第6話 君依くんと富士川の伝説

 富士川はその名の通り、富士山が源流だと信じられている。


 京へ向かう、わたしたちの一行が、その川の傍らを通り過ぎた時の事だ。

「これは……」

 わたしは、河岸に流れ着いている一枚の紙を見つけたのだった。

 富士は古来から神の山として信仰の対象となっている。この当時の人にとって、そこから流れ出たものは、すでに一種の神託と言ってよかった。


 ☆


「離すのにゃ斎原。僕はお姉さんの所がいいのにゃ」

 猫モードになってじたばたと暴れる君依くんを、後ろから思い切り羽交い絞めにし、両脚で胴体を挟みつける。

「だめだってば。エサをあげるから話を聞きなさい!」


 すると急に君依くんは真面目な顔になって、わたしを見た。

「いいか斎原。『人はパンのみにて生きるにあらず』というだろう。僕はいま、お姉さんの愛情を欲しているのだ」


 うぐ。なんだか君依くんにしては、イイ声でまともな事を言い始めた。

 人はパンのみにて、なんて君依くんが知ってるとは思わなかった。さすが、従僕だ。ちょっとだけ見直してあげる。

 だけど、事は急を要するのだ。


「実はこれを見て欲しいんだよ、君依くん」

「え、斎原のパンツを見せてくれるの?」

 途端に君依くんは、わたしの前に正座する。なんだその嬉しそうな顔は。

「おい」

 君依くんが欲していたのは、パンじゃなくてパンツだったのか?


「違うに決まってるでしょ、この変態ネコ」

 ちょっとはオスの本能を押えろ。

「見て欲しいのはこれだよ」

 わたしは拾った紙を差し出した。

 変色して黄ばんだその紙には、わたしもよく知る地名と、名前が書いてあったのだ。


「これは……、ちょっと貸してくれ」

 それをひと目見た君依くんは、急に真剣な顔になった。

 君依くんは目を細め、一心にそれを読んでいる。さすが古書店の息子だ。彼も筆で書いた文字が読めるらしいのだ。


「えーと。一九九九年七の月……アンゴルモアの大王が降って来る、って書いてあるのかな」

「なによそれ。全然ちがうでしょ。ちゃんと読みなさい」

 どんなインチキ予言書だ。


 東雲市 君依きみい燎里かがり

 赤い文字で、そこにはそう書いてあった。そしてその横には。

藤乃ふじの由衣ゆい


「うわー、僕と藤乃さんの名前が並べて書いてあるよ、斎原」

「小学生の相合い傘かっ!」

 それくらいで喜ぶな。


「だからこれ、どういう意味だと思うか訊いているんだよ、君依くん」

「そうかー。見ている人は、ちゃんと見ているんだな」

 これぞ運命の人という意味なんだろう、と君依くんは、にやけているが。


「あのね、電話にも出てもらえない君依くんが何を言っているの」

「にゃううう」

「だから泣かない!」


 更に気に入らないのは、その横に書いたわたしの名前が墨で消されている事だ。

 そうか、分かった。


 この世界は、わたしの敵だ。



 ――― 取り上げて見れば、黄なる紙に、して濃くうるはしく書かれたり。

今年、この山に、そこばくの神々集まりてないたまふなりけりと見たまへし。めづらかなることにさぶらう。



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