第22話

「ここがあなたの家なの?」

「そう。特別新しくも古くもない、二階建てのノーマル一軒家。金持ちでも貧乏でもない一介の平民の家って、大体こんなものだろ?」


 いつもと変わらない帰宅。変わり映えのしない雑草の蔓延はびこった庭に、変わりようもない実家。

 そんな変化のない情景の中に、唯一つ。今日初めてのことがあった。


「私の家はもう少し大きいから、それはあまりよくわからないけど」

「まぁ、こんなもんだって。玄関で立ち話していてもつまらないだろ。中入れよ。茶ぐらいは出せるから」


 自宅デートをしようとしているカップルとは思えない、サバサバとした会話。

 にも拘らず、先程から緊張で手汗が尋常でなかった。女子を自宅に招くからとか、そういう当たり前からくる緊張それとは、また別ものであることがわかってしまうことがもどかしい。


「(なんだか焦っている様にも見える斎藤が、少し心配なんだよなぁ……)」


 ――と、何故か、斎藤に対して保護者目線になってしまっている俺がいた。

 だって、少しずれているところあるし。部長としての仕事とかはしているみたいだけど、それでも放っておけないところとかあるし。

 今だって、スマホでも弄っていればいいのに、一人落ち着かない様子で庭に置かれた犬のケージを見つめていた。


「どうしたんだ?」


 夕暮れ時に見る荒んだ犬小屋は、主の不在を簡単に物語る。繋がれていない首輪に、風雨に削られざらついたプラスチックのエサ入れ。

 もはや雑草だらけの庭以上に目立つ、我が家にある物の中でもとりわけ想い出深い、遺物ゆいものだった。



 『お前、偉いなぁ!いつも、ちゃんとお迎えに来てくれるもんなぁ!』


 そう言った後に『よしよし』と頭や背中を撫でてやるのが、俺の帰宅後の当たり前だった。それがあいつとの日常だった。



「これ、犬小屋よね?」

「……そうだな」

「今は散歩中なの?」

「……だと、いいな。あいつ、散歩好きだったから」

「……そうね」


 これ以上、詮索することの野暮を言外に理解したのだろう。

 その言葉で会話を区切ると、「お邪魔しても?」と催促してきた。

 彼女がいる隣で一人感傷に浸るのも、無礼というもの。俺は鍵を開けて、「ただいま」に「上がって」を付言する。

 対して齋藤は、借りてきた猫のように鞄を抱え、靴を脱いでから丁寧に脇へ揃える。よそよそしいながらも、その姿が彼女の美であるかの如く洗練されている様に映えた。


「そんなに畏まらなくていいぞ」

「?」

「そんな『普通でしょ?』みたいな顔ができる斎藤を、素直に偉いと称賛したい」


 その言葉尻に合わせて、俺は斎藤の肩を掴んで抱き寄せてしまった。

 ふと、愛犬のことを思い出してしまったからだろうか。自然と手が出てしまった。

 

「……ぇ!?」


 言葉もなく、ただビクッと肩を震わせて斎藤が後ずさる。

 それを見て、俺は盛大にやらかしたことを今更ながら理解した。

 慌てて手を引っ込めるも、覆水は盆に返らず。もはやお互いに顔を合わせられなくなり、同じ部屋にいること自体、精神的に来るものがあった。


「(やぁらかしたぁぁぁあぁあぁあぁああああああ!!)」


 顔を伏せる俺の情けなさといったら。ここに『はるか』ちゃんでもいたら、もう自殺を考えるレベルで情けねぇ。あぁ、もう死にたい!

 ただ斎藤の肩に手を乗せただけ。ちょっと引き寄せたけど。でも、ただそれだけだ。

 引かれることこそあれど、別に罪を犯した訳でもあるめぇし!いや、セクハラは犯罪か!

 そんな発狂しそうなレベルで意を決して顔を上げると、映るのは頬を桜色に染め上げて、自分の髪を首元でかきあげるように掴んでいる仕草をとる斎藤。やべぇ、超絶可愛い。

 斎藤は斎藤で混乱して言葉が出てこないのか、「えぇっと」「えぇっと」と一人ハウリングをなさっていた。


「斎藤、落ち着け!俺も落ち着いていないが、まず二人で落ち着こう!深呼吸だ、深呼吸!」


「「スゥーっ、ハァーっ、スゥーっ、ハァーっ……!?」」


 これまた絶妙にタイミングが合ってしまったがゆえの動揺が、俺らを落ち着かせてくれない。呼吸だけでなく、驚くタイミングまで一緒だった。


「いや、狙ってないから!」

「こっちだって!」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」


 二人して、玄関から一歩上がった先で何を黙りこくっているのやら。俺らの静寂は、その中に気恥ずかしさしか含んでいなかった。

 沈黙を否定と取るか容認と取るかはその人次第だろうが、果たして俺らは容認を選んだ。


「……落ち、着いたか、斎藤?」

「……うん、ある程度」


 お互いに頷き合って確認を終える。ホッと独りでに安堵が漏れたのは、言うまでもない。


「まぁ、とりあえず、居間にでも案内するよ」


 もう既に疲れた気分を味わいながらも早口でそう伝えると、斎藤をリビングに連れて行った――


 ――その、刹那。


 ガタンッ!!


 居間に響き渡ったその物音が、俺ら以外にもこの家に人がいたことを暗示していた。


「いやぁ、ごめんね。邪魔する気はなかったんだよ?お姉ちゃん、ただちょっと金欠病にかかったから帰って来ただけで……。初々しいなぁとか、可愛いなぁとか、情けないなぁとか思ってないかr……………」


 …………………。…………………。…………………。

 …………………。…………………。…………………。


「悪い、悪い。斎藤に紹介が遅れてたな。まだ夏でもないのに、オフショルの花柄インナーだけなんていうラフな格好したこの女は、俺の姉だよ。普段、『お姉ちゃん』なんて一人称を絶対使わないくせに、イメージ作ろうと頑張ってるこの大学生が、俺の唯一の姉さ。まぁ、一人暮らしだから今日いるはずがないんだけど、ずぼら過ぎて手持ち金が少なくなって親に甘えようとしている、ダメダメな奴なんだ。空気読めないしさ。本当に、ダメダメなんだよ。マジで……、マジで……………」

「「………………………」」


「なぁんで、あんたがここにいるんだぁぁぁぁあぁあぁあぁああああ!!」


 俺の羞恥心パラメータが血の気と共に一気に急上昇した挙句、斎藤を残して自室へ逃げ込んでしまった後ろ姿は、たぶん誰の目から見ても哀れだったと思う。

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