第3話 ゴーストゴーレム

 伊織は風呂を終えた静夏の話に耳を傾ける。


 自分たちは救世主としてこの世界に遣わされたわけだが、一体何から世界を救うのか。

 その答えは一足先に転生していた静夏が聞いていた。

 なんでもこの世界は別の世界――伊織たちの住んでいた世界のように存在する異世界から侵略を受けているのだという。それは自分たちと同じような人間らしい意思を持った侵略ではなく、ウイルス等に似た病のような侵略らしい。

 一体どんなものなのかいまいちピンとこなかったが、先ほど静夏が倒したマンイーターのような異形が侵略の一部なのだそうだ。


「そこでこの世界以外の場所から魂を呼び込んだ方が強い存在になる、しかも転生時にある程度の能力を付与できるとわかったから僕らの世界にスカウトに来たってことか……」

「その通り。伊織は飲み込みが早いな」


 よしよしと大きな手に撫でられてくすぐったい気分になる。

 何はともあれ母親と共に再び暮らす機会を与えてもらったのだ、これからは救世主として頑張らねば。そう思ってから首を傾げる。

「救世主って具体的に何をするんだ? 魔物や魔獣退治……?」

「退治と、あとは侵略するためにこの世界に開けられた穴をどうにかするのが当面の目的だな。伊織が成長したら旅に出る予定だったが、もう少し体の使い方に慣れてからの方がいいだろう」

「旅か……」

 たしかに魔物がこの村の周辺にしかいません、なんてことはないだろう。

 しかし村の人々はそのことを知っているのだろうか?

 静夏を神のように崇めている人々。そんな人物が突然村を去ることになったら困惑してしまうのでは――と思ったことが表情に出ていたのか、静夏は笑いながら言った。

「村の皆は了承済みだ。今日のような大物も珍しい。小物ならば対処できるよう、この十数年間で鍛えてきた」

 よかったと思いつつも伊織は少し後ろめたくなった。

 何から何まで準備万端だ。自分が覚醒するまでにかかった時間を嫌でも再確認してしまう。


(本当は今からでもすぐに出発した方がいいんじゃないか……?)


 自分のせいで出発が遅れている。

 そんな気がして伊織は思わず渋面を作った。だが慣れない体で無理に動いて怪我でもしたら元の木阿弥だ。それにまだ自分はこの世界を知らなさすぎる。

 世界のことだけではない。自分のことも。

 自分はまだ己の顔も知らなければ『自分の願いが叶った結果』が何なのかも把握していないのだ。

「……母さん、僕にこの世界のことを勉強させてほしい」

「もちろんいいとも。勉強は私より適任な者……村の学校の先生を呼ぼう」

「ありがとう。――あと体も鍛えるよ。きちんと準備が整ったら出発しよう」

 静夏のような筋肉は得られないかもしれないが、長旅になるならそれなりの体づくりが必要だ。静夏は張り切る伊織を嬉しげに眺めながら頷く。

「そちらは私が面倒をみる。ふふ、あまり負荷をかけすぎると身長が伸びにくくなるかもしれないから気をつけるんだぞ」

「わ、わかった」

「よし、では明日から――」

 静夏はまるで明日の朝食メニューを発表するかのように言った。


「重り付きで村の周囲を5周、プランク3セットとレッグレイズ3セット、ツイストクランチだ!」

「負荷かけすぎじゃない!?」


     ***


 世界のことやこの世界における一般常識を学ぶことは思いのほか時間と体力を要したが、一週間も経つとまだ基本的なことのみだが理解できるようになり、一ヶ月も経つ頃には常識の一部として伊織の頭の中に定着するようになった。


 世界には自分たち以外にも救世主として呼び込まれた人がおり、そのほとんどは過去の人だったが彼ら彼女らのもたらした技術や文化が薄まりながらも現代に受け継がれているのだという。

 そのため自給自足で生活するベタ村にも当たり前のように鏡が存在し、紙も存在し、毎日風呂に入る文化があった。それらを初めて見た時は意外だなと思ったものだ。


 元から勉強することは嫌いではない。将来役立つかどうかは本人次第だが、知識を蓄えそれを活かすことそのものが楽しかったのを覚えている。

 バイクの運転免許を取る時もこんな気持ちだったな、と思うと愛車が懐かしくなった。

(たぶん事故の時に一緒にお釈迦になったんだろうなぁ)

 あの瞬間のことは記憶にあるが、バイクのその後までは伊織にはわからないことだ。免許取得だけでなく購入すること自体も頑張った愛車。自分の技術がもう少しあれば、せめて車体だけでも傷つけずに済んだだろうか。

 そう今となってはどうしようもないことを考えながら伊織は金色の目を細めた。


 ――この容貌も意外だったことのひとつだった。


 黒髪は元の世界にいた頃よりも深い黒。これは静夏も同様だ。

 打って変わって瞳は見たこともないような金色。

 一体どんな色素をしているんだ、と思ったがこの世界では人体に出る色はかなり多種多様らしい。

(母さんは少し明るいオレンジ色だったっけ)

 今の静夏には似合った色かもしれない。とても暖かさを感じる色だ。

(僕もこの色には慣れてきたけど……もうちょっと優しい目元になればよかったのになぁ)

 伊織は鏡を見るたび未だにぎょっとする目元を撫でた。凄まじい悪人面というわけではないのだが、元の顔より釣り目がちのためどうしても違和感が強い。

 今はまだ少年といった姿だ。しかし前と同じ年齢に成長したら、その頃と比べてしまいもっと違和感が湧くのではないか。


 そうつらつらと考えていると赤茶の髪を切り揃えた女性が室内に入ってきた。

 彼女はルタリナという名前の先生だ。ベタ村の小さな学校で子供たちに勉強を教えている。

 伊織も学校に入学させてもらおうと考えたが、マッシヴ様のご子息がいては落ち着いて勉強できない! というなかなかに驚くような理由で断られてしまったのだ。

 たしかに村人は子供も含めて全員諸手を挙げてこちらを崇拝しているため、どうしてもやり辛くなるのはわかる。先生という立場だというのに敬語でこちらを敬い頭を下げるのを教室で披露されるのは伊織としても嫌だった。

 折衷案として家庭教師として赴いてもらっているのだが――今日の勉強時間は終わったはずだ。


「どうしたんですか、先生」

「イオリ様、ゴーストゴーレムが出ました! ひとりは危ないので広場へ来てください」

「ゴ、ゴーストゴーレム?」


 疑問をまんま声音に出すと、ルタリナは伊織の腕を引きながら説明した。

「幽体のゴーレムです、あれには物理攻撃が一切効きません。……マッシヴ様!」

 外に出たところで駆けつけた静夏と合流する。

 辺りは薄闇に包まれ、空の様子は夜の到来を告げていた。

「伊織、無事だったか。早く広場に向かおう」

「い、家の中に隠れてなくていいのか?」

「ゴーストゴーレムはどこに居ようがこちらを見つけてくる。障害物も関係ない。だから開けた場所に結界を張って全員で避難するんだ」

 静夏は伊織とルタリナを小脇に抱えて走り始める。


「ゴーストゴーレムが存在していられるのは一晩の間だけ。朝が来れば消滅します」

「それまで耐えるのが対処法だ。……私の拳も幽体には効かない」


 聞けば過去に試したところ、インパクトの余波により吹き飛ばすことはできたがゴーストゴーレムはあっという間に飛んで戻ってきたのだという。もちろん無傷だ。

 そしてゴーストゴーレムは人を襲い、襲った人間の中に入り込もうとする。しかしキャパオーバーで大抵の人間は精神ごと破裂して廃人になってしまうらしい。

 そんな話を聞き、伊織は近くにゴーストゴーレムが居やしないかとあちこちに視線を巡らせた。

「母さんでも敵わない奴がいるなんて……」

 病弱だった頃の静夏を守るのは伊織の役目。

 しかし静夏は強くなり、守る必要はなくなってしまった。それどころか守られる立場になったのは自分のほうだ。

 そんな母親をまた守れるかもしれない。


(でも……その方法がわからない……)


 更には母親に抱えられて逃げている最中だ。なんて情けないんだ、と思わず眉根を寄せる。

「ゴーストゴーレムが出るのは稀でな、私もこれが二度目だ。故に結界に必要な材料も足りなくて急ごしらえになってしまった」

「マッシヴ様、魔導師様は……」

「結界を張ったのが彼女だ。いくら優秀でも素が不足していては出来ることは限られてくる」

 静夏の言葉にルタリナは不安げに呻いた。


(こんな時に僕はまた守ってもらうしかできない。……自分の願いが叶えられたかどうかも結局わからなかった)


 伊織は視線を落とす。

 一ヶ月過ごしてきたが、結局その間に自分の願いについてはわからずじまいだった。

 健康体だが静夏のようなパワーがあるわけでもなく、怪我も普通にする。超人的パワーもない。精神はこの世界に適応できる程度には強かったが、こうして悩んでしまう弱さもあった。

(やっぱり旅に出たって足手まといにしかならないんじゃ……っうお!)

 ぐらりと視界が揺れ、静夏が体勢を崩したと遅れて理解した。

 静夏はふたりを抱えたまま無理やり体を捻って仰向けに倒れる。その時伊織は見た。

「ご、ゴーレムの幽霊……」

 密度の高い白い霧が巨大な土人形の形を作っている。まるで霧の表面に土のテクスチャを貼ったかのようだった。


 ゴーストゴーレムが両腕をこちらに伸ばし、すうっと音もなく近づいてくる。

 静夏の反応を見るに少し触れられただけでも駄目なのだろう。

 もし触れられたら。


(母さんがまた死ぬ?)


 廃人になるなんて死んだも同然だ。

 こっちの世界でもまた母親が不幸になってしまう、そんな姿は見たくなかった。

 伊織は静夏の腕の中からするりと抜け出し、跳ぶように立ち上がるとゴーストゴーレムの前に立ち塞がる。

 自分にできることはないかもしれない。

 こんなことは意味のないことかもしれない。

 それでも静夏なら自分たちを守ろうとするだろう。己の拳が効かないとしても。

(それに……救世主として旅をするなら、母さんのほうがいいに決まってる)

 足手まといの自分が残るより静夏が残ったほうがいい。


 自然とそう考える。

 そして背後で鋭く名前を呼ぶ静夏の声を聞きながら――伊織はゴーストゴーレムを睨みつけるように見上げた。

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