いつも通りの放課後?[3/3]
みゆきちゃんと図書館前で別れてから、私は一人でとぼとぼと歩いていました。最近は彼女と一緒にいると様々な感情が揺さぶられて、放心状態になります。でもそれは嫌な感じではなくて。私はぼーっとしながら歩くこの時間も結構好きです。一人でいる時間があるから、みゆきちゃんと一緒にいる時間が輝くのだと思います。
公園の入り口、正門の前にたどり着いた時のことでした。
――加藤先輩だ。
みゆきちゃんと私がすれ違った原因を作った張本人(もちろん彼が意図したことではないですが)がそこにはいました。彼は二人の女の子を侍らせて正門から駅の方向へと向かって歩いていきます。私はなんとなく気まずいので物陰に隠れます。幸い、公園の入り口は隠れるところには困りません。
加藤先輩は演劇部の部長であり、生徒会長だった人です。噂によると彼は俳優志望で、校内にはファンクラブもあるそうです。ただ、女癖が悪いらしいと、由美ちゃんがこっそり教えてくれました。
私はそんな彼から手紙をもらいました。レターセットはかなり上質なものを使っていたので、それを見たときは正直言って少し心躍ったのですが、肝心の中身はなんというか……。きっと彼は自分のことが大好きなのだろうな、というのが第一の感想でした。私に興味があるというよりは、なんというか、自己を喧伝するコマーシャルのような手紙でした。私は一応文芸部の端くれなので、恋文にはとかくうるさいのです。
ただそんな彼のいいところは、告白を断った時の対応がとても爽やかだったことです。彼は自分のことが大好きなナルシストですが、他人が彼を好きになることは強制しないのでしょう。曰く「俺は俺のことが好きだから、他人がどう思おうが関係ない」と。私はその時少し彼のことを見直しました。自己愛の強い人間は他人に認められることに固執していると思っていたのには例外があることを知りました。さすが亀池南高校。いろんな人間がいるのです。
手紙。
手紙をもらうのだとしたら、もらいたい人が一人います。きっと彼女なら、かっこいい字で真っ直ぐに、愛を紡いでくれるでしょう。私はそれを毎朝読んでから学校に通うのです。元気がなくなったらそれを読んで、幸せを噛みしめたい時も手紙を読むのです。
――ふふ。
みゆきちゃんにお願いしたいことがまた一つ増えました。
加藤先輩が見えなくなってから、私は信号を渡り、正門の前の歩道から駅に向かいます。すると、後ろから声をかけられました。
「こだま先輩!」
振り返ると、文芸部の後輩である
「先輩も体育祭の練習で居残りですか?」
「ううん。……えっと、ちょっと亀池公園を散歩してたの」
「そうなんですね! 命短し、恋せよ乙女って感じですね」
「どこがやねん。お前はなんでもかんでも恋愛に繋げようとするな」
低い声で大和くんが指摘します。黒縁眼鏡をかけて髪を巻いている明美ちゃんはそんな彼のことを気にも留めずに言います。
「いいなあ、先輩。私もこだま先輩くらい可愛かったらなあ」
「比較してもしょうがないだろ。ものが違うんだから」
「……さっきからボソボソ低い声が聞こえません? 私憑かれてるのかな」
「俺は背後霊か!」
「体育祭の練習してたんでしょ? 疲れたから、憑かれたんじゃない?」
「あ、そういうことかもですね。今度お払いして貰わなきゃ。でもお金かかるからなあ。ニンニクとかって効果ありますかね?」
「なんとなく、十字架とかも良さそうだね。あとは太陽の光とかもいいかも」
「それはドラキュラだろ! ていうかドラキュラ弱点多過ぎ! 一ターン三回行動できないと割りに合わないよ!」
ふふ、と明美ちゃんが笑います。
「じゃあ、豆でも撒いとこうか」
「そうですね。柊と鰯も用意しときます」
「俺は鬼だった? 確かに人は皆、心に鬼を宿しているという……」
「あ、ツノタニくんいたんだ。私今こだま先輩と帰ってるから、またね」
「認識から別れまでが早い! しかも苗字間違ってるし!」
「カドヤ君、私は今明美ちゃんとお取り込み中なので」
「あ、こだま先輩。僕、
「そうだった……ごめんね、私、人の名前と名前がなかなか一致しなくて……」
「普通、人の名前と名前は一致しないと思いますよ? あと、念のため言っておくと、僕、初見じゃないです」
「……そう言えば、そうだったかも」
「そう言わなくても、そうです」
隣で明美ちゃんが爆笑しています。私もつられて笑ってしまいます。
「あはははは、あー面白かった。……でも大和、ちょっとツッコミがラノベっぽすぎ。ライトノベルの読み過ぎじゃない?」
「え、うん。まあそうだな。ていうか、この流れで熱血指導入る感じ? 温度差でのぼせるよ?」
「ほら、そういうとこ」
さっきまでけらけら笑っていた明美ちゃんはなぜか熱血指導モードに入っています。
「もっとツッコミの幅を広げないと。この先生きのこっていけないよ」
「では師匠。どのようなツッコミをすれば良いのでしょうか?」
「……この先生き残る……この先生きのこる……先生……きのこ……きのこ先生……?」
「師匠! ちょうどいいタイミングでこだま先輩が何か言ってる! ツッコミ入れてあげて!」
明美ちゃんはふう、と息を吐いてから、私のほうを見ました。
「かわいい!」
「え?」
「かわいい!」
「え?」
「ああもう可愛いなあ。こだま先輩。こんなに可愛いのに、ちょっと抜けてるんだもん。高層ビルから目に入れても痛くないね!」
「ゑ?」
「大和。もはやツッコミは時代遅れだよ。これからは突き放すようなツッコミではなくて、受容だよ、受容! 寛容な心が大事なの!」
「ヱ? ソレダケ?」
「そうだよ。きのこ先生もそう言ってた気がするよ」
「もうきのこ先生と仲良くなってる!? ……いかんいかん、かわいい!」
「そう、かわいい!」
「あのくるま、かわいい! あのくも、かわいい! あのこうえん、かわいい!」
「イデオロギー、かわいい。 こおろぎみたいで、かわいい」
「ルサンチマン、かわいい! 雇用・利子および貨幣の一般理論、かわいい!」
「キチンの波、かわいい! コンドラチェフの波、かっこいい!」
「二次関数、かわいい。 チェバ・メネラウスの定理、かわ……」
「「それは可愛くないです!」」
あ、ツッコミ入れちゃった、と二人は固まります。やれやれ、と大和君。ふう、と明美ちゃん。
「あれ、メネラウスのほう、順番が訳わかんないです。適当に変えちゃダメですよね?」
「メネラウスの定理は、三角形と直線について成立する定理なの。注目する三角形の延長線と直線との三つの交点を考えて、三角形の頂点と順番に比を取っていけばいいんだよ」
「やめてください。数学の話になると途端に頭が痛くなるんです」
「こだま先輩理系だからなあ。さすがです!」
明美ちゃんからの尊敬の眼差しを浴びてちょっと眩しい。
ちなみに私の説明はみゆきちゃんの受け売りです。私は夏休み、みゆきちゃんとよく勉強していたのです。一年生の復習をしていたその一瞬一瞬が、私の大切な思い出です。
「私としては雇用・利子および貨幣の一般理論はちょっと怖いかも……」
「わかります。かわいくはないですよね」
「明美が言ったんだろうが」
「つまりまとめると、近年の安易なアルファベットの略語の利用は、日本人の理解力低下を表しているということです」
「そんな話してたっけ? まあいいや、じゃ、俺この道真っ直ぐなんで!」
大和君は手を振って、横断歩道を渡っていきました。私たちも手を振ります。
手を振り終えてから、私たちは直角に曲がって、駅の方へと向かいます。明美ちゃんは駅近くに住んでいるので、私は勝手にお嬢様だと思っています。
大和君が去ってから、しばらくお互い無言で歩いていました。正門から駅の方へ向かうと、少し遠回りになります。それなのに明美ちゃんが正門から帰るのは、きっと大和君と一緒に帰りたいからでしょう。私としては彼女も十分、命短かし、恋せよ乙女って感じです。
「……こだま先輩、公園で、泣いてたでしょ」
ポツリと呟くのを聞いて、私はハッとして明美ちゃんの方を見ます。そして直後に後悔します。
「……やっぱり。ちょっと泣きあとが残ってます。何かあったんです?」
「ええっと。なんでもないよ。悲し泣きというか、嬉し泣きというか……。最近情緒不安定みたいで、ちょっとね」
「ふうん。女心と、秋の空ってやつですかね? ちょっと違うか。それはともかく、私、結構本気で心配してます。こだま先輩、この前もちょっと、体調、悪そうだったし」
「……心配してくれてありがと。でも私はもう大丈夫だよ。元気百倍……」
「本当に、何かあったら、なんでも相談してください」
私の言葉を遮って力強く彼女は言います。
「私、こだま先輩のこと、大好きですから!」
まっすぐだなあ、と思います。彼女はわりとストレートに表現するタイプなので、私はいちいち驚きません。まっすぐに、目を輝かせて言う彼女に、私は少し嫉妬します。きっと彼女は、今まで人に無視されたり、酷い嫌がらせをされたことはないのでしょう。そしてそう考えてすぐ、私は自己嫌悪に陥ります。真っ直ぐで真っ当な彼女が私と同じ経験をしていたら、どんな性格になっていただろうと想像したことを、後悔します。
「……ありがとね。明美ちゃんは優しいね」
「こだま先輩には特に、ですよ。あ、大和は別なんで。あいつは何言ってもヘラヘラしてるんで、たまに頭にきます」
「ふふ。もう熟年夫婦の貫禄だね」
「やめてください。……とにかく、こだま先輩は……あれ、なんだっけ?」
「安易にアルファベットの略語を使わないようにするね」
「そんな話でしたっけ? まあいいです。じゃあ、私この角曲がるので。次の部活、楽しみに待ってます」
「うん。私も。じゃあね」
手を振ると、明美ちゃんも振り返します。彼女は少し歩いてから、また振り返って、手を大きく掲げて振ります。その姿がなぜか一瞬みゆきちゃんと重なって、私は少し切なくなって、それを誤魔化すように、大きく手を振り返します。
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