第8話 失態
夢を見た。
見渡す限り水に満たされた、不思議な場所だった。何か落ちたわけでもないのに、常にさざ波が揺れている。
果てしなく続く水の大地は空まで伸びて、陽の光で境界線を白く輝かせていた。
これが海だ、とイオはふいに理解した。
水の中に意識をもぐらせると、澄んだ水の向こうに色鮮やかな枝が海底で浮かんでいた。分厚い葉っぱがゆらゆらと波に揺れている。その合間を見たこともない魚が優雅に泳ぎ回っていた。
なんて生命に満ちた世界だろう!
海にたゆたうイオの意識は、いつの間にか現実世界へと引き戻された。
◆
灰色の天井。外はいくぶん明るかったが、どんよりと曇っているのは変わらない。
イオは身を起こし、大きくあくびをした。
不思議な夢だった。どうしてあんなのを見たんだろう。
(『夢は世界の鏡である』だっけ? うーん。どういう意味だったか忘れちゃったな)
自身の頭を小突き、イオは眠気を払った。
ラスラはまだ隣で寝ていた。
あれから雨は日暮れまで降り続け、二人は岩のくぼみの中で一晩を過ごすことにしたのだ。トカゲの長に会ってラスラはすっかり興奮していたが、疲労がたまっていたせいか身を丸めるとすぐに眠りについてしまった。狩りの習慣で眠りの浅いラスラには珍しく、イオが起き出しても気付かないほど熟睡している。
親友の寝顔にほっと一息つき、しばらくそっとしておいてやることにした。
気分転換に外へ出ようと思った。くぼみのふちに手をかけ、外へ出る足がかりを見つけようとして。
地面がはるか遠くになっているのに気が付いた。
イオは一体何が起きているのか、一瞬分からなかった。
「あぁっ! しまった!」
イオは昨日の自分の短慮を思い知り、そしてイオの絶叫にラスラは驚いて飛び起きた。
「どうした?」
イオの取り乱しように、ラスラは寝ぼけ眼でうろたえた。あわててそばにまろび寄る。
そして外の世界を見て、ラスラも絶句した。
二人が岩の穴だと思っていたものは、実は生き物の背中のくぼみだった。そして雨の上がったのを確認して、その巨大生物は隠していた足を外へ出し、身を起こして移動を開始していたのだ。
足は六本ではきかないほどたくさんあり、どれも蛇のようにうねり、岩場の上に引きずって這うように進んでいる。身体は岩に擬態しているらしく、灰色でごつごつした質感さえ表現していた。
ずいぶん離れた地面が移動に合わせて横に流れていくのを確認し、ラスラはうわあ、と声を上げた。
「これはちょっと……まずいかも」
ラスラの言葉に、イオが振り返った。泣きそうな顔をしている。
「まずいだって? まずいなんてもんじゃないさ。ぼくらが寝ている間にどれだけ移動したかも分からない。おまけにこいつが止まってくれるまでぼくらは地面に降りられやしないんだ。最悪だよ」
ラスラは完全に目がさえたようだった。少し思いついたようにくぼみの上を見上げる。
「上は斜面がなだらかだ。登れるかな?」
イオが止める間もなく、ラスラはごつごつとした壁に手を引っかけ、身を乗り出した。
「うわっ。ぬるぬるする!」
「昨日の雨を吸い込んでるんだ。今に滑るぞ! 戻ってこいよ!」
ラスラは聞かなかった。巨大生物の動きに合わせてタイミングを見計らい、勢いをつけてあっという間に上まで登ってしまった。
「イオも来いよ! 大丈夫だって!」
昨日の後悔は一体どこへ行ってしまったのだろう。イオは呆れたが、それでもラスラがいつもの調子を取り戻したので安堵した。
ラスラに引っぱり上げられる形でなんとか頂上へ辿り着いたイオは、やっと自分たちが乗っている巨大生物の姿を目の当たりにした。
数えてみると足は十本あった。どれも巨木のように太くて、順番に足を前に出すことで巨体を引きずっているのだ。目はどこだろうと探すと、進行方向の足の真上あたりに貼りついていた。ぎょろりと丸く大きな目は魚のようだ。薄い膜に覆われて、乾燥を防いでいるらしい。
ぬるぬるとした感触さえなければ、見た目は岩の塊そっくりだ。雨が降っていたし薄暗かったから、昨日は気が付かなかったのだろう。彼らの休んでいたようなくぼみは身体のあちこちにあり、二人が立つ背中部分にもいくつか空いていて昨日の雨水がたまっていた。
さらに驚くべきことに、背中には木が何本か育っていた。どうやらこの生物の体液を吸って成長しているらしい。水気がある分、地上にあるものよりずいぶん元気があるように見える。
背中(というより大きな額が頭上に伸びているみたいだ、とイオは思ったが)は平たく、広かった。後ろに向かって尾だかひれだか分からない薄い皮膚がひらひらと風にそよいでいる。
そして背中の上は側面より弾力があり、飛び跳ねるとクッションのように宙に弾き返された。
「落ちないでくれよ。頼むから」
イオは飽きずに飛び跳ねて遊んでいるラスラに、口酸っぱく忠告した。
「どこに向かってるんだろうな、こいつ」
ラスラが戻ってきながら聞いてきた。
イオの見つめる先には、この巨大生物が足を引きずってきた跡がずっと続いてきた。どうやらまっすぐ進んでいるようだ。滑らかにうごめく十本の足には、どうやら行く手を阻む岩も断層も問題ではないらしい。
カタツムリは確か針の山の上だって平気で進むんだよな、とイオはぼんやり思い出した。
「少なくとも、ちょっとご近所に行くってわけじゃなさそうだ。ずっと遠くからやって来たのかもね」
「どうする?」
イオは力なく首を振った。完全に手詰まりだった。
「待つしかないよ。こいつが休憩しようって思いつくまでさ」
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