入るその言葉を受け入れまいと瞼を閉じる一方で町田はリビングからその様子を虚な笑顔で見ていた。


この家に来てからは、自分の存在理由が全く分からなくなってしまった。

今まで自分は、どんな思いで、どんな事をしていたのか全く思い出せない。

私の感情はこの鎖と共に奪われた。


あの庭先に見えるものは何?

誰かの言葉が書かれてるわ。もっと私にも見せてよ。何か、私にとって大切な事だったと思う。


そんな町田の疑問に答えるかの様に風が、ちぎられた1ページを足元へ運ぶ。


町田がその1枚を拾うと、枯渇していた湖に雨が降り始める。


泣きながら、両親に別れを告げて大都会に1人で上京してきた日。

初日から遅刻しそうになって慌てた日。

仕事でミスをして同期と一緒に飲みに行った日。

ペットショップで犬を見ていた日。

お母さんの手料理をマネしようとして焦がしてしまった日。

休みの前日に夜更かしして1人で漫画を読んでいた日。

初めて、一仕事を終えて感動した日。


そして、あの男。


抜け落とされたこれまでの日々が一気に頭の中に溜まってくる。

多過ぎる情報量にパンク寸前。

だが、苦しんでる暇は無い。町田は、かち割れそうな頭の痛みを堪え、必死に脚から鎖を外し始めた。


本来であれば、到底困難である所業であったが、何日も食事を与えられず、痩せ細ってしまった事が功をなし、足の甲を傷つけながらも何とか抜け出す。


町田はそのまま、ガラスの破片など気にせず、これまで受けた屈辱、恐怖、恨み全てを込めて走り、リビングから飛び出し、倒れている酒井のみぞおちに渾身の両膝を打ち込む。

体重45kgの細身とは言え、その衝撃は凄まじく、酒井は身体をくの字に曲げ、血反吐を吐く。


だが、その姿を見ても町田は止まらない。

酒井が苦しむ姿を見せようが追撃の手を緩める事なく、顔面を殴り続ける。


何度も、何度もその拳は衰えを見せず、更に勢いを増していく。


手を貸す事も助ける事もせず、その光景を静観する武藤であったが、苦悶の言葉すら漏らさなくなった酒井を見て、ようやく赤い拳を止める。

「もう、いいだろ。後は警察に任せよう」


鼻息荒く興奮を抑えきれない町田に、武藤は粗暴たが、優しく諭し立ち上がらせる。

腸煮えくりかえる気持ちに無理矢理、蓋を閉める町田であったが、それはすぐに酒井によってこじ開けられる。


「なぜだ…」


蚊の羽音の様に耳障りな小さな声。

もう、耳に入れたくないが、町田はその身の毛もよだつ声を聞き逃す事ができなかった。


「なしだって? おめ、本気で言ってらのが?」

町田は自分より大男の武藤を突き飛ばし、NEGA BOXを両手で掴む。

「おい、止めろ!」

武藤の静止は意味を成さず、町田はNEGA BOXを力尽くで壁から外す。

NEGAの入ったガラス瓶には引きちぎられた何色ものチューブや配線がぶら下がっている。


「これで、少しはおいの気持ぢがわがるべ!」

町田は不敵な笑みを浮かべ、NEGA BOXを酒井の顔面へ投げつけ、ガラス瓶は大きな音を立て割れる。

「まずい! 離れろ!」


すかさず、武藤は町田を連れ、NEGA BOXと距離を取る。

当然、割れたガラス瓶からは、溜まっていたNEGAが外へ漏れ出し、倒れている酒井の身体を包み込み始める。


「うおー! 助げでぐれ。誰か助げでぐれ。おっかねぇよ。苦しくてたまらねぁ」

虫の息だった酒井が自分の首を絞めながら、クネクネと立ち上がる。

それはまるで、糸で操られているマリオネットの様。


「許さねぇ。許さねぇ。絶対、許さねぇ。この手で殺してける!」

 酒井は怒りの形相で周囲を見渡し、割れ残った窓の破片に反射する自分を見つける。

「そさおったが! 死ねー!」

酒井は窓ガラスへ突っ込み、一番鋭く尖った大きなガラスの破片を手にし、自分の首をかき切り、噴水の様に血を流しながらその場で力尽きた。



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